CreativeWorth 2017 1月号

えーっと、このサイトは立ち上げ時は営業的なもくろみでしたが、一切仕事はこないので、去年はただ表現活動・作品と思って更新してまりましたが、営業活動と見なす人もいるので、時期がくるまで更新ができませぬ。よろしくお願いします。

新年明けましておめでとうございます。今年も淡々とこのCreativeWorthを更新していきます。おかげさまで月間訪問者平均1600人になるサイトになりました。一重に皆さんのおかげです。このサイトを紙のチラシにする必要があんまり無くなったようですが、今年は広告営業をしたいなとも思いますが今は動けません。桜の花が散った後の夏に向かう季節の中で、また動きたいと思います。

もう一つ、諸事情でサイトの更新は控えた方が良いようなので、2月号・3月号は休刊とします。ホントは毎月発行したいんだけど、難しい。そういうわけで桜が散ったあとの東京の町並みの風景に飛び込んだら、更新を再開したいと思います。I’ll be back.

 

【ART情報】

ティツィアーノとヴェネツィア派展

ティツィアーノを中心としたヴェネツィアルネサンスの展示ですね。サイトを見ると、キリスト教的絵画では無いようなので、見てみるか、と思います。

東京都美術館 2017年1月21日(土)~4月2日(日)

http://www.tobikan.jp/

【お勧め書籍】

片岡義男特集、これまだ読んでいないなぁと言う三冊。

https://kataokayoshio.com/ 片岡義男.comと言うサイトがあり、小学生の時に、「片岡義男のアメリカノロジー」というPOPEYEの連載にアメリカへの憧憬を抱き、中学生の頃にはまって文庫本を春日部市立図書館で借りてはまり、30代に、振り返って、ブックオフで古本を集め出した。2017年、大衆小説と思っていたら、講談社の群像にたまに新作が載るようになり、純文学の領域を浸食し始めた。私の蔵書は70数冊になり、今片岡義男は電子書籍で全著作が刊行されようとしている。そんな、圧倒的なラインナップの中で、「これは気になる、まだ読んだこと無い」と言う電子書籍三冊を選んでみました。

片岡義男、と聞くと、自分は「アメリカ」だけど、日本で一般的(それでも認知低いけど)な認識だと「オートバイ」では無いだろうか。「スローなブギにしてくれ」は映画にもなった。小説を読むと乾いた空気の中の福生や横田という街が似合う、そんな世界だと私は感じる。

変わったタイトルの片岡作品。タイトルより中身でいい意味で裏切ってくれるのが片岡作品なので、これもそんな一冊のような気がしている。

片岡作品の女性を描く作品は自分には参考になるし、記憶にも良く残る。「道順は彼女に聞く」とか「幸せは白いTシャツ」とか。女性の描写に湿った空気が入らないのが好きで、自分の作品にもそういう影響が残っている。

自宅の本棚には、角川文庫、新潮文庫、早川文庫の片岡作品を文庫で70冊近く所有している。2016年、最新の動向は「群像」(講談社)とか、「アンデル ちいさな文芸誌」(中央公論新社)などで、時折短編が載る。大衆小説も純文学誌に載る時代なんだな、と純文学の世界を新しい目で見ることが出来る。

【お勧めDVD】

新海誠作品はほとんど目を通していますが、今日ゲオで見たら、この作品もあるんだ、と言う事でおすすめ。ジブリを払拭する勢いがゲオの棚にはありましたが。

【日帰り関東旅行記011】

2017年1月は神楽坂を歩いて見ようと思います。

【コラム】

ユーザーインターフェースに取り込まれる、と言う事

去年だったか、渋谷のインターネット広告代理店のWEBデザイナーの求人に応募して面接の機会を得た。面接でまだ20代の若手社長という事で面接をしたのだけれど、この社長、人と会って話すと言う事がどういうことなのかあんまりわかっていない様に思えて、自分の視点で言うと「なんなんだコイツは」と第一印象と第二印象で思った。何故か?と言うと明瞭な声で話しているのに「声が大きい」などと言い、面接事項を記録するのだろう、愛用のアップルのMacBookに打ち込むのに忙しい。決して、私の顔など見ないで、パソコンに文言を打ち込んで、相手を理解、と言うか記録に残すのに夢中なので、自分は不愉快というか、「ダメだこりゃ」と思ったので、席を立った。もちろん不採用。パソコンと言う端末に浸食され、パソコンが自分の手足の延長にある、と言うのは私も1995年から2001年くらいまではそうだった。DTPオペレータが長く、思考回路がAdobeのイラストレーター・フォトショップ、回路の結論は、チラシのデザイン、と言う。その後運命は16年間、構内作業になってしまったが、印刷DTPで自分の受け皿は無いか、あっても先細る宿命のデザインDTPだったので、結果はあんまり変わらなかったかもしれない。2016年、2ちゃんねるで一人、頭がおかしくなっている人間の攻撃を受ける事になったが。ここでも今度は匿名掲示板というインターフェースしか頭の中の回路がない人間、と言う発見をした。自分はもう自発的に2ちゃんねるに書き込む事はあまりないが、この仮にAと言う人物は、人を誹謗中傷するときは必ず名無しで攻撃する。ハンドルネームで書き込むときはベビーフェイスで、と緩急があるのだが、過疎化している掲示板なので、短期間に集中して誹謗中傷の会話がなされると、みんなが「あああいつだな」と周知の事実として認識しているのに、誹謗中傷の自作自演は止まらない。最近は攻撃のネタが尽きて、短く「死ね」がフレーズになっている。そんなすさんだ人間が人を「こそこそROM厨」とか、2ちゃんねるに書き込まないと臆病者みたいな言い方をするのが目についた。ここでもパソコン上のWEBのあるいは専用ブラウザかもしれないが、2ちゃんねると言うユーザーインタフェースが全てで、ツイッターやフェースブックやインスタグラムなどが理解出来ない、貧弱な思考回路の持ち主と見る事が出来る。人間、コミュニケーションを取るとき、相手がどういう人間か、と理解しようとする本能があるはずなのに、2ちゃんねるはインターネット拡張期の最初方から16年、変わらないインターフェースだから、書き言葉の向こうの人間が見えてこないインターフェースである。最近はIPアドレスに基づいたIDの出る掲示板もあるのだが、自分が叩かれている創作文芸板はIDが出ない、と言う事は自作自演で多数の名無しが同意見のような流れを掲示板に演出する事が可能なのだが、いい加減この頭の黒いネズミを見ていても、時間の無駄なので、他の有益な事に注意を向けるようにしたけれど。ここでもインターフェースで、不完全なモノに囚われる、と言う事は随分人間として道を踏み外す事にもなるんだな、と言う発見をした。パソコンに夢中で人生送ってきたけど、今、自分に取って新鮮なものは、友人と喫茶店で会って、コーヒーのみながら話す事や、音声通話で仕事の依頼や相談を受ける事が、随分身に喜びを覚える事になっている。1995年からインターネットも始めた時は新鮮だったけど、2017年、ネットもスマホ・タブレット時代になり、日本人でインターネットに接することの無い人は大分少なくなった。でも、実際に会うまでに至らないネット上の出会いというか切っ掛けも少し考える時期に来たかな、と思う。インターネット上の表現もインターフェースに最適な誤解の少ない方法とは、とも考える。ここまでワードプレスのエディタで書いてきたが、この文章は思考の大体80パーセント表現しているように思える。もうちょっとかみ砕いて、細かく文言にした方がいいのかも、と思う。それが残り20パーセントであったりする。世の中は人間がその人としてその人らしく生きるのを阻害する人間や情報があまりに多い。生きるのに悩んだら、まずネットから離れて、あるいは親しいと思っている、その電話の相手は存在しないモノと、一度は振り払って考えるべきである。夜のしじまの中の散策で、自分の心の奥底にあったはずの理想や夢、希望があるなら、それを大切にして生きていくべきである。世の中はあまりに泥流が多い。自分も要はデザイン事務所などで働かなかったら、と言う人生の分岐点に立ち返って、これから進んでいきたい。自分を苦しめるのは、一番の理由は自分の固定観念なのだから。

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【マンガ】


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