CreativeWorth 2016 4月号

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【ART情報】

カラバッジョ展

http://caravaggio.jp/

国立西洋美術館

今日NHKのCMで見たけど、私は全く知らない絵描きの作品展ですね。高校生の頃は何も知らなかったから、部室の石膏像を見て、「白人は美しい」と憧れがありましたが、以降30年が経ち、世の中の事がネットで知れてくると、「白人=美しい」では無く、「白人=レーシズム」というその方が先に立つので、高校生の頃の様に無条件にヨーロッパ芸術を受け入れる人間では無くなりましたが。国立西洋美術館なので、障害者手帳で無料で入れるので、行ってみようと思います。行って来ました。そこそこの規模で展示されていますが、基本、キリスト教が出発点で、精緻な描き方で描かれていますが、ヨーロッパの歴史を知ると、どうも無条件に美しいとは思えなくなっている自分に気がつきます。斬首の迫力のある絵画もありましたが、やっぱり、白人のキリスト教下の愚行・間違いなどが自分の中に涌いてくるのであまり楽しめませんでした。

【お勧め書籍】

角川映画 1976-1986[増補版] KADOKAWA

まだ読みかけなんですが、3分の1まで読むと、角川春樹という人物はいろいろ問題はあったけど大した人だったんだな、と思うようになるノンフィクションである。自分はそう言えば随分角川映画で楽しんだ口だったなぁと振り返る。まず「人間の証明」のシナリオの文庫が家にあったし、「汚れた英雄」でバイクに憧れ、ローズマリー・バトラーの「Riding Hi」を聞くと、原チャリでハングオンしたくなる。機動戦士Zガンダムがやっている頃は、「ザ・テレビジョン」を立ち読みして、放映日を待ったモノだったし。振り返れば随分角川書店の売り上げに貢献してたな、と振り返るのである。まだ全部読み切っていないが、角川映画の黎明期と絶頂期と衰退期を書いて在るから、青春時代の思い出と混ぜながら、暇が出来たら読み切ってしまおうと思っている。角川春樹氏は、「私は神だ」と叫んで、クスリで逮捕されたけど、あの当時は結構ドラマの中の脇役になったようで、振り返ると貴重な時間を与えられたように思う。まずKMO(カドカワメディアオフィス)と言う出版社があり、市ヶ谷にパシリでお使いに行き、数ヶ月後にメディアワークスが出来て、やっぱりパシリで神保町まで出かけたのであった。その後角川書店は角川歴彦氏が社長になり、今はKADOKAWAになった。波瀾万丈の出版社だな、と同じく波瀾万丈の人生の私が思うのであった。懐かしいね。今日、日帰り旅行の電車の中で全て読み終わりました。ノンフィクションも読んでみるべきですね。発見だったのは、山川 惣治が経営していた、「ドルフィン」と言うレストランは荒井由実の「山手のドルフィンは」と歌われている、と言う事実や、幻魔大戦というアニメは実はその後オウム真理教を発生させる要因になった、という事実だろうか。幻魔大戦は劇場で見ていないんだよね。DVDで見てみるかな。あと、角川映画終焉の後の角川のお家騒動にも感じる事が多数あった。角川書店の経営力学までそりゃ、デザイン事務所の使いパシリアシスタントデザイナーだった私にはわからないけど、角川メディアオフィスにお使いに行った、と思ったら、神保町にメディアワークスが出来て、そこにもお使い、と言う事で、角川の編集者たちが、デザイン事務所でヒソヒソやってるのが最後の記憶。自分はその後統合失調症がひどくなり、ダメだと思ってデザイン事務所を逃げたんだよな。角川春樹氏がコカインで捕まって、大騒ぎになったときは自分は、杉戸の千草園という花屋で葬式の生花飾っていた。角川歴彦さんが言った「シンクロニシティ」という言葉が思い出される。フォレスト・ガンプの様な数奇な運命の人生がそこから始まった。本を読みながら、自分の人生も追想しました。懐かしい思い出です。

【θシータ】11番ホームの妖精:鏡仕掛けの乙女たち (ハヤカワ文庫)

西武池袋の書籍館で、さまよっているウチにこの作品の続編の「アクアリウムの人魚たち」の表紙が「ハヤカワにしてはラノベ調だな」と思って手にして記憶した。レジカウンターの脇にハヤカワ文庫の目録が置いてあったので、断っていただいて、帰りのバスでθ(シータ)だけを便りに探して、地元の本屋に注文した。今月中には読めると思う。表紙絵も素晴らしいが、設定もなんか未来の鉄道が舞台って言うのもそそる。アマゾンで調べると電撃文庫で最初出ている。メディアワークスでは、芽が出なくて早川書店に拾われたりしたのだろうか。電撃文庫のバージョンのイラストよりハヤカワのそれの方が、透明感があって自分はいいな、と思った。早川の文庫は随分久しぶりに買う。最後に記憶に残っているのは「戦闘妖精雪風」だろうか、もう11年強の昔になる。

【日帰り関東旅行記002】

東京都小平市 平櫛田中彫刻美術館

4月の旅行は、本当は友部の筑波海軍航空隊基地跡の予定だったんですが、改修工事の為に休館していたので、5月の予定だった東京都小平市の平櫛田中彫刻美術館を訪ねる事にしました。中央線の国分寺まで快速に乗り、国分寺で降りて西武鉄道多摩湖線に乗って一駅でした。

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上記の写真は多摩湖線の国分寺駅のホームです。ローカル私鉄の匂いがするホームだったので写真を撮りました。

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一駅で目的地の一橋学園駅に着いたんですが、ここで感動したのが、東武野田線では死滅した、シングルのホームで、改札にはレールをまたいで出る、と言う駅は、昔、藤の牛島駅や七光台駅で見たきりで、西武線ではまだこういうホームが残っているんだ、と言う感動があり、写真に撮りました。

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改札を出ると、目的地の平櫛田中彫刻美術館の看板。代表作の鏡獅子ですね。

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看板の地図通りに来ると、一橋大学のキャンパスがあります。ココを左に曲がります。

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こじんまりとした住宅地の中に、平櫛田中彫刻美術館があります。元は田中翁の自宅の様です。鉄筋の建物を作ったようです。ここからは内部は写真撮影禁止ですので、以下のリンクで想像してください。

平櫛田中彫刻美術館 http://denchu-museum.jp/

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上記の写真は内部のミュージアムショップで手に入れました。お土産です。作品集は1100円と安く、色紙は1000円とちょっと高いですけど、田中翁の「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」の言葉が自分の中の芸術根性に石炭をくべるような、そういう言葉ですね。107歳で逝去されますが、その時点であと20年分の木彫用の木を購入しているとか、岡倉天心に「好きな事をやりなさい、売れるから」と、自分の信念に忠実に作品をつくっていった経緯など、芸術家の先達として、感銘を受けます。確か世界最高齢の芸術家としてギネスブックに乗っていて、昭和天皇のご高覧に接してたり、「70、80はなたれ小僧、わしゃまだ90かくしゃくかくしゃく」と笑い飛ばしたり、とか、東京芸術大学の教授やったりとか、日本の明治・大正・昭和を生きた大芸術家、と言う事ですね。自分の母親が鶴見の真田病院という病院で働いていたとき、病院の親戚である田中さんが訪れて、熱海だか下田だかの別荘に連れて行って貰い、泊まったらしいことを自分が中学生の時に自分に語っていたことを、美術館の職員さんに話てきました。多分母親が結婚する前の話で、今から60年前の話になります。自分が中学生の時、母親は平櫛田中さんの話を私にして、自分は絵を描く萌芽が出て来た頃で、自分の芸術性に裏打ちをつける意味で、それで平櫛田中さんと言う人物が自分の中に芯として残った、と言う訳です。今回、断片的だった田中さんの作品を見て、仏教的にはそぐわないけど、鏡獅子とその習作を見ると、人間の筋肉とかが迫力のある丁寧さで構築されていることに感動しました。あと、庭に置いてあった直径3メートル、高さ3メートルの巨木が一番の驚きでした。130歳までやる気で居た、そういう人間国宝の大芸術家でした。その意を汲んで、自分も「いまやらねばいつできる」でやっていきたいと、気持ちを新たにしました。

【コラム】

法華経と旧満州国について考える。

まず、皆さんには上記の本を読んで貰いたい。自分が読んだ感想は、石原莞爾という人物は、支那人(当時中国という国家は無かったようだ)の幸福を願って、理想としての満州国を作ったのだった、と言う事なのです。石原莞爾は国柱会を通じて、法華経と出会い、満州に「王道」の国作りをしようと、満州に左遷されたようだ。そう、石原の理想は法華経を出発点としている。昭和7年に満州国は出来て、20年にはソ連の侵攻で崩壊するが、まず、石原の理想があり、その後日本の財閥の進出で理想はぼやけたようであるが。石原が日本に戻る時には「日本の財閥の進出を止めさせるように」と釘をさして、日本に戻ったのだった。昭和20年、栄華を極めた満州国も、ソ連の侵攻で消滅するが、自分はココで考えるのは、「理想は玉音放送で全てゼロになったのか?いや違う」と思うのである。満州から引き上げには何年もかかったが、「王道楽土の火は消えなかった」と、今の日本を考えると、そう思えるのである。石原が敷いた、「王道」は、その後日本の官僚の中に口伝として残ったから、今の日本は世界のどこから見てもマシな国として、地球上に存在しているように思えてならないのである。アメリカには踏んづけられたが、有色人種代表として、第二次世界大戦と言う最終戦争であり、人種戦争は勝利したのは、アジアの搾取されていたアジアの独立の機運の高まりを起こさせて、世界の歴史を100年早めたのは日本の命を賭けた戦いがあったから、と言うのが、アメリカにも中国にもやられない、一つの納得であるべきである。人間は「戦争に負けたから」で全てがその日のうちに変わるモノでは無いのである。満州国の「王道楽土」の理想は、官僚機構や企業などにその名残を残し、結果、資本主義に見えるが、世界のどこよりもマシな、貧富の差が少なく皆やる気になれば、そこそこの生活をし、死んでいける、そういう国になったのだ、と自分は言うのである。自分は官僚機構にも歴史のある大企業にも所属したことはないのだけれど、真正の歴史を学ぶと、今の日本は如何に「理想の継承」を断ち切られている、企業や教育者というのが溢れているのが気になるところで、上記の本を皆さんに読んで貰って、中国とアメリカにバイアスをかけられた、戦後70年、と言うものを考えていただきたい、と思うのである。

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【マンガ】

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