2020/06/06 道の駅しもつまで見かけた21世紀の自動車の糸口。急速充電器って初めて見ました。EVに乗っている人って見たこと無いけど。

道の駅しもつまで見かけたEV用の急速充電器。なんか専用のカードでお金払うみたいです。ソケットは統一規格が出来ている様です。
これなら自動車を持たない主義の私でも思わず買ってしまうレベルのEV。これ、目立つけど。

道の駅しもつまを見学していると、外れに急速充電器が置いてあったので写真を撮った。機械を見ながら、なるほど専用のカードで電気代を払い、専用の規格のあるソケットで充電するんだなぁ、と思いました。ガソリンの4輪自動車は買うことは無いです。4輪自体が非合理的な乗り物に思えているので、家族を連れて、なんかいどうしなければならない場合、極力公共交通機関か徒歩ですが、4輪を買うならEVで上記のTOYOTAのLQのレベルがどんどん出回る頃には買えるお金がある様な、遠い未来の話です。(^_^;2020/06/06

2020/06/06 走りながら考えた事。「やっぱり、原付で茨城県は無理です。250ccじゃないとアベレージスピードが車と自動二輪に完全に追いつかない(T-T)」

VTR250の中古15万とか
カワサキのZZR250で10万円とか
このH2 Carbonを私が大型免許取って買って乗ったら、免許取り消しか、死ぬかどちらかなので、プラモデルで納得します。

いやー、下妻市まで春日部からホンダのTodayで走った感想は「さすが、ホンダ、絶対壊れない安心感がある」のと、「もう原付だと国道の片側二車線は無理だし、アベレージスピードが違いすぎるから、時間がロスに思える、やっぱ普通自動二輪だよな」でした。YZF-R15の新車を考えてたけど、今は「ホンダの250ccだったら10万円以下でもメンテナンスフリーで走れるんじゃないだろうか」とつくづく思った。コンビニでスマホで検索しても、VTR250で安いの無いけどね。カワサキのZZR250だったら、もう完全にビンテージモデルなんで、本体価格7万円であるけどね。どっちかになると思う。カワサキってそんなに信頼していいのかしら、解らない。でもZZR400とか250って昔欲しかったバイクだよなぁと思う。ZZR400のワインレッドが欲しかったのって29年前くらいになるよな。その前は、GPZ400だったよな、とか。ヤマハの青いバイクは今の稼ぎでは無理っぽい。ヤマハの250ccって4サイクルで適当なのが無いよ。SRX250とかはかなり無理があるし。R1Zはイカスけど2サイクルだし。2サイクルのDIOで痛い目に遭っているから、2サイクルはMVX250以外は考えて居ないよ。H2Carbonってカワサキのバイクがあるけど、これは私のバイクや機械に対する接し方で乗ったら、免許取り消しか、公道から吹き飛んで死ぬかしかないので、まぁプラモデルは作って、永遠に叶わない甘い夢とするしかないし。お金があれば、そりゃ新しい、カワサキのZX25rの250㏄4気筒とか、電動バイクのニンジャとかどっちがじゃないでしょうかね。電動バイクが出たらためらうこと無く電動バイク買いますけどね。21世紀ですからね。あ、そうそうEVで思う事も書いておこう。

2020/06/06 結局、今日も茨城県を原付バイクで旅して参りました。ホンダの滅多に壊れないバイクで安心して100キロくらい走ってしまった。(^_^;

常総市(旧石下町)の豊田城から見た広大な穀倉地帯と、豊田城内の長塚節の情報とか豊水橋の写真とか

昨日の夜に寝るまでは、「たとえ往復3700円かかろうと、電車(関東鉄道は気動車)で行く」と思っていた。茨城県下妻市の事である。朝起きて、「やっぱり、金かかるからバイクで行こう」と起きて切り換えた。朝食はパンを6枚食べて7時10分に出発した。。水海道で味噌を買い、県道357号線だかを下妻市までまっすぐ。途中で三妻駅の案内が出たら、寄り道して味わいのある鉄道風景を写真に取って、「水海道4部作」とか「カレイドスコープワークス」の資料とした。道の駅しもつまで常陸そばのもりそばを食べて国道294号線を守谷市の南守谷までまっすぐ。ここで「ふらっと294」というスマホアプリのネーミングの意味が2年掛かってやっと解った。途中でお城が見えたので、立ち寄ったら、歴史資料館だった。長塚節(ながつかたかし)って、最初常総市立図書館でチラシで知って、「セツモードセミナーの長沢節(ながさわせつ)とどういう関係ですか?」とぱっと見思った。今日、詳しい資料を拝見して、「なるほど、農民文学で、正岡子規と交流があって35歳で死んだのか」だった。あんまり感慨はなかった。昔の若くして死んだ作家という事くらいで。地理的歴史資料だと、石下町近辺は平将門公の本拠地だったそうで、「なるほど将門公の息吹のある地が石下町近辺か」と言う事だった。あと、鬼怒川と小海川に挟まれた常総地方は江戸時代から記録がある限り、大雨が降ると、洪水なる地なのは江戸時代から変わっていないと言う事だ。5年前くらいの関東大豪雨の際も鬼怒川が決壊して、水海道は全て1.5メートルくらい水没したのだった。あの時の雨は地下神殿のある春日部でもやばかった。私の家もあと5センチで床上浸水だったからね。守谷市では、ネットで知ったバイク屋を訪ねたけど、店頭にはめぼしいバイクは無かった。ただ購入後の面倒見は良さそうなバイク屋だったけど、地理的に春日部市民には利用は出来ない。色々計画があったけど、それは白紙に戻したのだけれど、その名残としての訪問だった。守谷市から、利根川を渡るには、南守谷から一本しかない。常磐道は別、つくばエクスプレスも別だけど、原付は一つの橋を渡って柏に行くしか無かった。布施入り口という交差点を西に曲がって、柏の葉に久しぶりに行こうかと思ったけど16号が渋滞していると思ったので、利根川沿いの森が生い茂る野田市への裏道を選択した。スムーズに流れて、気が付けば野田市街の16号に出た。そこからは隣の庭なので、16号で庄和町まで帰った。帰り、ファミリーマートでチーズバーガーを買って、家でレンジで温めて小腹の足しにした。家計簿つけて、メシ食って、シャワー浴びて、今サイトを更新している。シャワー後に身体を拭いたら、腕は日に焼けていた。道中色々考えた事もあるけど、考えを全てこのサイトに書くのは、単に無駄な障害や不愉快を生む事になるので、もっと自分にとって楽しくて、豊かになる事を行って、一日終えて、また明日から週5日で倉庫で米を運ぶだけである。昨日今日と、「星野女子大模型部ですっっ!!」と「カレイドスコープワークス」をPDF版とEPUB版をver.1.0として上げても良かったけれど、アタマを空っぽにして、また事業の再構築を行いたかったので、孤独な旅行を楽しんだ。6月はどんどん旅行に行くと思う。少々のお金が浮いたら、旅行、そして発見し、開発して、無料出版物を制作していくことと思う。今は7ヶ月間の停滞の切り替え時期です。新しいダンジョンが待っていると思う。少しづつステップアップしています。それでは。2020/06/06

2020/06/05 今日も茨城県を旅して参りました。NAVITIMEのマップでもGoogleMapで見ても、パソコンの画面からは想像が全くつかない世界に身を投じるのが、最近のクセで、楽しみなのです。

まぁこういう世界でした。

今日も、前々から連絡を取って、準備していたことで、あるモノを入手しに、宇都宮線の某駅からバスで30分、片道運賃530円の世界に行ってきた。人の世を長閑(のどか)にし、と、夏目漱石の草枕の芸術家の心境で、MP3プレーヤーの電源は切って、流れゆく緑の光景を眺めて、宇都宮線から見れば地の果てか?と言う世界にたどりついた。人の世をのどかにしても、結局人に会うのは人の世に生まれ育った人間だからである。モノを入手して、帰りのバスまで軽く1時間あるので、とりとめなく田舎の人と話したけれど、「はい、東京の建設現場で45カ所東京を巡ったのと、栃木県の水田を散策して巡った光景と私には二つあって、じゃぁどっちが真理なんだ、と言われたら、人間で、とりわけ日本人だったら、米を食わなければ生きていけない、と言う方が真理であって、東京の連中はまだ米は金を出せば買える、手に入ると思っている。いや、東京証券取引所が閉鎖になるほど、西洋資本主義経済が終わって、東京の金がすっからカランになったら、多分東京の連中はいままで買いあさっていたブランド品なんかを風呂敷に入れて担いで電車に乗ってこの辺に米をブランド品と交換に手に入れようとやってくるかもしれませんね。戦後の米の買い出し列車と同じ光景が見られるかどうか、まぁどうなるかわかりませんけれど(苦笑)」なんて話をした。去年もそう。人形町で、あの江戸の町もいつのまにか、三密のこぎれいなオフィスビルが立っていて、その建物を見た時、直観で、「こんな建て替えて、この建物の中に企業も人もまったく入らない世界になったらどうするのだろう」と思いながらサイゼリヤでランチを食べた記憶がある。その直観はあたり、コロナウイルス禍で、東京駅の東京上野ラインのホームから丸の内のビル群を見た時、「中に人がいる気配がないなぁ、しかも全ての建物ガラス窓は開かない。全てエアコン頼り。三密の世界だし、終わったな、東京」ってつくづく思った。だから、茨城県某所の帰りのバスの中で、女子高生達に囲まれながら、「終わったな、東京」と考えを巡らしながら、MP3プレーヤーの電源を入れたのであった。2020/06/05

2020/05/30 昨日ちょっと旅をして帰って思った事。コロナ騒動の一区切りに際して。

昨日、ものスゴイ自然と田畑の世界を歩いた。そういう自然の世界に居ると、「まぁここじゃ絶対コロナウイルスにはかからないな」と言う、ひとりぼっちの徒歩の旅だった。帰って、今日さっと思う事は、「コロナウイルスというのは、中国の奥地の人間が立ち入らない様な、自然の奥地の、自然が天の理として、隠してあったコウモリのウイルスを中国共産党の武漢の研究所が掘り起こしたモだろう。つまり、人類はまたパンドラの箱というか、逆かも知れないけど、天の理に順じない事をやってしまったから、天の作用で、科学技術や今は単にデジタルデータになった狂ったような金の流れの中の人間の傲慢と天狗になった鼻っ柱が折られたって事だよ。第二波、第三波っていうけど、これ、都市文明が都市文明の形態をとり続ける限り第X波で続くと思うよね。文明のあり方すらジャンプアップした発想で新しく創り出さないと、持続可能な人間社会と言うのが成り立たない、と思う様になった。先日、無人の秋葉原を写真に撮って、御茶ノ水から、無人の東京駅に行って、上野東京ラインを待っている間に、丸の内の豪勢なオフィスビル群を眺めていた。建設現場の経験で建物を見ると、全て窓が開かないエアコン頼りの建物である。つまり、三密世界をそのままだと耐用年数が来るまで、三密の世界を保持し続ける、と思う。つまり東京は中国の奥地の洞窟と同じ、コロナウイルスの繁殖場所として、都市文明が終了するまで、つまりあの狂ったように建て替えた建物群が消失するまでは、第XXXXXX波になるまで、無限ループするのではないかなぁと思う。建設現場で真摯に働いて、結果、金銭的には真逆の結果になった感想でいうと、「もう東京で絶対働かない」と骨身に染みて思う。ますます東京の影響が少ない地域を選んで生活の糧を得ていくしか、今の所ないように思う。なぁに、自分の個人事業が潤沢に資金が入って来て、俗世に出る必要がなくなるなら、それに超したことはないけど、今はそういう段階でもないし、色々な支配者層の作用もあって、長い間、俗世間で、生活の糧を得なければならないかもしれない。それは今の所解らない。資金でいうなら、一つアイデアが閃いて、それは後日このページのダウンロードページで案内すると思う。とにかく作品を作って行くしか、お金を少々得なければビジネスは停滞したままだけど、歩みを止める訳では無い。ただ、歩調がさらにノロくなるだけで、前進していることは前進している。もう一人の作業容量じゃたりない事は理解している。資金を得て設備を整えなければ、次ぎのステップにいけない事も解っている。でも、世間がこんな調子だから、台風の中、航空母艦から出撃する戦闘機はそうそうないのである。イライラしないで、「星野女子大模型部ですっっ!!」のPDF版とepub版を作りたい。その表紙を書き上げなければならない。あと明日まであるから、表紙イラストは出来るかも知れないけど、勢いはつかない。気分転換に、マルゲリータピザでも食べようと思う。それから、真摯に机に向かいたいと思う。それでは。2020/05/30

2020/05/24 今日は父親の導きで、埼玉県深谷市の渋沢栄一資料館を訪ねてきました。でも、その前に「部落」という言葉に対する論考を

まぁ初めてネットで明かすけれど、私は千葉県で働いて居ます。倉庫の仕事が終わって、近所に昔からの神社があるので、そこに挨拶しに行く。そこで、この前発見したのだけれど、江戸時代からの小さめ石碑が立っている。○○村○○部落と書いてある。「そうかーここは江戸時代は○○村の○○部落だったのか」と記憶する。で、ここで、2020年の日本人は「部落~被差別部落なのかよー」と言ってしまう。で、母親の口伝とか自分も色々な関東平野に隠された江戸幕府の歴史を発見して回っているのだけれど、部落ってのは、昭和の戦後の部落解放運動とか、そういう運動が起こる前は、「村落」のさらに細かい単位が「部落」だったに過ぎない。のだと直観している。部落という言葉に部落差別とかそういうネガティブなイメージがついて回る様になったのは昭和の戦後の話であって、戦前までは、普通に村の中の一部の部の部落という事だったのだろうと思う。実際、私の母親は、新潟県岩船郡山北町勝木の日本人部落に住んでいた。生まれは父親(私の母方のおじいさん)の職業が国鉄の保線員だった関係で、鉄道官舎で生まれている。それで私の母方の親戚は国鉄→JR東日本という鉄道の系譜になっている。私は生まれたときから鉄ちゃんでもある。それはさておき、ああ、一応言うと、私の母親は、昭和5年に生まれて、尋常小学校から高等小学校まで通ったかな、中学生相当の時は、国民学校になり、中学生の女の子が、新潟の軍需工場で戦闘機疾風の尾翼を作っていたのである。日本の歴史です。きっとB29が新潟まで爆撃に来た世界ですねー。で、幼稚園とか小学校の時は、NHKの朝のドラマ、「おしん」と同じ世界で、大根メシと同じようなモノを食べて育った、と言う。私の母親は「おしん」を見ながら、大根メシを食べるシーンで、懐かしいというか、それ以上の感涙を以て見ていたのを子供の私は見ていた記憶がある。新潟に関しては、それ以上は言わない。さて、次ぎに、私は1995年、ぶっ壊れた中島家がイヤで飛び出して、家出をしたのね、で、阪神淡路大震災の後の神戸に降り立ったのです。三宮だったかな、六甲山を越えてバスで神戸に向かうまで、ひっくり返ったビルとか、原子爆弾でも落ちたんでしょうか、と言う崩壊した街並みを見ながら新幹線の神戸駅前に降りたって、テキ屋の焼きそばを食べて美味しかった記憶がある。「東京・埼玉はもう居たくないから、神戸で印刷工でもやりながら、神戸で独立しようかなぁ」なんて、全て捨てて人生やり直すつもりでいて、電柱の貼り紙を見て求人を探したよね。で、適当に履歴書書いて、神戸のマンションの避難事務所に行って、土工人足っていうか、なんつーか、まぁそういう何でも屋の会社に入って、西脇市に避難したよね、神戸民と一緒にね。で、西脇市で避難民と共同生活しながら、仕事しながら色々見て回って、あの、兵庫県西脇市周辺で、埼玉県春日部市どころか、埼玉県・関東ではまったく見られない、おかしな建造物がちらほら建っているのに気が付いた。地元の土建の上司と車が一緒に「あの建物はなんですか?」と聞いても、ハッキリ答えてくれない。同僚の星ヤンには、「あれは部落差別の建物なんや、この辺の差別は根深いモノがあるんや」と言われてキョトンとしたことがある。今でも思い出すけど、あの、墓地に立っている、壁のない四方柱と屋根だけの建屋が何を意味するのか、春日部市民の私には謎である。今でも意味が良く解らない。春日部の母親に電話で連絡したとき、「なんか、この辺の人、墓に入れない人が居るようだ」とは言った事があるけど、謎である。今日も埼玉県深谷市血洗島(なんかどぎつい名前だけど)の渋沢栄一資料館を訪ねたけど、道すがら、色々見ながら歩いたけど、部落差別が感じられるような史跡というのは一切無いように見えた。あの辺は渋沢家とか渋沢一族とか多いなぁ、と寺に収容されない、いにしえからのプライベート墓地の墓石を見てもそう思う。元々関東の坂東というのは、群馬・栃木・茨城くらいまでは、1600年前から人が住んでいたけど、実際小山には1600年前から機織りの伝承がされているけど、埼玉・千葉・東京(江戸)までは、徳川家康が「江戸を天下一の都にするのじゃ」という事で、利根川の銚子までの移転や、江戸川の創設、荒川の創設をするまでは水浸しの湿地で、米作などにはとんと向かない土地だった。平将門公の時代まで遡れば、京都と言う都に疑問を感じた平将門公達のフロンティアだった。そう、坂東・関東というのは、平将門公の時代から、日本のフロンティアなのだった。だから、明治政府から、令和政府に至るまで、江戸幕府領から、日本が日本である理由を創り出した偉人達を一杯輩出している。伊能忠敬・間宮林蔵・二宮尊徳・渋沢栄一・中島知久平などなど、実はスゴイ所なんですよ。坂東・関東というのは。で、のほほんとした、武士兼農民の世界なんですねー。近藤勇と土方歳三が、農民からさっとクラスチェンジして新撰組とかになったのは一重に坂東という値がクラスチェンジいくらでも出来る自由な土地柄、と言う事なのだった。だから、坂東=関東では、「カムイ伝」と言う劇画の世界は全くのねつ造なんだよね。俺全巻読んだけど、あれは、すごく田舎というか、関西の話ではないか、と思うんだけど。全てが明治政府が「江戸幕府の士農工商というのは、こんなにも差別が酷くて悲惨だったんだぞ、だから明治政府は正しいのだ」と日本人をプロパガンタした名残で、令和に至ると言う。150年のそういうプロパガンタなんだよな。今の研究だと、士農工商というのは、単に名目で、クラスチェンジはいくらでも出来た、と言う研究結果が出てるのをネット記事で見た。私は足で歩いて、そう直観してた。結論、部落という言葉は、東日本では、村落の次ぎに細かい人の集まりの単位です。と言う事です。ここまで書いて、「なんだ、日本の国定教科書の日本史って、どこまでホントなのか解んないや」と思った。2020/05/24

2020/05/23 ホンダと本田宗一郎に関する記事が出ていたので、ちょっと本質が違っているから、群馬のナカジマとして補完しておく。

アニメに超期待の「スーパーカブ」バイクブームよ、もう一度。時代の要請です。

連載:第1回 社史から探る 大企業の転換点

ホンダの2度の倒産危機・復活に凝縮される、本田宗一郎の真の凄さ


https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2018/0105/supercub_1_2-3.jpg?impolicy=hq&imwidth=730

上記の記事だけど、これ、本質を語っていないよね。本田宗一郎は、少年期に中島飛行機の飛行機に憧れて、ホンダ始めたのね。高橋国光さんが、2000年に銀座の学校で証言してますね。本田宗一郎は中島飛行機を目指して、整備工からホンダを起こしたのです。ホンダスピリッツの源流というのは、実は中島飛行機の中島知久平と言うより、その技術陣とか、開発能力とか、実際、バンバカ飛行機作って国防に資する、最後国有化された東洋一の飛行機会社なのね。(昭和20年当時)だから、ホンダはホンダジェット作ったのね。だから上記の記事のライターは取材力が足りないです。ホンダのレーシングスピリットの源流というのは、多分、中島飛行機の疾風とかそういうのがガンガン日本の空を飛んでいた時代の、世界の継承だと思ってくれて良いです。平成の終わり、敗戦から80数年経って、群馬県とか埼玉県大里郡深谷町とかの源流の中島英樹は、その情報を得て、スーパーカブを買うつもりで、HONDAのTODAYを新車で買ったのね。TODAYが中国製なのは、あんまり好きじゃなかったけどね。カブの中古と同じ値段で、新車を買った方が良いと言う事で購入しましたね。で、2020年に、「スーパーカブ」というアニメが制作される、角川で。こう、軽く100年くらいの、日本の技術に対する、暖かいまなざしを持って、アニメの配信を心待ちにしてる、埼玉県春日部市の、群馬の中島英樹(Blueiris)なのだ。これはそうそう書籍にされない、昭和の歴史の秘密だ。公然と、秘密だ。(^_^)2020/05/23
補記なんだけど、気になったので、私の父親、中島武志の出生地は戸籍謄本で、埼玉県大里郡深谷町西島で出生しているのね。で、経済的な理由かどうかはしらないけど、多分当時の口減らしだと思うんだけど、中島保平と言う叔父と養子縁組をしているのね。よく読むと、中島保平の養子のまま、母親の実父の髙﨑酒造三にて婚姻届を提出するまでは、養子のままだった。この当時、太平洋戦争中である。中島家の口伝として、少年期の中島武志は、叔父の養子の家がつらくて、どこかから、群馬の榛名町の母親の元に一人電車ではなく当時汽車に逃げて帰った、と言う逸話を口伝として聞いている。父親も母親も、多感な現在の中学生、当時国民学校の生徒で、軍需工場で働いていたと言う苛烈な時代なんだよな。そういう親を持って、今51歳で、コロナ時代にて誇りに思う。こういう親に生まれ落ちて、幸福だなぁと、今のこのもやしみたいな高校生男子や、大卒新入社員を見て来ていると思うね。コロナくらいがなんだという。B29が焼夷弾落としてこないだろ、軍需工場で疾風の尾翼を作る訳では無いだろう、東京都民は甘えるな、と言う感じ。これからあれだぞ、東京の金がすっからカランになったら、東京都民は金で米が買えなくて、買いあさったブランド品を電車で担いで、物々交換で、茨城・栃木・群馬に買い出し電車で買いに行かなきゃならなくなるかもねー。東京都だけ、米配給制とかね。昭和20年8月15日以降の話か(^_^;。余談で、ナビタイムで深谷市と、中島知久平の地の太田市尾島の利根川の河川敷ってのは目と鼻の先なんだよね。中島姓って、だから、群馬県とか埼玉県の前の上州とか武蔵国の境の一族なんだろうから、もしかした、中島飛行機の創設者の中島知久平やその一族と、源流は同じなのかもしれない。wikiで調べたら中島飛行機研究所の最初の設立場所は、群馬県尾島町(もっと昔で言うと上州新田郡尾島村)の利根川のほとり、と言う。利根川の河川敷で飛行実験を繰り返していて、全然飛ばないから、地元民には、 「札はだぶつく、お米はあがる、あがらないぞえ中島飛行機」 と言う風に落首が流行ったという、あまり光の当たらない大正・昭和の歴史でしたね。いやー、戸籍遡るって面白いですね。まぁ私がNHKのファミリーヒストリーに出演することは生涯ないですけどね。私がファミリーヒストリーに出てもいいな、と思う頃にはNHKは解体されているでしょうからね。(^_^)なべて世は事も無し、と言う事ですね。上州新田郡だと、細谷村も近くで、細谷村は勤王の志士の高山彦九郎の産地ですね。高山彦九郎は、京都天皇家の勤王の源流でしたが、江戸幕府に睨まれて、狂死していますね。あとフィクションですけど、「木枯らし紋次郎」の紋次郎は上州新田郡三日月村ですね。そういう観光地があるんですよねー、いつか行ってみたいと思ってます。また木枯らし紋次郎な心境なんで(^_^)。どーこかでー、だーれかがー、きーっとまーーていてくれる♪こへん、幕府領と藩領がない交ぜの地ですねー。いやー、地域と歴史をひもとくと面白い発見が一杯できまして、今日は幸福な気分になりましたね。そうそう、だから、渋沢栄一の血洗島もすぐ近く。いやー、歴史って面白いですね。

2020/05/23 マイナンバーカードとICカードリーダーのその後の顛末

5月20日の事だったかな。倉庫の仕事から帰ってきて、ポストをチェックすると、郵便の不在者通知が入っていたので、「あれ?最近届くような荷物、ネットで買ったかな?」と最初思った。通知を取り出して良く見ると、「深圳(深セン)なんたら」と書いてあったので共産シナからの荷物と言う事で「あれ?ICカードリーダー届いた?amazonの日付だと6月11日くらいって書いてあったけど、もう届いたのか」と思った。食事・風呂など済ませて、スマホで配達日指定を5月22日にして、次の日も倉庫に行って米を運んだ。木曜日に一服しながら、女性と話していて、「なんか忘れてたICカードリーダー届いたんで、明日試しに10万円給付の申請やってみます」と言ったのだけれど、「中国の製品でしょ?情報抜かれるんじゃないの?」と言言われて、ハタと気が付く。そうなのだ。中共シナの製品は怪しいのだった。話で、「ファーウェイはハッキリヤバイけど、例えば、俺のスマホはdocomoの設計のZなんとかって中国製なんだけど、あんまり気にしていないけど。あ、でもファーウェイはヤバイよね」と言って、でも「まぁ試しにやってみるさ」と思った。今日考えてみると、マイナンバーカードはICカードで、ICチップを私が所有して、なにかの認証の時には必ずそのICチップの証明書を物理的なハードウェアに拠って最終認証するのだから、途中で例えば暗証番号やパスワードが盗まれても、IPアドレス上でいくらソフトウェア的にねつ造やその他の悪さをしても、ICチップを市役所の端末で物理的に確認すれば、まず嫌疑は晴れると思ったので、まぁ良しとした。22日の3時くらいに配達されたので、書類を一枚書き上げた後なので、ノリノリで、封筒を開けたら、エアパッキンに包まれた中華製品とドライバーソフトの入った8センチCDが一枚入ってると言う雑さだった。(笑)「もうちょっと化粧箱にいれるとかさー」と心の中でつぶやいて、USBポートに製品を接続して、CD-ROMをブルーレイドライブに入れて、ドライバーをインストールした。なにか変わったことはない。フツーにデバイスを追加しただけだった。ここで考えたのは、3回もキャッシュレス決済端末で失敗しているから、とりあえずマイナポイントの予約から試してみようと、マイナポイントの予約サイトに行った。コンビニでマイナポイントという名前のチラシが気になって、ゲットして、よく読んだら、マイナポイントを登録して、キャッシュレス決済の手段を一つ登録して、2万円を使うと5千円くれる、と言う内容だったので、気になってた。前回も書いたように、マイナンバーカードはeTAXの申請位にしか使え無いモノ、と言う狭い認識、てっていうか、霞ヶ関が、全然喧伝しないから、一般庶民で、確定申告を研究している人くらいにしか、マイナンバーカードのメリットは知られていないのが10万円給付のオンライン申請のドタバタまでの話なのであった。マイナポイントをICカードリーダーでマイナンバーカードを差して、手順にしたがって、暗証番号を打ち込んだら、すんなりマイナポイントを予約出来た。今の所それだけで停まるのであった。キャッシュレス決済のサービスの登録は7月になってからで、サイトを見ても、「これ以上は勧めません」になるということなのだ。これで自信を持ったので、10万円給付のオンライン申請も、やってみた。もう4回目のトライだから入力項目も銀行口座確認書も、全て揃っているし、覚えちゃっているので、瞬殺でマイナンバーカードの出番になった。カードを差して、暗証番号を入力して送信であっさりと終了してしまった。確認のメールが来て、それで終わり。あっけなく10万円貰える事になった。春日部市の郵送の申し込み書が春日部の10万世帯に届くのが5月の27日だから、5日早く申請出来たことになる。オンライン申請だからと言って、来週10万円が銀行口座に振り込まれる事は無いように思う。5月1日に瞬殺で申請出来た人でも、給付開始が13日だったのだから、私が貰えるのは6月の5日以降くらいではないかなぁと思う。振り込まれたら、速攻で、docomoのキャリアスマホから格安スマホにして、ドコモ光をフレッツ光ライトにする。プロバイダもOCNにする。GMOとくとくBBはスパムメールが異常に多くて、げんなり来るからだ。GMOとくとくBBにしたのは、固定IPが持てるサービスがあるから、自宅にWEBサーバーやメディアサーバーを置こうと思っていたからの選択だったけど、GMOはそれなりに進歩を重ねているけど、なんつーか、商売が少しの小銭でもかき集めたいって言う姿勢がイヤに思っている。NTT東日本とグループ各社は違う。堂々と静かにたたずんでいる。やっぱり電電公社だよな、と思う。フレッツ光も代理店のキャッシュバックサービスなんか気にしないで、ダイレクトにNTT東日本に申し込む。NTTドコモのドコモショップという代理店に幻惑されて、非合理的なコストのキャリアを必要がなくなったのに使ってしまった。お金がもったいなかったね、と言う話だった。2020/05/23

2020/05/16 やっと春日部のGUが再開したので、雨が降っている中でバスに乗ってお買い物でバスの中で雨の光景を見ながら考えた事

雨の春日部駅東口をバスの車窓から撮影。昔の日光街道の粕壁宿の名残はかなり破壊されつつある。嘆いても始まらない。破壊されたモノは元通りにはならない。

 今日は土曜日だ。事業の生成に対しての努力を行おうとしてたけれど、有給休暇を取って三連休でこの5月はかなり油断している。躓きは結局ICカードリーダーを去年気を利かせて購入していなかったからだ。10万円給付のオンライン申請が始まったら、即オンラインで申請しようと思っていたけれど、ICカードリーダーか、NFC対応の?あるいはFelica読み取り対応の?要するにおサイフケータイのスマホも所有しておらず、家にクレジットカードを読み取るICカードリーダはあるのだけれど、Windows10用のドライバーが用意されていないと言う涙ものの仕様の、キャッシュレス決済対応の機器があるだけで、涙をのんだ。もし「よーし、一応eTAX対応という事で、ICカードリーダー買っとこ、安いしな」と去年の確定申告時に思って購入していれば、地団駄踏まなかったけど、2019年当時で、ICカードリーダーとマイナンバーカードの利用目的って、eTAXと言う確定申告のオンライン申告にしか使い道を知らなかった。マイナンバーカードとマイナンバーが、年末調整の時の紙や、確定申告時に申告書に記入するようになったのって、2019年くらいからハッキリしてきたって位の認識だったから、「市役所から通知が来るから作っとくか」と作ったのが5年前なんだった。昨日、マイナンバーカードの電子証明書の期限を見たら今年の6月だったので、市役所に行って期限の更新をした。本当は一昨日電話したら、マイナンバーカードを持参したら、端末を使わせてくれて市役所でオンライン申請が出来るよーみたいな電話内容だったから、期待していったけれど、ダメだった。オンラインで申請しても郵送で申請しても結局受け取り時期は同じ位になります、と、これまた才覚の低い市役所職員に言われて、しょうがないから、電子証明書だけ期限更新して市役所を後にしたのである。5月1日にオンライン申請が始まって、春日部市の場合は13日から給付が始まりました、と言う触れ込みだけれど、パソコンベースで、①パソコンを持っている②マイナンバーカードを持っていて、パスワード・暗証番号・電子証明書の期限が切れていない③eTAXをやっていて、ICカードリーダーを持っていると言う人は、データは定かではないが直観で言うと春日部市の住民のITリテラシーのレベルで言うと、20万人の住民の内100人居ないと思う。スマホで運の良い人は居ても、マイナンバーカードを作ってない、とかで慌てて市役所に駆け込んだ人は結構居ると思う。でも、今から作成しても、カードが出来て市役所に受け取りに行くのには1ヶ月以上掛かる、私も記憶がある。マイナンバーカードが発行されて受け取りには一ヶ月はかかる。では郵送で申請しても同じ事である。ただし、地元で話してて、気がついた事は、①春日部市には郵送する世帯は10万世帯がある②10万世帯が一斉に返送した場合、6月5日から10万世帯の20万人に一気に10万円が振り込まれるわけ無いな(^_^)③終了・給付は普通の運だったら、6月下旬とか末とか7月頭だ、と言う風に思っている。オンライン申請で春日部市に5月1日に申請した人が100人未満で、照合と確定作業で13日なら、春日部市役所に、オンラインだろうが郵送だろうが、振り込み開始には2週間はインターバルがあると言う事だろうから、6月5日に郵送の振り込みが始まって6月5日に振り込みを確認出来る人は20万人の内で運がいい人、と言う事なるねーと、世間話でそういう結論に達した。10万円もらったら、スマホとドコモ光を、チェンジして、今の利用シーンに最適なインフラにスイッチするのに使うのがもっとも優先される使い方だなと言う結論に達している。キャリアスマホからまた格安スマホにして、ドコモ光から法人契約のフレッツ光ライトにするのである。一昨年の10月にキャリアスマホにしたのは、建設サービスの会社で仕事もらうのに、あの当時で、未だキャリアメールじゃないと仕事の手配が出来ない、と言う事だったので、やらかしちゃったFreetelのスマホをdocomoのキャリアスマホにしたのである。建設現場での、あの確実に音声通話が繋がる方がいい、と言うメリットを生かした利用シーンだったし、給料も良かったから高いキャリアスマホはそれはそれで良かったけど、利用シーンが建設現場から物流倉庫になって、仕事中は全く音声通話も必要ないし、電源を切って業務を行う利用シーンになったのだから、無駄に月の利用料が高いキャリアスマホは用済みだと言う事だ。今年の1月で総務省の思惑で始まった、家計消費状況調査の報告義務が終わったけれども、その毎月のネットでの買い物とクレジットカードの利用状況をデータ化する癖がついたのを思い、「この月々の消費の記録のクセを生かせないかな」と思って、ちょっと考えて家計簿をつける事にしたのだった。最初はパソコンで、と思ったけど、スマホでも家計簿アプリが在るのを知って、スマホの家計簿アプリで、毎日のお金の出方を自動販売機の100円のコーヒーから1円単位まで正確に記録するようになった。その作業をすると、お金の使い方がなるべく無駄な使い方とか非合理的な使い方とか、なるべく効率が良く効果的なお金の使い方とかを試行錯誤するようになった。これは面白い作業だと思って日々、毎日出て行くお金のデータをスマホに記録している。自動販売機で缶コーヒーを滅多に買わなくなった。自動販売機はレシート出さないから、記憶があやふやになるから。缶コーヒーを買う場合はコンビニで100円缶コーヒーとか100円麦茶を買う様になった。最近はさらに進んで、缶コーヒーはホームセンターとかディスカウントストアーで30缶1000円未満、一缶あたり38円とかの缶コーヒーをケースで買うようになって、毎日出かける時は、行動計画を立てて、一服の時間は2回とか思って、鞄に缶コーヒーを2缶入れて出かける、とかになった。こうやって無駄とかコストカットとか自身の課題として、毎日、自分自身の消費というデータを記録している。話が長くなったので、今日はこの辺で。2020年1月頃から、「なんでもかんでもWEBとかに書いたり表現しなくてもよい」という考えに至った。1996年ころから「OukaDesignOffice」という名前でホームページ(当時)を始めてから、24年くらいたったけれども、思ったことを全てWEB(現在)に書くのは、自分の行く道に障害を自分で作るような物、というか、自分の発想や理念を100パーセント出すと、受け入れてくれる人より、面白く思わない、東京の支配者層や大企業の構成員が多数いるので、風評をその手下たちが吹き込んで回るので、行く道に障害が多くなる、という事である。車でもバイクでも、そりゃ整備された道路のほうが円滑に走れて気持ちいいし、まぁオフロードバイクで石ころだらけの道をガタガタ行くのがいいんだよ、というゆとりのある人もいるけれど、私はもっと遠くを目指しているので、キレイな舗装の高速道路で、鹿児島とか稚内までスムーズに行きたいんですけど、と思うので、抑えた表現になっているし、更新頻度も低いという事をご理解くださいね。それでは、また気が向いたら、このWEBでお会いしましょう。2020/05/16

2020/05/04に思うちょっとつれづれに話しましょう。2020/05/04

こういう世界は実は日本に一杯あります。東京圏だけが特殊なだけです。東京が全てと思える人はメディアに洗脳されているのです。

明日は8時始業だから、今日の夜は1時間、時間のゆとりがある。毎日の日課として、人体クロッキーを自分に課すけれども、その前に麦茶とタバコ一本で考えた事を少し書こうと思う。5月31日まで緊急事態宣言が延長されたけれども、これは東京都の千代田区とかの基準で全国一律で考えて欲しくないんだよね。倉庫で米を運びながら、考えた事は「Nature Life or Country Life is Safety.City Life is Danger(自然生活または田舎生活は安全、都市生活は危険)」というのがこれからの鉄則だと直観したので、この鉄則でいうなら、関東だったら、東京圏(東京なら23区から八王子くらいまで。埼玉だったら所沢・さいたま市・春日部市、千葉だったら、柏市・千葉市くらいまで)の都市生活で、丁度鉄道と自動車道の直結が行われているのがこの地域だから、この地域と、その他の写真の様な世界は危険度が違うはずなんだよね。もちろんここまで来たら、東京圏からウイルスまき散らしに東京都民が鉄道と自動車で拡散に掛かる所だから、こういう東京都民だけ、移動の制限をすれば、埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬はかなり感染率が下がっていくと思うんだよね。永田町はそういう事が解っていない様に思う。全国一律って東京の千代田区だけで決めないで欲しいと思う。5月31日になっても東京圏は減衰は他の自然生活・田舎生活の地域・エリアに比べると全然減衰しないように見えると思う。千代田区だけの判断で全国一律は止めて欲しい。私とかリスクの低い人たちや企業の行動が制限されるではないか。例えば埼玉だったら、JR東日本の高崎線と宇都宮線、湘南新宿ラインとか上野東京ラインは大宮駅で終点にして折り返しにするとか、これはJR東日本が勝手にやっていいことだと思う。東武鉄道だったら東武スカイツリーラインは小菅が終点で折り返しとか小菅で検問というか関所作って、どうしても必要だから、日比谷線や半蔵門線や浅草に行きたい人とか振るいにかけて選別するとか。西武鉄道だったら、所沢で終点、折り返しとか。東京はもうコンクリートで固めてしまったのだから、どこへ行っても3密の建物だし、どこかの瀟洒なビルディングは窓ガラスがはめ殺しで、全てエアコン任せの3密世界の建物なんだし。実際、今もそういう建物で働いて居る東京都民ってどんな気持ちなんだろうね。とにもかくにも、20世紀は核戦争でも東京直下型地震でも無く、微細なコロナウイルスでまず西洋都市文明の終焉になった。次ぎに来るのは20世紀金融資本経済の終焉だろう。淡々と生きて行きたかったが、また大嵐の中を進んで行くことになる。太平洋戦争でいうなら、空母翔鶴で、台風に遭遇して発進待機を命ぜられた海軍戦闘機乗りのパイロットの心境である。志気は高いが、今発艦しても、ロクな事にならず、索敵もままならず、自軍の地上基地にも行けず、二段ベットで小窓から、大荒れの海を眺めているような心境だ。波高し、でも、嵐が過ぎ去れば、勇躍発艦出来ると言う事である。2020/05/04

夏目漱石の「草枕」の冒頭を読むと、「なるほど、名文だ。芸術の士はこういう心境で良いよな」と思う。わたせせいぞうのおかげ也。2020/05/03

夏目漱石 「草枕」より

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
 住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも

鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青たんせいは画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさいの絢爛けんらんは自おのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺

せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのうを解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかいに出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじの乾坤けんこんを建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きとき憂うれいいよいよ深く、楽たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間まも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

上記の文章は著作権が切れているので、まぁWEBに載せても大丈夫かな、と言う事で。Instagramでわたせせいぞうが自作のイラストをこの「 あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっと)い。 」というセンテンスを併記してInstagramに上梓していた。どうも角川文庫あたりの「草枕」の文庫本の表紙イラストの様だ。私は姉が高校生の頃に購入した旺文社の化粧箱に入った“上等な”文庫本で中学生だか、小学生の頃読んだ小説だ。ふとこの一文が気になって、部屋の片隅に放置されていたその旺文社版の文庫本を取り出し、この冒頭の文を40年ぶりに読み直して、心肝に染めるように記憶し直した。「人の世を長閑(のどか)にし…」がとても気に入っているWordsである。今、私は社会情勢で本当に人の世をのどかに、自宅の机に向かう時間が多くなった。日本全国の日本人は芸術の士になれるのである。もっとも、ガラス板の向こうの銀玉が転がる事に取り憑かれている人もいれば、コロナが明けたら、風俗業界にキレイな女性が増えるとラジオで言って、世の中の女性を敵に回した、女性蔑視の愚かな、東京の支配者層のピエロのお笑い芸人もいるけれど。私はそんなことは言わないが、そういう女性が増えたら、女性の悲劇だ、と思う。私は女性にとても感謝して芸術する芸術の士である。女性を安心させて楽しくおしゃべりしたりすると、良い芸術作品が出来るからである。だから、春日部の印刷屋時代くらいから、そもそもその以前の曙橋のデザイン事務所時代から、あるいは幼稚園児の頃、多感な姉に連れられて、「オリビア・ハッセー版のロミオとジュリエット」や「小さな恋のメロディ」を映画館で見た頃から、女性の核心に敬意を表してきているのが私の核心(コア)だった、かもしれない。お笑い芸人とは、根幹が違う。もっとも、私は、お笑い芸人の事を、「まーだ、こういうヤツいるんだな、SDGsの本を読んだことないのか、意識低いな」と思って、ラジオはFMNack5やAFNRadioを聞くだけだけどね。まだお笑い芸人のオールナイトニッポンってやってたんだねぇ。ビートたけしの頃は面白かったけどねぇ(遠い目)あ、そうそう、わたせせいぞうと同じように鉄道と若い明治時代の文士のイラスト、私も描いてみようと思っている。気が向けば。2020/05/03

Youtubeが思い出させてくれる、メガドライブとSEGAとBEEPって雑誌とセガマニアとかセガ人とかって、時の流れに埋もれた記憶。2020/05/02

セガのサイトからの画像markⅢとかマスターシステムのページもあった(笑)

しくじり先生「メガドライブ編」つーのが( https://www.youtube.com/watch?v=YOcrAIgdsRA )Youtubeで出て来たので、興味が湧いたので通して見てしまった。見終わって、「やっぱりセガだなー(笑)」って感想かな。セガとの出会いって、というかコンシューマー向けで最初の出会いは、中学2年生くらいの時かな、姉が結婚して北本市にアパート借りて新婚生活やってて弟と泊まりに行って、姉が「なんかかっこいいから」と、ファミリーコンピュータでは無く、セガのマークⅢをクリスマスプレゼントで私と弟にプレゼントしてくれた。早速アパートのテレビに繋げて、「ハングオン」をやってミンナで大興奮だった。そこからセガマニアとかセガ人としてスタートした。ファミコンは高校生の時お小遣い貯めて、自分で買った。一ノ割のタリヤ靴店というゲームセンターで50円15分のドラゴンクエスト1をやって、どうしても欲しくなったから。セガのマークⅢのソフトの方が多かった。だんだんファミコンのカセットの方が増えていったけど。多感な高校一年生になった春に、私は庄和町の南桜井駅の駅前にある本屋に教科書を購入しに行った。そこで「Beep」というゲーム雑誌を買ったのがセガ人としてのレベルが上がったのだろう。ソフトバンクではない、日本ソフトバンクという出版事業を行っている、そのソフトバンクの前身の日本ソフトバンクの雑誌だった。高校卒業して、秋葉原のゲームセンターでアルバイトしてる位までBeepとBeepメガドライブは愛読してたよね。ソノシートは捨てずに持っている。高校生くらいからのセガや任天堂、アーケードゲームについての思い出は、ちょっとこのWEBじゃ書き切れないから、小説に織り込んだらどうだろうと思う。数年前、書泉ブックマートが閉店になって、その閉まった建物の前に立ち、駿河台下交差点から千代田線新御茶ノ水駅まで歩いたときに発想した、「駿河台下交差点にて」というゲームやオタク文化にハマった青年と女性の恋物語とか、「追憶~あの頃の“アキバ”の恋物語」とかで、1990年中盤までのゲームとパソコンを軸にした恋物語とか、小説で書き表したらと思っているからね。いつ書ける時間のゆとりというか、ゆとりが無くても必死に書けば書けるけど、今はまだ事業の基盤を固めるのが先だろう。しくじり先生で言っていた様に10年先のビジョンも大事だけれど、明日という短いスパンのビジョンと実行を積み上げなければ10年後になんだったんだ、この10年、と言う事になるからね。私に今の所挫折という言葉は当てはまらない。スケジュールをやりくりして、優先順位を組み替えて生きているから。そして、今の境地は「人生は旅だ。仕事も旅だ。河島英五だ。旅の途上だ」と強く思う様になっていて、そして、この外出自粛をやり過ごして、自宅に存在している。2020/05/02

情報を得て、ゴールデンウィークの初日の土曜日の朝、秋葉原と御茶ノ水の写真を撮影しに行ってきた。2020/04/25

左の写真は中央通りから万世橋を見た光景で、左はJRの電気街口から見た、まだかろうじて昔の電気街の名残が見られる無人の光景2020/04/25

倉庫で、昔マイコン少年で、いまも年金間近のマイコン少年に、「テレビで秋葉原、まったく人が居ないの見たよ」と言う一言で、「じゃぁ写真でも撮ってこようかな」と言って、本当に秋葉原に早朝行ってきた。日比谷線のあの昭和通りの出口が青春の始まりだった。この出口から、秋葉原のゲームセンター、ゲームインファンファンで半年アルバイトしたり、ここからアキバ少年の始まりというか、もっと昔で言うと小学生5年生の時、父親に連れられて秋葉原のガード下のラジオ商の店でポケットラジオを買って貰い、世田谷の親戚の家に行く時、ポケットラジオを窓硝子に寄せて、音が流れてくるのを体験したのが、私の秋葉原の始まりだったが。ゲームインファンファンでアルバイトをしてて、交差点を渡った所に立ち食いうどん屋があって、そこのかき揚げうどんを食べてそれでお腹いっぱいという事にして、お金を使わずに貯めた。そして貯めたお金で、上記の写真のこの建物のLAOXで、SONYのHITBITーF1XDをペイントソフトのおまけ特典付きで購入したのが私のパソコン人生の始まりでもあった。懐かしい。2020/04/25、このコロナウイルス禍の秋葉原に立つと、ほぼ無人である。早朝ではない。9時の話である。秋葉原に行く途中の東武スカイツリーラインで越谷・草加・西新井と、コンクリート化の進んだ世界を眺めて、秋葉原に立った記憶で、感想を述べるなら、「20世紀の終わり、西洋都市文明の終焉、21世紀の始まり、これが神のやり方、北斗の拳は核戦争で世紀末だったけど、東京はウイルスで世紀末になったんだ」という事だった。もう「胸に七つの傷を持つ男」には戻りたくないが、たった一人で21世紀を始めようと、埼玉県久喜市清久の印刷工場に忍び込んでから、19年ほど経って、ようやく世界は20世紀の終焉と21世紀の黎明が始まった、と感慨を深くした。秋葉原の街並みを写真に撮ったのは、秋葉原を舞台にした、1990年代初頭の一つの恋物語を、ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの共演の「追憶(The Way We Were)」の筋を踏襲して、物語を紡いでみようと思っているからである。「追憶 ~あの頃の秋葉原の恋の物語~」とかって、もうあらすじは出来てるけど、いつ書いて発表できるか全く不明。忙しすぎてゆとりないまま、仕事をしている。写真撮るとファインダー越し、例えばLAOXのザ・コンピューター館の建物から、見渡す光景が、自分の中のパソコンショップ街とは全く違うモノになっていて、オタクグッズの販売店になっていて、ちょっと前なら派遣リフレの顔のレベルの高い女子高生がタチンボしているあの通りという感じで、ここまで変わったんだ、イーサネットのスイッチングハブを売っていた店とかはどこへ消えた?みたいな驚きが隠せなかった。そして、電気街という名ばかりの腐れメディアのグッズ販売地になってしまっても、嘆かない。コロナウイルスが終焉を知らせてくれたから。つまりは旅立ちの前の一つの人生の回顧がそこにはあった。秋葉原の思い出のエッセンスは上記の小説に託したいと思う。それじゃ、明日も7時始業なので、早く寝るので、この辺で。2020/04/26

ヤオコーで発見する40年以上昔のテレビコマーシャルで見ていた味噌を51歳で購入(万感の思い)

この味噌のCMもYOUTUBEで上がっていて、女の子が可愛い。 https://www.youtube.com/watch?v=kFH9_wsxqwM

今日、何故か会社帰りにヤオコーに寄り、味噌を買おうとしたのは、以前この「日本海味噌」を記憶に入れていたからだった。これ、だって40年以上昔にテレビで見て記憶に残っていた味噌の商品でした。Youtubeで見たけど、女の子が永遠的にキレイで可愛いのね。大人になった雪ちゃんが見たいと思いました。味噌は造ってみないとわかんないけど、米味噌だから多分美味しいだろう。今から楽しみだ。2020/04/15

あまりにも、「エロマンガ先生」のやり過ぎに、角川書店を諫める画像 2020/04/10

えーっと、この「角川文庫発刊に際して 角川源義」1949年5月3日の活字だけれども、片岡義男の角川文庫の「限りない夏1」からスキャンしたものだけれども。あのー、今のさぁKADOKAWAとかASCII-MEDIAWORKSの仕事って、この創業者の角川源義氏の出版の理念と照らし合わせて、どうなんですか?と、訴える所存です。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」から「エロマンガ先生」と、ライトノベル+アニメ+コミカライズとかさ、そういうメディア商法だというのは理解するけれども、この角川書店を創業した、創業者の志とはあまりかけ離れてはいないかな?と、この上記の文言を知っている者として、また中学時代は、月刊ニュータイプとか月刊Willy(ウィリー)とか週刊ザ・テレビジョンとか、角川文庫の片岡義男の小説とか、角川春樹で言うなら、映画の「人間の証明」とか「野生の証明」とか、「幻魔大戦」とか「少年ケニヤ」とか、マンガなら「ファイブスターストーリーズ」とか、そういうので中学生時代を送った角川っ子としてはですね。もう一度、この画像の文言を心肝に染めてね、あのー、全てのカドカワ・電撃文庫などの文庫を考え直してはいただけないか、と、つくづくそう思う次第です。一応「エロマンガ先生」のアニメの一期は見終えるつもりだけど、こういうの配信されて、私見ちゃうと、私の才能が損なわれる感覚に囚われるので、アニメもつくづく考えて視聴しないとな、と思わせてはいただけますが。私が画像の文言を2020年4月10日にちょっと書き換えるとすると、
「コロナウイルスによる、東京と言う偽りの繁栄の崩壊は、文化力の敗退であった以上に、私達送り手の、人間としての基本的良心の欠如による敗退であった。20世紀出版産業が、世界の汚濁に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私達は身以て体験し、痛感した(2020年4月10日 代筆 中島英樹(Blueiris))」。もうここまで書き換えられる時期に来たのでは無いかと、去年でしたか、今年でしたか、大宮のソニックシティのアニ玉祭に来ていた、角川歴彦さんには伝えたいものです。所沢にコンクリートの立派な建物を建てようが、送り出す本が、基本的良心に基づく本で無ければ、コンクリートの立派な建物も意味はないと、私が春日部の地で考える所存です。良心的編集のものとに、と書いてあるのだから、良心とは何かと考えて欲しいです。私が関わった出版社なのですから。中島英樹(Blueiris)。2020/04/10

懐かしいタミヤの250ccバイクのキットと、中学生・高校生の頃の日本のクォーターバイクブームを回顧したりしています。(遠い目でも、2020年にZX-R25が出るので)

2020/02/29 久しぶりにバイクのプラモを買った。それを機会に、昔のバイクとタミヤのキットに思いを馳せる。2020年から2021年にかけて、KAWASAKIから十数年ぶりに、250ccの並列四気筒のZX-R25が販売される。タコメーターの上限は20500rpmである。250ccで46psである。様々なネットメディアで「1980年代のクォーターブームの再来か」と往年を知っている人は言葉を出している。私もタミヤのキットとタミヤニュースでVT250Fを知った口である。当時中学生だったと思う。上記のキットでMVX250Fは入手している。今の所無理なのが、FZ250 PHAZER とVT250Fである。これはタミヤの英断で再版してもらうしかない。amazonでエラクプレミアのついたキットは買えない。高校生の頃憧憬だったのがFZ250PHAZERで、キットというか、実機を欲しがった。あとはスズキのWOLFのどちらかを20歳で乗ろうと思っていた。自分で働いた金で。WOLFは2サイクルだからもう無理だけど、FZ250だったら、今だったYZR-X250とかYZF-250NEOPHAZERとか言って、並列四気筒で、回転数20000rpm越えの48psくらいで、カワサキに対抗して出してほしいものである。もちろんヤマハの青い色で。カワサキのライムグリーンより、ヤマハのブルーの方が、しっくりくるし、ヤマハの味付けなら、20000rpm越えでも、マイルドな味付けになるだろうから、私はヤマハを選びたい。1980年代後半に高校生やってて、そりゃもう、半年に一回新製品が出る世界だったのだから、2020年代にそこまでは無理だとしても、並列四気筒のクォーター戦争がまた起きてくれるなら、バイク乗りとしては、最高だ。YZF-R6などを限界まで公道で使う事は出来ないのだから、「機械の限界まで使い込む」事が出来て、カーンでは無く、キーンと言うジェットサウンドが思う存分楽しめるのは250ccクラスなのだから。とにもかくにも、来年からの四大メーカーの出方が非常に楽しみに、私は普通自動二輪免許を取得したいと思っている。ああ、生きていて良かった。(^_^)。

KAWASAKIから2020年10月にニュータイプ専用の250ccバイクが出ます。

Ninja ZX-25R/KRTエディション 、うーむ。

昼休憩は昼ご飯を済ませてタバコを吸いながら、いつもスマートフォンでメールチェックやGoogleDiscoverで、なにか面白い情報があれば、と眺めていたりする。今日も検索履歴や閲覧履歴を元にGoogleのAiがヤングマシンと言う雑誌の情報ページを紹介してくれた。2020年の原付2種のスクーターの紹介記事だったが、ディレクトリを上がって、カワサキのミドルクラスの新製品の紹介記事を見て、読むと、「ムムッ」と思った。元記事URL→
https://young-machine.com/2020/02/14/73235/
この、上記の写真のNinjya ZX-R25R/KRTエディションのスペックをよく読んでみた。250ccで並列四気筒で、過給器っていうかラムエアダクト装備で(^_^;、倒立フォークで、トラクションコントロールで、実回転数上限17000回転で、タコメータのスケールは20500回転まで。(^_^;だって。最高出力馬力が、ZXR250を越えた47馬力(^_^;。このスペックを読んで記憶し、「なんかスゴイ250cc出るんですけど」と思い、休憩は終了した。いつものコンビニに向かう車上で、「これ、ニュータイプじゃないと限界まで使い切れないよな。普通の人が限界を公道で攻めたら死ぬな」とふと思った。さすが「き○がいマッハ」作ったメーカーである。あるいはタンデムツインのKR250とかH2とかH2CARBONとか出しちゃうメーカーである。250ccで過給器だよ。さすがにH2とかは私は絶対乗らない。天国に召されてしまうからな。でもそのテイストが96万円で味わえる一台である。これを全開で公道で乗れる人は多分A級ライセンス持ちで、プロライダークラスじゃないと機械の限界まで達しながら楽しむ事は出来ないのではないだろうかと思う。凡人は、限界に挑んだら、相当痛い目に遭うように思う。YAMAHAはここまでやらない。もっとフラットな、街乗りにもスポーツ走行も楽しめるような、穏やかな味付けにするだろうから、ここら辺でメーカーの志操の違いが楽しめるな、と思う。このZX-R25が比較的に長く生産し続けられるなら、私は買って見たいと思う。もう若くはないさ、と「いちご白書をもう一度」の歌詞が思い浮かんでしまうけど、このマシンを乗りこなす為に、身体感覚や反射神経を鈍らせない様にすれば、きっと私もまた、「公道のニュータイプ」の称号を得られるような、そんな気がする。ニュータイプにはふさわしいマシンだと直感する。2020/02/24

片岡義男は2017年当時の78歳(当時)でもジーンズとコットンシャツを着ている。2020/02/22

http://oskasyounenn.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/by-d59e.html

昨日、ふと気がついた事で、目を通した二つの情報がある。一つは、1993年に神保町のモントークというジーンズブティックで手にれた、Livi’sのカタログである。それと、Youtubeで「片岡義男」と検索して、出て来た、片岡義男全著作電子化のトークショーの映像である。1993年、曙橋のデザイン事務所でアシスタントデザイナーの職を得て、少々潤沢な給料があったので、神保町の三省堂書店と書泉ブックマートの間にある、小さめのビルの1階と2階にあったMontokeと言うジーンズが主体のブティックでジーンズでLivi’sの510などを購入して着ていた。「次ぎはUS505を買おう」と思ってカタログを入手していた。そしてそのカタログは中島家に50年存在している本棚にしまわれたまま長い年月が経った。掘り起こしたのは数年前、20年以上、タイムカプセルに入れて埋めていたようなモノだった。そして、1993年当時のLivi’sの製品のジーンズのラインナップが、今とは比較にならないほど豊かな世界だったことが解る。今のLivi’sの製品ラインナップを見ると、以前の異常な501セールは収まったモノの、1993年から比べるとバリエーションは4分の1くらい、そして値段も四割増しの1万円越えで、ちょっと購入を躊躇する。片岡義男の話に戻すと、その動画を見ると、2017年の映像だったが、当時78歳で、ジーンズとサーモンピンクのコットンシャツをラフに着こなして、トークショウで話をしていた。その映像の冒頭を見て、「もうスゴイ年だろうに、ジーンズ履いている(^_^;」という印象だった。そして、「さすが片岡義男だ」とも思った。2020年、81歳である。講談社が発行している、文芸雑誌の「群像」にたまに1年半に一回くらい、片岡義男の新作の小説が載る。読んでみる。そこで読んだ感想を今言うと、「クリントイーストウッドが、『運び屋』で老齢の麻薬の運び屋を演じる様な物だな。予告編で『ダーティハリー』の映像をカットインさせていたけど、88歳はそれなりの役回りがあるものだな、それと同じだ」と思っている。「スローなブギにしてくれ」や「湾岸道路」や、さらに遡ると、平凡出版のPOPEYEの「片岡義男のアメリカノロジー」のコラムの世界は、ある程度カタルシスの世界として、時系列の奥の方に行っている。あの当時POPEYEを読んでいた高校生は今61歳とかOver60である。時の流れもしょうがないと思わないのが、今でも片岡義男はジーンズを履いている、と言う事である。私は、ジーンズが難しくて、チノパンばかり履いているが、その映像を見て、「やっぱり505を履くしか無いや、大宮で買おう」と思った。そして、この記事では、私は片岡義男を片岡義男と呼び捨て続ける事に確信を持つようになった。片岡義男も中島英樹(Blueiris)も、同い年の32歳のバイク仲間だ、と思う。絶対の確信を持って、片岡義男は、「片岡義男先生」とも「片岡義男さん」とも「片岡御大」とも呼ばれる事をNoと言う人物であろう、と映像見て革新している。81歳でも52歳でも同じ32歳で、バイク乗りだ、バイク仲間なんだから、お互い呼び捨てにするほどのバイク仲間のままだ、と思うので、この固定ページでは、延々と片岡義男、と呼び捨てる事に、疑念が無くなった。そんな所だ。2020/02/22

原付バイクでは限界なので、125cc以上400cc未満の自動二輪の購入を考えております。2020/02/22

上からSRX400、YZF-R15、KTM RC125。どれにするか悩んでいます。2020/02/17

東京の連中の妨害やはしご外しが無ければ、私は多分2020年末くらいに、原付二種あるいは小型自動二輪、あるいは普通自動二輪のオートバイというモノを手にする事が出来るだろうと思っている。そういう計画である。なぜ50ccの原付スクーター、HONDA Todayを卒業する気になったか、と言うと、毎日の通勤で、国道16号を走るにあたり、原付では限界がヒシヒシと感じられる様になったからである。朝・夕の国道16号は片側2車線で、その車線間の中央をバイクで走るととても快適である。乗用車・トラックは軒並み渋滞するが、バイクはお構いなしに進む事が出来ると知った。国道16号でも流れる時は順調に流れる。その時追い越し車線を原付で走るのは無理があると、毎日思いながら左車線でゆっくりした速度のトラックの後ろについて、ゆっくり走ったりもする。少なくとも原付2種以上400cc未満のオートバイなら追い越し車線を、乗用車と同じ速度かそれ以上で走っていくことが出来ると実感している。つまり国道の片側二車線の道路は原付にはもう無理だ、と思う様になったからだ。原付では、片側二車線、右折レーンがあれば、交差点付近は3車線になるが、そうなると法令上二段階右折という面倒くさい事態になるのだ。千葉県の柏市で、初めて二段階右折をしなかったと言う事で、罰金を払う羽目になって、そこでやっと「原付は片側二車線以上は二段階右折すること」という放法規を知る事になった。自動車教習所で一応授業はあったと思うが、自動車免許を取る事で一杯で、原付に乗ることは想定していなかったから、覚えていなかった。それ以来、春日部近辺の主に国道で片側二車線の部分では、二段階右折すると言う運転になったのだった。そういう蓄積もあったし、昔の倉庫勤めの時、やっとお金を10万円作って、春日部自動車教習所で普通自動二輪の教習を開始したのだが、長年の抗精神病薬の投与で、運動神経が服薬前のそれとかなり違っていて、アタマで思っているほど、身体も反射神経を追いつかなかったので、一本橋の教習でつかえたまま、お金がなくなり、一旦普通自動二輪免許を取得することを諦めた経緯がある。なぜその時普通自動二輪免許を取ることにしたかというと、吉川市の倉庫の奴隷労役よりも、バイク便ライダーになった方が良かろうと思ったからだった。やがて、建設現場で体重を90キロから73キロに減らし、大分心身の回復が行われたので、もうちょっと反射神経を回復させて、普通自動二輪免許をなるべく順調に取得したい、と言う機運に向けている。普通自動二輪免許を取得したら、私はYAMAHAのSRX400のセル付きの後期型とかⅡ型と呼ばれるバージョンの、メカニカルの塊の様に感じられるシルバーの中古車をなりふり構わず欲しい、と思った。タミヤのプラモデルのSRX-6のキットの写真を見ていたので、「これこそバイク」と思った。バイクの王道だろう、カウル付きなど邪道、キックだとかったるいけど、せめてセル付きで、くらいの感覚で、SRX400の購入を考えていた。値段も198000円くらいから298000円くらいから流通している。つい先週くらいまでは選択肢はない、と思っていた。でも、「125ccくらいで、エンジンの限界までぶん回し続けるのも悪くないかな、昔NS1でそうやってたわけだしな」と思った。125㏄で国産、国内流通をしらべても、125㏄~150㏄では、まだスクーターがメインで、ミッション車はあんまりかっこよくないユーティリティバイクみたいなのが、HONDAあたりから出ている。モンキーとかそういう感じのとかそれに類するもの。YAMAHA・KAWASAKIは出していない。最近のニュースでは、 「GSX-R125 ABS」と「GSX-S125 ABS」 と新しいラインナップが出て、ようやく自分の望む昔のレプリカっぽいラインがある。でも私はSUZUKIは昔のKATANAかRG-Vガンマ位しか食指が動かない。RG-Vなんてもう2サイクルは、22世紀にでもならないと販売されないだろうから、考えてもしょうがない。ただSUZUKIの取り組みでHONDA・YAMAHA・KAWASAKIが昔のレプリカブームくらいの、力の入れようで125cc~150ccクラスで元気なヤツ出してくれれば非常に嬉しいなぁと思っている。そんな中で、NS-1と同じテイストのフルカウル125ccのレーサーレプリカを出しているメーカーがあった。KTMである。KTMのRC125は側面からの写真で見ると、昔のレーサーレプリカ風で、そそられる。値段も30万前後、ただ、オーストラリアのメーカーでカラーリングが黒とオレンジの1パターンしかないのが難点だ。しばらく乗ってカラーリングに飽きたら、専門業者に頼んで、オールペンし、桜花意匠のブランドロゴをカッティングシートで作成して、桜花意匠オリジナルバイク、なんてカスタムを施してもいいかもと思っている。それよりも以前、近所のウェルシアで、オーナーの人と話した、私はエポックメイキングな車両がYAMAHAのYZF-R15である。最初にウェルシアで見た時、「なんだこのYZF、日本のヤマハのWEBでは見たことないぞ」と思った。150ccのYZFである。オーナーの人に話しかけて、輸入車だと知った。どうも海外のYAMAHAの製品らしかった。2週間前検索してみると、インドヤマハの製品でYAMAHAのYZF-R15が、日本でも流通している。中古は出玉がかなり少なく、新車ばかりで大体30万円より少し上かな、と言う感じだ。スタイリングもYZF-R25に割と準じている。YZF-R25は60万円超になる。2020/02/22の心証では、SRX400よりもYZF-R15に決まっている感じである。一番の理由は、中古のバイクを買うと、あちこち壊れて結局新車を買うのと同じ値段になる、と、以前、値段でHONDAのDioを購入して、2年ほど乗って、マフラーが詰まったとか、タイヤがすり減ったとか、Dioは2サイクルで割とエンジンは挙動が不安定で面白かったけど、それに懲りているので、新車で、7~8年、メンテナンスで重要な修理が必要無い購入をした方が、長い間不安無くバイクに乗れるのではないか、と思った。Dioは失敗だったので、借金してTodayの新車を中国製と諦めつつ購入して、それで今4年ほど満足している。乗っていて壊れそうな不安と言うモノが無い。思ったように動いてくれる。でも最初に言ったように原付では限界である。だから、次ぎの125cc以上400cc未満の自動二輪は、新車の方がよろしかろう、と今は思っている。SRX400がSRの様に生産し続けられていれば、間違いなくSRX400の新しめの中古を買ったろうが、もう部品はないであろうから、インドをマーケットとして、新車を生産し続けているYZF-R15の方が、7年から10年安心であろう、と言う見込みである。上記の写真で見てもらうと解るよりに三つともどれも魅力的である。でも私は趣味とビジネスの両方を満たす為にバイクに乗っているので、スマートフォンはdocomo一択であるのと同じように、安心感を高い値段を出して獲得することに、最近気兼ねが無いようになった。それでいいと思っている。2020/02/22

ブタペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年展 国立新美術館

一月末に、秋葉原に源泉徴収票を受け取りに行くとき、時間調整で入谷の合羽橋道具街を見て、上野駅に向かう途中に、この美術展のポスターを見た。「あ、こんなのやってたんだ。国立新美術館か、盲点だった」と思い、即座に行く事にした。今日、2020/02/14に、乃木坂の国立新美術館に行って見ると、これが大当たりで、まったく混雑していない。ハンガリーというと、まぁ人はこんなもんだ、と言う事になる。これがゴッホとかルノワールとかモネとかになると、もう人の後頭部見る為に館内に入るようなものになるので、今回はタイトルに救われた。おかげで上記の女性や以前見た、元カノとかにも会えた。この一枚で、ブルーでもパープルに寄った、微妙な紫を気に入るようになったわけだ。図録は3300円とちょっと高いけれど、来場者ががそんなに多くは見込めないのだろうから、ロットが少なめで高額になるという事は印刷業のセオリーであろう。
国立新美術館は千代田線乃木坂駅に直結の美術館である。と言う事は必然的に千代田線か、かなり歩いて日比谷線の六本木駅からのアクセスになるのだけれど、もう私は東京の街並みなどに興味もないから、乃木坂駅で降りて、そのまま国立新美術館に入り、見終わって、購入し、地下一階のアートショップや3階のアートライブラリーを見学して、ダッシュで千代田線、北千住で乗り換えて、東武スカイツリーラインで春日部まで、片岡義男のメインテーマ2を読みながらの電車になった。東武スカイツリーラインの西新井から越谷・せんげん台まで車窓をちらりと眺めると、かなり東京化というか、東京化と言うヒエラルキーの中でも、下層レベルのコンクリートのビルとマンションが多くなった。私が小学生・中学生の頃に見やった、日光街道の街道沿いの街並みが越谷まで、破壊されていって居る。この記事を書いていても、昔の東武伊勢崎線の沿線は、なんだか、ごちゃごちゃした世界で、人が住んでいる個性があったけれど、マンションがいくつも建つようになって、嫌悪感を覚える。だから私は東武スカイツリーラインはほぼ全く乗らなくなった。東京でも、可能な限り、湘南新宿ラインを使う様にしている。そっちの方が、まだ、見慣れていない部分もあるので、比較的新鮮だし、例えば品川に用事で行くときなんかは、大宮で上野東京ラインに乗ってしまえば、40分、読書しながらぴゃーっと品川や大崎などに着く。いままで地下鉄でチマチマ行くことをほぼ省くようになった。去年、建設現場の仕事で半蔵門線の使い方は覚えたけど、今は不要のスキルだ。乃木坂に行くのだって、そんなことを考えながら、電車に乗っている。2020/02/14