日光(東武日光)と宇都宮行ってきた。宇都宮で餃子を食べるのは生涯初めてで、宇都宮の地に立つのも初めて。トラムは走っていなかった。2020/08/07

この駅は19歳の頃と変わっていない。30年ぶりかも知れない。
JR今市駅から日光線で宇都宮へ。このルートも生涯初めて。駅前の宇都宮みんみんの焼き餃子と水餃子は美味しい。真岡店で確認済み。
JR宇都宮駅から東武宇都宮駅に向かうまでに発見した「オリオン通り」。どこかで見たことある様なアーケード商店街だな、と記憶をたどると、吉祥寺のサンロード商店街に共通するものがあった。サンロードは東京のデザイナー様とかの手が入るから、もうちょっとデザインされていたような。江口寿史もノボリを書いてたりするし。そういう東京プロパガンタは薄いけど、東京ポテンシャルな、地方都市のかなり長大なアーケード街「オリオン通り」終わりに宇都宮東武百貨店のルイヴィトンがございます。
お土産日光今市で購入したろばた漬けのキュウリ。ろばたとかたまりとかメーカーに寄っては呼称が違う。日光カステラとかゆばは高くて買えなかった。
2020/08/07
この夕日を見て居ると自己イメージがルーク・スカイウォーカーにちょっとなる。

仕事帰りにララガーデン春日部のカメラのキタムラに寄りました。パトローネの記録に拠ると3月中旬の日付のカラーネガフィルムを現像とプリントに出すと言う気の長い芸術活動だ。仕上がりは3週間後になるという。銀塩フィルムの現像は関東全域から集めて、3週間後と言う事だろう。それでもいい。デジタルには不可能な粒子のある印画紙を見る事が出来るからだ。そして現像とプリントが上がるまでの、撮った風景の記憶から膨らむイマジネーションがその期間にはあると言う事だ。それがデジタルの即物性とは違う銀塩写真の魅力だ。帰りに古利根川の川縁で缶コーヒーを飲みながら夕日を眺める。スターウォーズのエピソード4「新たなる希望」の冒頭のルークが砂漠の中で二重太陽を見て居たような、そんな気持ちになる。「まだ、エピソード4が始まったに過ぎないのだな」とこれから起こるめくるめく怒濤のストーリーにワクワクするような、気が滅入る様な、そんな気持ちになった。52年で、エピソード1~3だったのか、これから「ジェダイの帰還」までどの位時間が掛かるのだろう、と思う。あの映画、たたみかけるようなストーリー展開だったよな、全9話な、と振り返る。2020/08/04

バイク人生の一つの目標、カワサキZX6R。2020/08/03

パールクリスタルホワイト×パールストームグレー
メーカー希望小売価格 1,353,000円

いつの日になるか、解らないけど、600ccに乗る。20代にヤマハのYZF-R6の登場で衝撃を受け、2002年くらいまでは、YZFーR6に乗る理想を持っていました。あの当時、R6は衝撃的だった。現行デザインだと購買意欲が薄れる。代わりにカワサキのZX6Rになる。単気筒ばかり乗っていると4気筒に乗りたくなる。単気筒だとプラグが被ると、40分くらいタバコを吸っていないといけないからです。2020/08/03

米、あれこれ。今までの人生で最高に美味い米を毎日食べています。2020/08/02

ヤオコーの新潟岩船コシヒカリ。2680円

朝、長い夢を見て、少し寝過ごした。メシは抜きにして、ファミマでパンとおにぎりを食べて、仕事に向かった。米びつを見た記憶で、「あ、もう米ないなぁ」と思った。仕事が終わって、帰りに一服してて、「あ、ヤオコーで米買って帰るか」だった。ヤオコーに行くのは、上記の「新潟岩船コシヒカリ」を買うためだ。最近この米以外あんまり考えて居ない。何故かと言うと高いけど美味いからだ。米を毎日運んでいると、米の銘柄で珍しい米を見る。今、トライしてみたいのは、鹿児島産ヒノヒカリとか、筑波百条米コシヒカリとか、ナスヒカリとか。以前、栃木を旅して、「栃木産の米手に入らないかな」と思っていたら、すんなり手に入れる事が出来た。産直栃木産コシヒカリ、二宮尊徳の米でした。米を運んでいて、たまに見かけたのが、パールライスの「岩船コシヒカリ」だった。「これ、俺のオフクロの育った地域の米ですよ」なんて話をしてて、岩船産コシヒカリを手に入れたかった。ヤオコーに行ったら、静かに売っているから、「これだ!」と思って、買う様になった。魚沼産コシヒカリの次ぎに高い、ハイグレードな米であった。税抜き2680円である。高いけど、毎日米を食べる、と言う事になると、1500円のぼそぼその米を食う気になれない、安くても長い目で見れば、高くても美味しい米を食べていた方が毎日のプラスになるなぁと思ったので、2680円でも惜しみなく買う様になっている。ただ、昨日幸手市の権現堂堤の農産物直売場で見かけた、埼玉産コシヒカリはパッケージの萌え絵に萌えたので、ちょっと試してみようと思う。今日行っても、もうしまっているので、次回は、と言う事だ。1860円である。2020/08/02

私の小説作法ABC、清和高校美術部物語の再開に向けて。2020/08/01

江戸川の土手上から見た、筑波山とその広大な江戸幕府領。
西宝珠花の街だけど、明治維新の頃は寶珠花村と呼称す。
こういう解説を読むと、はっきり江戸川というのは、下総台地を切り開いて作った人工の川と書いてある。

昨日、今日と反省して、「清和高校美術部物語」も放棄しないで、全話完成させたいなぁと、広域農道を走って、右に曲がらず、左に曲がって西宝珠花、昔村だった西宝珠花地区に向かった。「清和高校美術部物語2 西宝朱花美術奮闘記」のリフレインをして、また取り組む意欲が持てるかも、と言う希求があったからだ。以前インスピレーションを受けた、水田地帯に小規模な街並み、昔は村落だったが、そういう光景を写真に撮ったりして、また小説を書く気を起こさせる、と言う手段だ。宝珠花神社で、春日部市が掲示した、江戸川の由来と寶珠花村がなぜ出来たのかの歴史を知ることが出来る。寛永年間(1624年から1644年)の20年で創設された江戸幕府の人工の川が江戸川だ、とハッキリ書いてある。高校の日本史じゃ、一文字も乗らない重要な江戸幕府の坂東開拓の史跡が江戸川だと言う事だ。東京の江戸川区の人間で、どのくらいこの史実を知って生活しているかアンケートを取ってみたいものだ。上記の写真の上段は、私が庄和高校生の頃、たまに土手に上がって見ていた光景。こういう抜けるような広々とした光景を見ながら多感な高校生をやっていたんだな、と再認識する。そして中段は宝珠花地区の街並み。こういう街の光景を記憶に留めて、この街並みの中で何か物語を始められないか、と考え、キャラクターを一人ひねり出す。そうすると、そのキャラクターは小説の物語を私の脳内で始めるために勝手に動き出す。私は、そのキャラクターの行動や言葉を絵を言葉で解説するように、小説の体裁で言葉で筆記していく、と言うのが、私の小説作法ABCのAだ。このコツをつかめばいくらでも、自分や読む人に新鮮な気持ちを与える小説を書く事が出来る、と思っている。カクヨム作品で大分修練し、ある程度メソッドを確定している。あとはかくだけだが、ここまでこういうことを書いて、じゃぁ明日からバリバリ小説を書くと言う訳にはいかず、結局倉庫で米を運ぶことになるから、虚しいから、今はあんまり小説に取り組まない、と言う事だ。取り組める機運が高まったら、いままでやり残していたプロットを一つづつ完成させていきたいと思う。今日はそんな所だ。2020/08/01

こんなマグカップが旅したら手に入った。

道の駅ごかで、食事を済ませて、さて栗橋方面に抜けてみよう、と考えて居たら、施設の表に露天商多数で、中に、上記の青い釉薬を使った食器類を並べている露天商がいたので、マグカップが気に入ったので、2000円で買った。衝動買いだけど、青い色に引かれたので。そんな所かな。明日からコレでコーヒー飲んで仕事に出発です。2020/08/01

茨城県五霞の五霞インターチェンジの麓の道の駅ごかでうまいうどんを食べて、夏空の下の利根川流域を旅してみました。空はやっと澄んだ青い空が見える夏空になりました。2020/08/01

こういう光景を見ると、「片岡義男的世界の住人」になったような気がする。午前中、ペイパルのアカウントの完遂を経て、少々ペイパルの実装を勉強して、昼は外食にしよう、そうだ、久しぶりに道の駅ごかで、ローズポークとんかつか、そばうどんにしようと、原付バイクを走らせる。新国道4号は極力使わず、上記の様な土手とか水田の開けた視界の県道などを走った。その方が原付のスピードに合うなぁと思う。片側二車線の国道だと、原付は常に追い越される身分だから、ひやひやするからだ。道の駅で、やっぱり普通自動二輪とか大型自動二輪のバイク野郎たちとバイクを見る事になる。ミンナ夏モードだ。食事と買い物を済ませて、二輪車置き場に戻ると、カワサキのニンジャ400が停まっていて、車格は250ccとほぼ同じように見えるので、「やっぱり400ccクラスだと、上限にゆとりがあるかもなぁ」と思いながら道の駅を出た。最近出来た巨大な倉庫、ニトリが入っていると思われるが、良く解らないけれど、その脇を抜けて栗橋方面に出た。昨日寄ることが出来なかったから、行って見た。この茨城県五霞町や埼玉県久喜市栗橋とか幸手市とかは、行政の区分とかのイメージより、実際走ってみると、お互いが案外近い。春日部から南の東京23区までは、自分の隣の庭くらいの感覚だったが、春日部の裏庭のほうが広大で、しかも、面白い世界がうなるように存在しているのだから応えられない。その内普通自動二輪になったら、もっと利根川を越えて、広大無辺の世界を旅することになるだろう、と思う。2020/08/01

古河市から境町に抜けて、帰りは起点の春日部市の古利根川沿いのひまわり園で、1990年代のイメージのコールバックをした。2020/07/31

昔、同じ景色をフィルムカメラで撮ったの。ネガは捨ててないだろうけど見つからない。

旅に出る途中に、「あ、今年もまたひまわり迷路やっているのかなぁ」と思って旧国道4号線に出た。「帰りに写真を撮ろう」と思ってバイクを走らせた。1997年頃だと思う。ニコンのFM10を購入して、銀塩の写真を楽しんでいた。その当時はまだ迷路を作っていたから、ひまわり迷路だった。本当に畑もやめた空き地みたいな場所にひまわりを思い切り植えて迷路にして、と言う春日部市のイベントだった。その時写真に撮ってて、「ミスターチルドレンのCDのジャケットみたい」みたいな感触で数枚写真を撮って、随分長い事1990年代のWEBサイトに載せていたと思う。もう過去のMacintoshのMOとかに入れたデータで、取り出すことは困難なんで、また2020年に撮り直した。27、8歳から52歳でもあんまり現実を変形して見て居ない。つまり、夏に咲くひまわりは美しいと思うのは二〇数年経っても同じだった、と言う事だ。美しい対象をそのまま脳みそにしまう姿勢は全然変わっていない、と言う事だった。今日一日振り返るとそう思う。2020/07/31

国道4号線(日光街道)を北上して古河市の不二家レストランでランチした。2020/07/31

不二家レストランの油淋鶏のランチメニュー(^_^)

一月前から、「古河市の探訪って人生初だから、早く行きたいな」と思っていて、今日行く機運に恵まれたから行ってきた。明け方は雨の音が聞こえていたから、「今日は古河市探訪は中止かな」と思っていた。午前中の自宅での用事を全て済ませる頃には、明るい曇り空になったから、荷物を整えて行ってきた。日光街道は、栗橋宿まで、去年の10月に走破済みで、その時利根大橋を越えてちょっと越えて古河市に入ったけれど、古河市の市街にバイクで入るのは人生初。先月、電車とバスで訪問した時不二家レストランとプラモデル屋を発見したから、バイクで、と言う事だ。利根川から西側には、国道4号線と国道4号線バイパスというか、新国道4号線と走っている。20年も昔に、新国道4号線で小山まで行ったことはあるけれど、栗橋も、国道4号線までは利根川沿いを走ったことはあるけれど、国道4号線を通して古河市まで行ったのは生涯初めての旅であった。いつの頃からか、知っていた栗橋第一劇場という昔で言うストリップ小屋は健在で、今はWEB上ではライブシアター栗橋( http://livetheater-k.net/top.php )となっている様だけれど、実際は栗橋第一劇場のまま存在していた。いつかは一回は入って見たい劇場である。ちょっと春日部よりには、ボートピア栗橋という、競艇場+場外艇券売り場がある。一回入ったけど、もうギャンブルで拝金主義者になりたくないので、見学だけ。利根川を越えるときは雄大な大きな川を越えるなぁと言う実感があって良い。北川にはJR宇都宮線の鉄橋が見えて、とかね。ずーっと土手と開けた平野が見渡せる。古河市に入って北上していくと、街並みは春日部と同じような佇まいになる。仏壇屋が二軒ほど見られるのが春日部と違うけど、ほとんど春日部市と印象や雰囲気が似ている。駅前方面はホテルやマンションが多くなる。街中のファミリーマートで一服して、Googleマップで経路を確認しているとき、人生で二度目の体験をした。蜂に刺されたのである。ズボンの左足の膝まで入り込んでて、感触が変だったからズボンをもむと激痛が走って、ズボンをまくると蜂が逃げていった。珍しい体験をしたものである。ファミリーマートから折り返すとすぐ不二家レストランにたどりつく。出発が正午で、2時過ぎに入ったから店内は人も少ない。ゆったりと、地方の不二家レストランでランチを食べる贅沢。不二家レストランは銀座で二回ほど入ったけど、銀座のイメージを古河で味わおうと思ったけど銀座には遙かに及ばないフツーのファミリーレストランだった。女の子の誕生日おめでとうイベントに出くわして、そういうサービスもあるんだぁと感心したけどね。油淋鶏も美味しかった。グレードは高いと思う。さすが銀座の系譜だと思った。あとはプラモデル屋でレアなバイクのキットを探したり、平和通りという自衛隊の空挺団の基地の脇の道路を抜けて、旧総和町から境町に抜けて利根川と江戸川を渡って野田市関宿から幸手市、杉戸町、春日部市と帰って来た。空は雲が青空に大分押しのけられて、いい天気で、梅雨が明けたかな、と思った。総じて、今日行って見て良かったと言う事だ。2020/07/31

ふと思い出した、私の過去の人脈にはこういう社長が居た。2020/07/28

なんかあのー親の金でビール飲んでいるアピールばかりしてて、ボコボコに叩かれまくってアタマのおかしくなった人が結婚したそうで、おめでとうございます。その記事を読んで、「ああ、そういや、あんな社長いたなぁ」と思った。その「社長」と出会ったのは、1999年の末、夏に青い空を見上げても「恐怖の大王」は降臨しなくて、なんだかな、と言う世紀末の年だった。一ノ割駅でアドアドと言う誰も読まない、読むのはホームレス準備OKな人くらいしか読まないフリーの求人情報紙を見て、「DTPオペレーター募集、出力センターM」と書いてあった。「こんな求人誌にDTPオペレータの求人が載るのは珍しい」という事で、八丁堀に面接に行ったら、即採用だった。全然知名度の無い出力センターというかDTP事務所だったけれど、機械はDTR1065とか、AGFAのアバントラとかAGFAが多かった。あと珍しかったライノタイプヘルのトパーズのスキャナがあったかな。その会社では、結構東京の当時としては、まぁ新鮮なDTPの仕事が出来た。凸版印刷のTANCに出入りして、「地球環境」という環境の雑紙のレイアウトDTPを任された。女の子も二人つけて貰って、八丁堀の数ヶ月は結構楽しく過ごせた。昼休みに銀座にメシ食いに行ったり、お盆出勤で、八丁堀の原住民を観察したり、とか。やがて、ロクでもない変わり目が出て、じゃぁやめます、と言う事にした。社長は社長ヅラは出来るけど、内部統制とか、全然出来ない人間だった。意見してキレられたから、では、と言う事でやめた。社長と初期の頃は八丁堀の飲み屋で飲み、「俺って社長の風格」みたいな自分を支えているのは社長業、みたいな印象だった。三井物産のエライさんも、金がふんだんに出て、三井からAGFAの高い機械買ってくれるってんで、ちょくちょく出入りしている感じ。なぜDTP屋を始めたか、と聞くと、弟がデザイン会社を作って成功したので、山形から出て来て、DTP会社を作った、との事だったと思う。やがて時は過ぎ、2004年、秋葉原でバッタリ出会って、また付き合いが始まった。Mと言う会社は消滅し、弟のデザイン会社も分裂霧消したと言う。色々面倒みてもらって、というか、後からフリ買って見ると、2004年にこの社長と会ったのが、どん底に居るのにさらに底なし沼に足を踏み入れたことになるのは、振り返って思う事だが、当時は、地獄にホトケと思った。2005年頃から日雇い派遣の職を得て、何年間かは、電話連絡していたかな。ああ、そうそう、どん詰まりのDTP屋を紹介されて、3週間でケツ割らざるを得ないと言う。ああ、細かく書いていると中編小説になるから端折るけど、最後にあったのは、2010年頃だったろうか。借金の保証会社からの電話を受けるので電話番号は変えられないけどスマホにしたいというので、持っていたフリーテルのスマホをあげて、当時はNTTコミュのSIMが銀行引き落としだったから、その手配をしてあげた。そこで判明したのが、株式会社の範囲内の借金の他に、個人名義の借金が数千万円ある、と言う。話を聞いてみると、信用保証の裏技みたいなのを使って個人名義の借金を数千万円重ねて、でも、驚く事に、クレジットカードを持った事が無く、使い方も知らない、と言う社長だった。「は?(^_^;」みたいな驚き。なぜ八丁堀時代はそんなにお金があったのか、と言うと、実は親の山形の山や田畑を切り売りして、金にして会社ごっこをしていた、と言う事なのだった。そういえば、と大して利益の出ない仕事の割りには、高級なイメージセッターが三台も並んでいたな、とか、振り返ると雑な経営というか、機械を並べて会社の雰囲気出していた感があったんだな、と思う。親の資産を金に換えて、社長ヅラをしたかった、田舎者のオヤジ、と言う、自分の人生の出会いってなんなんだろう、と思う。南越谷の立ち飲み屋につきあった。会社も潰して、借金しか残っていなくても、まだMacintoshが欲しいというか、一台残ったそうで、もう逆転の目は無い。自己破産して、おとなしく晩年を送るしか無いと思うけど、それ以降電話も受けず、会うことも無かった。今も生きているかは不明だ。電話に出ると、過去の失敗の愚痴が続き、聞いているとこっちの頭がおかしくなるからだ。こういう「社長」とか結構世の中には居る。ゆめゆめ肩書きだけで、人は信用出来ないという事だ。吉川の倉庫じゃ、毎日5千円をコンビニで返す日雇い派遣で生きている、元社長とかもいた。100円ライターが買えないから、私は100円をおごった、と言う苦役列車の世界な話がザラにある。だから、親が資産家だと、子供は可哀想である。家をおん出て、男一匹、0から自分の人生を積み上げる覚悟が出来る子供に育たないからだ。親にマンションを買って貰って、時給960円で、50歳を過ぎるとか、そんなのザラにある話だ。私はそういう話を聞くと、「俺って両親に恵まれたな」と思う。昭和一桁で、国民学校を出る頃にはB29に焼け野原にされた街で生きてきた親に育つと、精神を継承しているから、恐い物はなくなると思う。今はコロナウイルスで日本は焼け野原の様な物だ。そこから21世紀を始められる。昭和20年の夏から始まったように、新しい戦後の物語を紡いで行きたいと思う。

言葉ってなんだろうか。なぜこのWEBは中島英樹(Blueiris)が出会った人にだけ見て貰いたいWEBとテキストなのか、の説明を含む。2020/07/27

ここ数週間を総括すると、中島英樹(Blueiris)には11年間のWEBやブログや5ちゃんねるの発言・画像を全てコピペして、自分のプロファイリングをして、自身のパソコンに記録し続けている、私からみれば、どうでもいい人間が一人居ると言う理解があった。私の人生はそれは私の物語で、WEBでも5ちゃんねるでも克明に自分の歴史を事細かに語るつもりはない。じゃぁ自分語りはしないのか、と言うとそうではなく、自分の小説を中心として、その創作の中にエッセンスとして盛り込んでいくつもりです。というか、今までのカクヨム小説作品でも既にそういう事をやっている。ミンナ気が付かないだろうけど。自分の歴史を読みたかったら、まぁカクヨム作品で断片的に私の人生のエッセンスが読める様になっている。直線的な時間軸で自分の人生を直接語る自伝・自叙伝みたいなのを今の年齢と機運で書く事はしない予定だ。あと数十年たったら、振り返る事にするかもしれないけれど。とにかくこの、知ってもらいたくも無い閉鎖病棟住人に、自分のプライバシーをまさぐられて記録されている現実にむかついているし、マジギレって言っていい気分で今日は寝るけど。この閉鎖病棟住人、言葉をそのまま言葉で受け取っている。言葉を記録し、記憶し、私の言葉をオウム返しのように吐けば、私と同じような人間になれると思っているらしい。blueirisrと言うblueirisr8のなりすましアカウントのツィートを見て居たけど、私の言葉のアウトラインをなぞって、さも私の発言の様にタイムラインに並べ、顔写真は私のサイトから盗んだもの。自分のすごく高い意識で表した絵画の画像もかすめ取って並べている。それで、フォロワーが、600人とか、いい加減にしろ、と言う事で凍結してもらった。ただ、その事象を経験して、「私の言葉ってなぁに?」って思う。いや、私は11年間の5ちゃんねるの言葉のやりとりを考えて、「私と対面して、会話した会話が100パーセント私と真実と実存を伝える言葉です」と思う。言葉だけ一人歩きしても、私と言う実存が伴わない私の言葉は、言葉だけだと50パーセントはウソになるからである。そして、「補助で、データなどは渡した名刺のURLのblueiris.jpで読んでください。小説も、PDF・EPUBで全て無料で読めるようにしてる再仲南で」という事にしたい、というか、名刺を配り始めた時から、私と出会った人にだけ、読んでもらいたいWEB、と言うのがこのblueiris.jpなんだよね。それでもIPアドレスと、HTTプロトコルは、人間の意識の垣根をすっ飛ばしてしまって遠慮なく、上記の閉鎖病棟住人に記憶されてしまうと言う弊害がある。だから11年間は無駄で失敗でした、なんだけど、その失敗を成功に生かすアイデアていうのは、自分は発想している。日本どころか、世界でまだ「そういう手で来ますか?できますか、あーでもいいですね」と世界が見習うようなアイデアである。でもそれを形にするには、株式会社程度の法人にして、いくつかの銀行と連携してNTT各社などと連携をとれれば、日本のITをV字進化出来る様に思っている。でも、今はまだ東京が完全に終了していないから、本当の日本の21世紀を始められない、と今はだから、脳みそを麻痺させて、倉庫で働いて、週休4万5千円程度を手に入れるだけにしておくしかない。ただ閉鎖病棟住人は、さらに拘禁衣を着て貰うような、そんなビジョンで努力したいと思っている。2020/07/27

https://www.youtube.com/watch?v=ayNyG4j46EY

この人の動画は為になるので、たまに見て居る。持続化給付金で逮捕者。詐欺集団暗躍なんだよね。月曜日に一件電話入れるって、春日部税務署なんだよね。5ちゃんねるで、給与所得と、事業収入0で、給与所得から事業を整えるための経費出して、しかも複数給与だから、どうしても年末調整との整合性をとるために確定申告をしなければならないだけの話なのだけれど、5ちゃんねるで、「中島英樹(Blueiris)は事業所得を誤魔化している」とか「脱税だ」とか言われている。だから、匿名の変なチクリ通報が多分月曜日に行われる可能性があるので、春日部税務署に、「ああ、中島英樹に関して、匿名の通報があった場合、電話番号を記録して、通話音声は録音しておいて下さい」って電話しておこうと思う。これだけ言われると、誹謗中傷とネット上での信用損壊と、営業妨害に当たるよね。民事か刑事かどっちするかだよね。火の無いところに無理やり火をつければ、そりゃ煙は出るわな。最後に事業所得ってあったの4年前くらいかな。それ以降、事業所得0になっているけど、税務署もチェックしてて、何も電話も訪問もないのだから、いいはずだし、こういう見方をする悪意って放っておけないと思う。一回、職業安定所で、そういう匿名の通補あったからね。自分の理想としての「株式会社Blueiris」のホームページを光陽っていう、電子書籍の出版社のサイトの跡地になんとなく作っていたのを5ちゃんねるの名無しが「雇用保険の不正受給だ」って匿名のチクリ通報して、職安のエライ人と面談になって、誤解です、と言う話になった経緯があるから。今回から録音だよね。犯行声明って必ず、5ちゃんねるにするようだから、接続履歴も新しいから残ってるんで、開示して照合して、民事か刑事か、だと思う。そう言った意味で電話する、と言っている。匿名ってどこまで卑怯なんでしょう、と思う。一人づつ、明らかにしていけば、その内全員居なくなるかな、と思っている。2020/07/25

2020年7月25日 ふと過去を振り返って思う人生訓。

これから、2020年1月からの5ちゃんねるの過去ログを保存していくのだけど、その前に一服してて思い付いた言葉を語ろう。「雁が空を飛んでいくのをカメが見て、カメが自分も雁になりたいと願うことは自分自身を傷つけるだけであろう」という言葉が、加藤諦三の「自分を嫌うな」という本の中にある。20代、一回わざとデザイナーとして挫折して、「自分が本当に望む生き方ってなんだろう」って逡巡しながら生きていた数年がある。自分はカメの生き方で生きて行っていい、と徹する感じに、新宿区榎町の印刷工場で働いて居た。そうしたら、そこで私は雁になった。カメでは無かった。実は雁だった。デザイン事務所で、私はカメだと思うようになっていたけど、今東京の出版事情やデザイン業界を見ると、ミンナカメに見える。単に装飾が派手で宣伝とイメージがやたら高級なカメに過ぎない様に見える。あの、デザイン事務所で私を嘲笑していた人間は、今?鳴かず飛ばず。何やってメシ食ってんだか、良く解らない。20代で見えたスゴイ先輩も、20数年経つと、単に印刷物にインク塗ってるだけの「デザイナー様」みたいに見える。雁は、空を飛んで、遠く北の島に渡るのが生業だ。じゃぁ雁は空を飛んでいて楽しいか、カメより幸せなのか、と言うと、そうではない。雁は今度は漁師に狙われるんだよ。悠然と空を飛んで、なんの苦難も障害もなく、北の島にたどり着けない。カメの生き方だと、漁師には狙われず寿命長く生きられる、と、どちらがいいか、なんて、雁もカメもそれぞれに人生の終末に自分自身に結論を出して寿命を全うするのが地球上の生命の理なんじゃないかな、とタバコを吸いながら、そう思うんだよな。さて、過去ログを半年前から限定にして、保存していこう。今日の仕事(これも創作の一環と得心するしかない)はそこまでにしたい。明日も5時に起きて仕事だから。一週間かかるよ。溜息。2020/07/25

2020年7月25日 水海道に味噌を買いに行くついでに、雨の水海道や岩井を取材してみた。雨の日に出て正解だった、と言う感想。

国道352号線から水海道市街に向かう交差点をぐるりと見渡すとこういう水田の世界になる。水と植物の世界。これは刺激になる。

午前中、メンタル科、帰って、確か保存してあったはずの5ちゃんねるの過去ログのフォルダが見つからない。多分、うろ覚えなんだけど、半年前だかに5ちゃんねるは忘却の彼方に押しやるためにバックアップもとらずに消去したような、しないような、とうろ覚え。ちょっと気がかりを頭に残して、雨の中を水海道に味噌を買いにいくのと、雨の中の水海道を取材し記憶しておけば、後の小説の素材になるだろうから、と、億劫ではなかった。勇躍出発してみた。行きは雨はあんまり降っていなかった。帰りが大変で、国道352号線は晴れた日は走りやすいけど、強い雨の日は水たまりが結構深いというのは雨の日に走ってみないと解らないことだった。水海道を出る頃は、雷がごろごろ言って、強い雨。水たまりに突っ込んで全身に水を被ると、マフラーから水が入らないか心配になった。途中予感がしていた。「こういう過酷な状況で、さらにプラグが被る気がする」と思いながら走っていたら、やっぱりプラグが被ってエンジンがストールした。こうなると30分から1時間、エンジンを放置してプラグが乾くのを待つしか無い。エンストした交差点の角には自動車修理屋が建っていて、営業は土曜日でしていないようだったけれど、軒先で雨宿りをしながら、タバコを一服し、雨の板東市を楽しんだ。ネット対策の短期的には具体的にどうするか、等を考えながら、スマホでネットを見たりするけど、水海道の取材の豊かさが壊れてしまうようで、すぐスマホを仕舞って、ぼんやり雨の光景を見ていた。岩井で温泉に入り、コロナ前だったら、営業していた蕎麦屋が営業休止で、昼メシが抜きになったから、残念だった。温泉に入ったら道半ば以上、と思って野田市に抜けて、庄和町のマクドナルドで昼メシと晩飯を一緒に食べた。帰りに、頼まれていた味噌を渡して、5ちゃんねるの笑い話をして、気を紛らわす。しばらくの雑談の後、気を取り直して自宅に帰った。これから、1週間くらいかけて文章を作成しなければならない。小説や創作にスッキリ取り組むために、雑味成分は自分の中から取り除くと言う、土を耕し、雑草は除去するような農民の様な手順でゆっくり対処していきたいと思う。雨がザンザぶりの中をバイクでこれだけ長距離走るのって随分久しぶりだったけど、行ってみて正解だった。肉体的に感覚が研ぎ澄まされ、思考がシャープになるような気がする。車だとこうならない。雨は避けられるけど、ドアtoドアになって、車の硝子窓の向こう光景は単に流れるだけで、そこに発見や閃きは生まれないからである。だから私はバイク派になった。それで私に取っては正解、と今日の旅の総括になるわけだ。2020/07/25

2020年7月24日 Youtubeのメニューをざっと眺めると、海を挟んでとなりの赤い皇帝もそろそろかな、と思う。

2019年の4月だったよね。護国寺の東京大学の学生寮の建設現場で、一人の赤羽のスポット労働のあんちゃんと静かにスマホ決済からアメリカ・中共シナと為政者の話になってこういう話をした。
「ああ、あのさ、トランプとか習近平とかさ、ああいうでかい話するだろ。習近平とか一帯一路とか言って、世界覇権は俺様のモノだ、みたいな言い方する国の代表とかさ、ああいうの長続きしないから。人間存在の実存でみるんだ。良く良く一人の人間としてみると、単にでかいことを言って、人間や国や世界がひれ伏す、みたいに思っているのなんて、実際の一個人はたいした事の無い矮小な人間だよ。トランプもそう。イラン派兵だなんて言って、テレビの映像に航空母艦を中心とした大艦隊が移るのを世間に見させて、『どうだ、俺様はこんなにエラクて強いんだ』なんてやってるのは、一個人としては、追い落とされるんじゃないかってビクビクしている小物だよ。だから、アメリカだ、中国だなんてビビってないで、俺らは単に1日働いて日当1万1千円貰って、美味いメシくってりゃそれでいいんだよ」みたいな事を言って、若い人を啓発しました。最後に、「始まりだよ」と言い、兄ちゃんは「始まるのですか?中国が?」と返されると、私は「終わりの始まりさ」2019年に、中共シナの本質を見抜いていました。中共シナもアメリカも、10年後~100年後~1000年後にはぶっつぶれているし、2030年までに、「ある人の善政」が始まるようなので、2030年まで、アメリカ・ロシア・中共シナ・ヨーロッパで100年単位では20世紀文明のダメだしが、1000年から2000年、或いはシュメール文明まで遡れば6000年間のダメ出しが行われるようなので、それまでは、世の中真っ暗、と言う気がしています。夜の闇が一番深いのは夜明け前の暗闇ですから、思い切り暗い時代のあと、21世紀から31世紀までの太陽が昇り、明るい光が地球全土を照らし出す様に思うようになりました。今日、杉戸町の水田の中を走って、このニュースを見た記憶から、そう閃きます。
仏陀は仁王経で「若し王の福尽きん時は福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」と言っているし、薬師経で言っているのは「若し刹帝利・灌頂王等の災難起らん時所謂人衆疾疫の難・自界叛逆の難・星宿変化の難・日月薄蝕の難・非時風の難・過時不雨の難あらん」と言っているよと、日本の日蓮上人が立正安国論で引用していますね。て、ATOKで変換しにくい漢字が並びましたが、実際パソコンで文字にしてみると、思い切り今の中共シナに当てはまっていますね。人衆疾疫の難って、これコロナ禍の事だろうし、自界叛逆の難って、今の人民解放軍でクーデター計画の情報いくらも出て来ているしな。星宿変化の難ってこれは地球の大地と天体の運行がいつもと違う、と言う目にあうから、大地がおかしくなる、と言う事があるのかもしれないし、日月薄蝕の難って、日食・月食というか、日神とか月神の加護がなくなる、と言う解釈かな。非時風雨の難は、今出て来ているのは、思い切り長雨で、三峡ダムだっけ?決壊間近で1500万人が水難に遭うかも?とYoutubeの反共中国人の動画で出ていますよね。じゃぁ雨の降りすぎの次が過時不雨の難、と言うのは雨が降らなくて、干ばつが起きて食糧難になる、と言う事になるのかな。これ、仏陀は予見したんじゃなくて、地球に文明と国家が出来た頃からの歴史を勉強したんだと思いますね。国と国王が道を誤ると、どう国が滅びていくのか、データベースから法則性を見いだして言っているんだと思いますね。シュメール人(スメル人)がメソポタミア文明の夜明けにシュメール文明を地球上にいきなり創り出してから、様々な都市国家が出来てー、とか仏陀も日蓮さんも歴史を学んだんだと思いますね。「ああ、勉強していないキミたちに言うけど、昔から、ロクでもない国王になると、いっつも国ってこう滅ぶからねー、気をつけてね」という事を仏陀も日蓮さんも言いたかったのでしょう。私が毎日、読授している法華経の方便品第二には、十如是という文言を三回繰り返すことになっています。それは、「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」いわゆ諸々の法(法とは宇宙と生命を貫く真理・ことわり(理))は(中略)で本(大きな全体構造)も末(一番小さな部品)まで突き詰めると同じく等しく様相を呈する、と言う事なんです。これはどういう事か、と言いますと、目で見える宇宙・銀河系・銀河を含む大銀河団・さらに大きな大宇宙構造から、人間を構成する細胞・原子まで同じ様相で存在し、実存として如是相から始まって、同じ様相です、と仏陀の直観での理の理解を2020年の私たちは言葉で伺いしる、と言う事ですね。習近平もトランプも、5ちゃんねるの精神病認定生活保護生活・東京都大田区蒲田または東京都狛江市も同じような様相の人間だ、と最後に5ちゃんねるに繋げてしまう。(^_^)。なぜか、同じ、大宇宙の理の中で存在している「人間」だからですね。「人間」だからと言って、同じ様な境涯か、と言うと違いますよね。トランプも習近平も精神病認定・生活保護生活も、同じ「地獄」の境涯です。と言えるでしょう。だから、長い目(10年後~100年後~1000年後)で見ると「大した事の無い人」たちです。単に人の世で、人の世間で安寧をむさぼりと権勢を振りかざしているだけで、青い空の向こうから、地上を見ると、水田に実るか、実らない、米粒の一つに過ぎません。青い空に問いかけると、青い空の向こうは私のそういう言葉を発想させる「何か」を送ってきます。それは、マイナーな表現で言うと、「天の理(ことわり)」で、水田を見て、稲穂が実る事を想像し、実際手に取る事は「地の理(ことわり)」と言っていいんじゃないでしょうか。天と地の理(ことわり)の間に人の世があるわけです。私、最近、不愉快な目にあっても、「人の世の事で人の中でのことだから」とあんまり気にしないようになりました。今日はこの辺で。2020/07/24
ああ、だから香港とか色々人権弾圧の周辺民族の人には、「習近平、暗殺されるか、人民解放軍の軍管区違いでクーデターが起きて、満州国前の時代に戻るから、今はじっと我慢して時期が来るまで、誇りも望みを捨ててはダメだよ」とエールを送っとこ。(^_^)
もう一つ。米中新冷戦というのも単に情報戦だから。プロレスで、ミルマスカラスの華麗な空中技とか古舘伊知郎が絶叫するようなもので、ウラじゃ米中ロヨーロッパまで、世界に緊張感を持たせよう、その方が金になるしぃ(はぁと)、と言う事だろうから、プロレスに夢中になれる人は怯えて生きて行けばいいんじゃないか。私、昔からプロレスもキン肉マンも見たことないので、興味無いです。さて、自分の小説を書こう。

0年7月24日 2019年7月に東京の建設サービスの会社を捨ててから2020年7月までの精神的な抑揚のグラフ表現と2020年12月までの希望

1年間の精神的抑揚グラフと2020年12月末までの希望的イメージ線

2019年の7月だよね。東京のT・Bっていう建設現場の清掃の仕事で、辞める日というか、専務って人間と一言交わして、「ダメだ、この会社」って思って、その事務所を出てすぐ辞める電話入れて辞めてから、秋葉原のNって建設サービスの会社に2019年9月まで居て、東京を後にして、と2019年9月から10月までは、外界の悪意が無い世界だったから、100パーセントかな、と思うけど借金は少しづつ増えていくと言う。10月末に千葉県野田市の倉庫で時給1100円で決まって、月の手取り19万くらい行くようになって12月末までは110パーセントって感じ。でも、この倉庫には貧乏神が多数いるので、貧乏神の影響で1月にまた借金が増えて、資金繰りに困ったと言う。2月から3月までは復調の兆しがあって、テニススクールに4ヶ月かよって、運動神経を20代の感覚に取り戻す作業をしたかったけど、4月、コロナ禍で、食品の宅配のディストリビューションの倉庫は7時始業~17時までが週5日続いた。朝4時に起きてゆっくり朝支度して7時に就労して、18時に帰って晩飯食って21時には布団に入って寝ている生活が1ヶ月続いたからおかしくなった。毎日少しづつなにか努力とか創作するゆとりすら持てず、と言う単に2020年4月は仕事漬け。望んでいなかったけど会社の管理職に7時に出てくれと言われて断れず。5月頭に派遣会社で有給休暇が10日ついたので、5月は8時出勤の週4日で、創作と事業を挽回する覚悟だったけど、4月の仕事漬けのダメージと世の中は緊急事態宣言で、外出もままならず、県外に電車に乗って営業にも行けず、でここでもさらに自分の調子が悪くなった。5月の初旬にフォークリフト教習所の予約と申し込みをするも、教習再開は7月から、と言う事で6月は単に頭を麻痺させて、8時~17時で週5日仕事を消化してあっという間に6月が過ぎる。まだ4月・5月のダメージが抜けない。7月7日にフォークリフト運転技能講習修了証取得したけど、教官が最悪で、フォークリフトで稼ぐ気力無く、7月中旬は何か販売の仕事で契約社員や正社員はないか、と二軒当たったけど、52歳で正社員は難しい、と言うか、私の技能を認めて貰えればワンチャンスあったのかもしれないけど、コロナ禍で、職にあぶれている人多数居るようで、競争率が結構高い印象かな。正社員ったって、株式会社設立までの腰掛けみたいにしか考えて居ないから、そういう人間を正社員にする会社があるかどうか知らないし。先週だったか、母親の創価学会の昔の顔見知りから電話が掛かってきて、自分が所属している派遣会社を受けたけど、入れるかどうかわからないとかいうから、一応口を利いて上げたけど、結果は帰って来ていない。というか、家にまで来るから、話したけど、あの出っ張った腹じゃ大した仕事はできない底辺派遣労働者なんだな、と25年くらいたまにビッグエーとかカスミで会って話してきた人物の総括だった。携帯電話を着信拒否にした。すっかり忘れていた人間から携帯電話掛かってきて、電話に出れば、恩恵にあずかれるみたいな勘違いされても困るから。本当に建設現場とか倉庫派遣労働の人間に携帯電話の番号を教えるべきでは無い。電話にでるだけでツケ込んでくるから。あと、腹が出っ張っている人間も大した仕事は出来ない。建設現場でハッキリ解る。キチンと仕事している職人もアニキたちも腹の出ている人間は居ない。偉そうにえばっている無能が腹が出ている。倉庫内作業でも同じだと思う。ともあれ、8月もしょうがないから、今の倉庫に係留されて、9月から現場も地域も変更出来るように思って行きたい。現場も地域も変わっても、少し気分が変わるだけで、創作が劇的に創出も発表も出来る分けないし、事業もいきなり年収1千万円になるわけ無いと思う。ゆっくりジワジワ、2021年7月くらいまでジワジワ向上していくような、そんな年単位の期待と希望を持って働いて行きたい。9ヶ月やってみて、今の倉庫に居ることは「失敗」でした、とかなりのパーセンテージで言える。100パーセントダメでは無かった。大量のネパール人の若い連中と英語を交えながら、仕事を教授したり啓発出来たことは、自分には大きな喜びだったけどね。ネパールの若い兄ちゃんやねーちゃんを見てると、「昭和の若者」という振り返って見て思う。「ああ、俺は昭和の若者たちと働いたんだな」と思う。青森や岩手から集団就職で出て来た中卒の昭和の若者と、ネパールから技術研修生名目で日本円稼ぎに来ているネパーリアンも、若い希望を持って生きている事に変わりは無い。そういう、希望を持っている「昭和の若者」と日本語では無く片言の英語でコミュニケーションして、一緒に働けたことが、今の倉庫での最大の収穫だった。収入的にはじり貧だけどね。だから、このサイト、英語でのタイトル表記が増えたのです。英検4級でも、外国人と仕事は出来る。英検3級持っている高校生でもダメで、「君たちなんで英語勉強してるの?」という単にスタディイングリッシュじゃなくて実用英語の実力がある自覚が出来たことは次のステップアップにつながるけどね。さて、小説書こう。2020/07/24

2020年7月24日 大落古利根川の土手沿いを幸手宿方面へ走って、杉戸宿で発見すること。

これが江戸幕府開設前の本来の「利根川」です。
これが江戸幕府が利根川を東に逸らせたのと、江戸川を創設した後に出来た水田です。

今日は金曜日で本来なら週払いの給料が振り込まれる日なのだけれど、祝日なので振り込みなしなので、貯金から7月支払いの分とか、8月にクレジットカードから引き落とされる分とかを銀行から信用金庫に入金とか、いつもの平日と同じようにお金のやり取りをやった。昨日までの予定だと水海道の味噌屋に米味噌を買いにいって、板東市で温泉に入ってくるつもりだったけど、土曜日にした。土曜日は精神科で問診と薬を貰う日で、本当は明日の午後はキネマ旬報シアターで「ひまわり」という古い映画を見るはずだった。ところが昨日上映スケジュールを確認したら、午前10時の回しかなく、午後の2回目の無い1週間だけの上映なので、来週の金曜の午前中は用事があるので、いけない、見られない、と言う事で、ゲオの宅配レンタルでいつか見る、と言う事にした。春日部で銀行関連の用事を済ませた後、春日部八幡神社でお参りしてたとき、パッと閃いて、「そういえば幸手のMsタウンに行きたかったっけ」と思ったので、春日部八幡神社から、国道16号に出て、小淵の交差点から国道を行くのはつまらないと思い、春日部工業高校の脇から、宮代町まで抜けて、大落古利根川の土手上の道路を川沿いに杉戸宿を抜けて幸手宿に至ろう、と思い実行した。春日部市では大分川沿いも住宅が増えすぎてしまって潤いが少なくなっているけれど、宮代・杉戸まで来ると水温む太古の川という雰囲気が出てくる。杉戸町に入って、川と水田の光景を見て、写真を撮ることを思い付いた。そして写真を撮ると、この風景は江戸幕府が、利根川を東の下総で、銚子にかけて逸らし、江戸川を創設し、利根川流域のおびただしい水量をコントロールするまでの、本来の利根川なんだな、と歴史の知識と融合して、そんな事を想った。平将門公の時代は、春日部・杉戸・幸手くらいまでは実は海抜0に近くて、雨期が来ると利根川は溢れて水浸しと言う地域だった。上記の写真を見て貰うと解ると思うけど貧弱な堤防でしょ?。まだ人の手で堤防らしきモノが出来ているけど、江戸幕府以前は、堤防らしきモノも無い、川と水浸しの湿地の世界だったのだと思う。徳川家康が江戸を日の本一の都にすると言って、坂東の南(坂東の南だからな)を干拓し始めた後、古利根川・江戸川・新利根川の流域には、広大な水田用地が出現した、と言う訳だ。2番目の写真を見て貰うと解るとおり、春日部でも杉戸でも幸手でも、ちょっと古利根川と江戸川と利根川の合間に出ると、こういう広大な水田の世界が広がっている。この写真でも広大とは実は言え無い。茨城県つくばみらい市の間宮林蔵記念館へのバス停を降りると地平線まで水田の世界の広大さに比べるとまだ小さい。この水田が江戸と東京市と東京都の食を支えているのである。コロナ保菌者の東京都民は金を出せば米は買えるモノと思っている様だけど、その米はこういう水田で出来ているのだから、そういう実感を、そのコンクリート王国の中からでもちょっとは思いやる事が、21世紀には大切な事だ、と水温む大落古利根川(昔の利根川の意)の川沿いを走るとそう思う。杉戸町まで来たら、ウナギ屋が二軒あった。やはり川魚の宝庫であったのだろう。江戸時代の名残が発見出来る。そして川沿いに先日URLを貼った高橋屋も存在していた。バイクを停めて、店の貼り紙を見るとうな重2900円からあると言う。軒先の掃除していた店員さんに話を聞くと、夏一杯は忙しくて混んでいる、と言うので、秋のお彼岸が過ぎた頃にでも、一人静かに日本産のうな重を食べに来る事にしよう、と思い、幸手宿までバイクを走らせた。2020/07/24

2020年7月21日土用丑の日、ウナギを食べる日。

まぁねだん見て中国産の798円のウナギ。味はそれなりに。やっぱうなぎ屋とかの日本産の方が美味しいよ。

今日は土用丑の日だからウナギの日だ、と日本人として思う。吉野屋のうな丼の場合もあったけど、吉野屋の米の品種に疑問を持つようになって、最近吉野屋にはぱったり行っていない。家の近所には小学生のころからある寿亭といううなぎ屋があるのだけれど、母親がまだ歩ける時代までは、母親と一緒に2000円のうな重食べていた。母親が寝たきりになってから、一人で行く事はなかった。今日行っても多分混んでるとか、発注過多でとてもゆっくり落ち着いてたべられないだろうから、はなから考えていなかった。野田市のベルクでだから上記の中国産のウナギを買った。帰りには松伏町の川晶と言う高級うなぎ屋川魚料理屋が、水田の中にいにしえの建屋であるのだけど、値段が半端なく高い高級ウナギ店なので、13年前を通り過ぎるだけ。店主と昔ツィッターで絡んだことがあるけど、一回も入った事がない。母親を連れてきたかった。杉戸には三井家御用達の江戸時代からのウナギ屋がある様だ。春日部駅の看板が右から左に読む文字の並びで看板を立てている。行ってみたいけど値段的になぁ、と思う。三井家御用達なんだけどね。中国産は、身が口の中でさらりとほぐれない。ガムを食べてる感じだった。来年と言わず、給料に余裕が出たら、三井家御用達の杉戸のウナギ屋で食べようかな。
https://www.takahashiya.org/guide/  ←明治時代からの操業で、室町三井の流れを汲んでいるんだって。うな重3900円だよ(^_^;。ちょっと当分無理だな。古利根川流域とか江戸川流域とか新利根川流域とか、実は本当はこの春日部とか北葛飾郡とか、川魚料理の宝庫なんだよな。昭和になって目立たなくなったけど。2020/07/21

昨日、昼メシ終わってタバコを吸って、また食堂で、ぼんやりしてたら、酒の話になって一考察。2020/07/20

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

昨日は日曜日だったが、今の倉庫は金曜・土曜が所定休・法定休日で、つまり日曜は出勤だった。冴えない頭で昼メシになって、喫煙所もまた法律が厳しくなって、今まで近かった喫煙所が閉鎖になってしまったので、しょうがないから3階のまだ法律に耐えられるらしい喫煙所で一服した。法律が厳しくなって、さらにコロナ対策で、喫煙所一回の利用が5~6分で、且つ部屋に入れるのは二人まで、と言う世界になった。3月までは、別に勤務場所のすぐ近くにある喫煙所でミンナでずーっと吸いっぱの世界だったのに、窮屈になったものだ。近いうちに辞めるつもりだけど。一回吸って、また出て、休憩所でぼんやりしてたら、障害者の人の同僚さんが、「中島さんコレはやらないの?」と聞いてきた。私は即座に答えたのは「いやー、オヤジロクでもない死に方したし、酒ばかりの晩年もロクなもんじゃなかったから私はやりません」と言った。年齢も聞かれて52歳と答えるとビックリされる。全然年相応の雰囲気も顔でもないからだろう。で、今日用事を三つ片付けて思う事は、酒の害悪、無駄なセックスの害悪、パチンコなどバクチでの拝金主義者になる害悪だろう、と思う。年齢相当に見られないと驚かれて、「いやー年取らないよう生きてきましたんで」と言うしかない。脳の萎縮・思考の老齢化に貢献する酒をほとんど飲まない。去年春先バドワイザーを一缶のんだら、湿疹が全身に出来て、かゆくてかゆくてで、建設現場で仕事して、一週間は仕事に集中できなかった。多分、護国寺の現場で有機溶剤の蒸気を吸い込んで体内に毒素が溜まったからだと思う。内科の病院でカウンセラーに尋ねたら、「もう一回飲めば毒素が抜けたかわかる。多分アレルギーじゃない」と言われて、それ以来、一滴も飲んでない。またあの湿疹・かゆみに襲われて仕事したくないからだ。禍福はあざなえる縄のごとしとか、人間万事塞翁が馬とか言うけど、酒を飲まないクリーンな目で、飲む習慣の人間を観察すると、知的障害者じゃないか、と言うくらい、思考の自発性とか自在性がない。つまり、ちょっとイレギュラーな事態になると対処出来ない。ずーっと、昔からの仕事のスタイル・人生のスタイルだから、時代の変化に対応出来ない様に見える。もう関わり合いにならない、同僚は多分、今の仕事のままずーっと行くか、仕事がなくなったら、生活保護コースかな、と思いながら、毎日米を運んでいる。毎日、ちょっと晩酌で気持ちいい、を10年から30年積み上げると、生活保護コースである。あるいは、大企業の社畜なら、経営陣から見ると単に給料泥棒で、定年で終了、老後は老人コースで、棺桶まで逃げ切り、とかになるんだろうか。こうネット上でもリアルでも、「毎日の晩酌が楽しみ」の人の10年後から30年・40年後を見据えると、「関わり合いにならないほうがいいな」と思って、無言で仕事して逃げて帰ってくるスタイルが確立したのは、建設現場の経験からかな。私は晩酌の代わりに、絵を描いたりITパスポートの勉強したり、小説の構想練ったり、明日の行動計画を立てて寝る習慣だ。10年で大分差が出ると思う。大企業で大企業の中のパーソナリティと比較している狭い世界での比較論だと、「俺はまだまだ大丈夫」と思っても40代で何も出来なくなってリストラされて、初めて酒の害悪に気が付く人もいるかもしれないが、気づかず底辺労働で、Youtuberやってたりする。だから、「ああ、19歳の時、友達に誘われて日本酒飲んで吐くだけ吐いて、母親に罵られて良かったな」と思うのである。2020/07/20

意を決して、7月20日は仕事休みます。溜まっている事、やる気が湧いている内にやっちゃおう、と言う事で。2020/07/19

これを買って3週間経ちました。もう組み立てて古い机捨てたいです。

 昨日、一昨日とずーっとやらなきゃと思っていた、マタタビの木の移植とかエンジンオイルの交換とかやってみて、「まだやってないことある、でも仕事あるし」と思って今日倉庫に行った。すごく眠くて、2時間くらいダメダメだった。つくづく、もうこの倉庫は消化試合なんだよなぁ、早く次行かないとなぁ、と思って米を運んでいた。仕事しながら、思った事は、「仕事休んででも、やってないことやっちゃって、スッキリして、次のやることに向かわないと」と覚悟を決めた。休憩時間に、ブラックコーヒーを自動販売機で買って飲んで、カフェインで気をつけて、昼に管理職に「明日休みます」と言った。そして、上記の写真のイタリア製デザインデスク1600mmを今まで25年使った、呪われた印刷作業デスクを捨てて交換する決意をしたのだった。この呪われた机、ふと気が付けば、春日部のA印刷に入った時、机が余る、と言う事で3000円で引き取った机。版下作業に使っていたから、机の上はカッターの切り傷で一杯の、今考えると良くこんなの引き取ったな、と言う机も気が付けば25年も使っていた。机につけたデスクライトも日立製で、同じく1995年に、A印刷の給料で、マツヤデンキで買ったものだった。25年同じインターフェースだった。デスクライトはもう寿命で、フル点灯したりしなかったり。LEDのデスクライトも買ってある。呪われた、A印刷とA印刷社長の呪いをタタキ捨てる為に、明日、やっとA印刷の過去を捨てられる、と思う。1995年の6月、ラジオでオウム真理教のサティアンに警察が突入する実況中継をラジオでやっているのを有線で聞きながら、DTPオペレートの仕事を春日部の田舎の印刷屋で始めた。3ヶ月で逃げるべきだった。4年半も泥沼に足を突っ込んで、と1995年から、人生間違っていた。1995年から建設現場や倉庫で働きながら、同業他社とは関わらずに、独学で、自分の志の「出版」を自宅で追いかけてれば良かった様に思う。変に、下衆の輩と交えて、金をかっぱぐ必要は、なかったなぁ、と振り返っても、過ぎた時間は帰らないけど、やり直す事は出来る。そういう意味で、明日、机を変える。イタリア製は本望だ。2020/07/19

雨が一時的に止んだので、ホンダTodayのエンジンオイルを交換しました。2020/07/18

昼メシを万世で食べたあと、家に戻って雨が降ろうが降るまいが、適当に平日に出来なかった溜まっていた案件を少しづつ片付けた。ふと気が付けば雨は止んで曇り空だった。吃緊で懸案がホンダTodayのエンジンオイルの交換。もう道具も資材も知識も揃っているのだから、とっととやって明日からバイクに関してはスッキリして仕事に向かいたかったから、やってみた。まったく初めての作業なので、スマホで作業レシピを見ながら、試行錯誤をちょっとしたかな。ドレンボルトを外すときラチェットで、どうあがいても動かないほど固い感じだった。気が抜けたとき、すっとボルトが回って、オイル処理材を下部に置いて、オイルを排出した。結構真っ黒。やっぱり原付だと高回転が常時続く運転だから、エンジンオイルの劣化もやっぱり距離メーターに出る2000キロ毎の交換が必要だな、と感じながら次ぎの手順に向かう。オイルを車体を傾けて出すだけ出してドレンボルトを手で締められるだけ締めて、トルクレンチで24n/mでカチッと言うまで締めてとりあえず一段階。オイルシーリングワッシャが、ショップでついてたヤツは、「なんだこれ?あんまり合ってないぞ」と思う様な物で、ボルトからなかなか外れなかったけどな。自分で用意したヤツはボルトと外径もあって、整合性のある処理が出来たな。それで、紙のジョウゴを組み立てて、オイルレベルゲージを兼ねて居るキャップを外して、ジョウゴを差して、まず600ミリリットル計ってゆっくり入れて、一回オイルのレベルを図って、規定の700ミリリットルにするために100ミリリットル入れて終了。最後にもう一回オイルレベルを図ってみると、丁度上限と下限の中間くらいだったので、レシピ通りだった。キャップを締めて道具片付けて、アイドリングを2分ほどやってみてオイル漏れなどは無かったから、これで終了だった。ショップに頼むと3000円かかる所を実費がオイル代などで、700円で今後は自分でやる、と言う事になった。次ぎはいつになるか、わかんないけど、ランプ交換かな。バッテリ交換とプラグ交換は道具が色々あるから、ショップに頼む。次ぎの交換時期は自賠責の三年が更新になる頃と決めている。さて、次ぎのやってないこと。2020/07/18

いきなりステーキ倒産危機の記事見てステーキが食べたくなり、秋葉原少年だった私は万世でステーキランチを食べました。2020/07/18

久しぶり。姉と姪と来たのが半年くらい前かな。

ネットで見てると、いきなりステーキ倒産の可能性の記事とかを頻繁に見る様になったので、いきなりステーキに行って見たかった様な気がしていたけど、大して美味くも無く、肉は固いと評判で、初出店当時は立ち食いで安くボリュームのあるステーキが食べられると言う事で、評判だったのかな。一回は行ってみたかったかな。秋葉原だか、東京の街角で満員のいきなりステーキ見かけてたかな。そのまま忘れていたら、ペッパーフードサービスがペッパーランチ売却、とかの記事が出るようになり、いきなりステーキも閉店の店舗が増える、と言う事で、そういう記事を見ていて、雨で用事をキツキツに片付ける気力も無く、CAINZホーム行って帰って来たら、そうだな近場の万世でステーキを食べよう、と言う事にしたのだった。バイクで言うなら近所の、庄和インターのほとりの、イオンモール春日部の向かいにずーっと昔から、万世庄和インター店は存在する。最近まで入った事は無かった。秋葉原の万世橋の万世本店に良く行っていたから、この辺のフツーのサイズの万世じゃ満足しなかったからかな。半年ほど前姉と姪と墓参りの際によったくらい。万世はまぁ高い店だよね。それなりに財布に余裕と覚悟が無いとなかなかステーキまでは手が届かない。3000円クラス5000円クラスになるから。だから、今日は、店頭メニューで、カットステーキ70グラムと120グラムハンバーグのランチ、2035円で我慢したのだった。コロナショックなど関係無いほど店は客で賑わっていた。テーブルは間引きされていたけど。ハンバーグ、ステーキ、どちらもまぁこういうモノだよね、と言うフツーの満足感を得て、2035円払って店を出た。出る途中、万世の商品が少々並んでいるんだけど、秋葉原本店の充実度から比べると、とりあえず感が否めない。因みにいきなりステーキはイオン春日部の中に出店していましたが、私が先日通りがかった時は、閉店の貼り紙が貼ってありました。千葉県野田市船形にも確か店舗あったと思いますが、多分もう無いと思います。今度ステーキを食べたくなったら、今度はステーキのどんが2店舗近所にあるので、どんに行って見ようと思います。あんまり肉とか肉食に囚われたくはないんだけどね。肉食うとツキが下がるイメージ持っているんで。後、サケもね。2020/07/18

CAINZホームで色々買いました。2020/07/18

これは以前買ったモノの値段の確認。

 もう夜からずーっと雨が降っているので、バイクのオイル交換をやる気が起きず、机の交換もする気力も無く、9時半になったので、必要だからという事でCAINZホームに行ってきました。雨合羽着てスクーターでですね。CAINZホームの購入記の記事の為に買ったモノの写真と値段が必要だったので撮ったのが上記の写真。エンジンオイルは安いよね、あとオイル処理材もAmazonで買うより手間いらずだよね、安いしね。と言う事で、毎日会社に持っていく、30缶980円の缶コーヒー微糖と毎日飲む紙パックの野菜ジュース、一ブリック、あと蚊取り線香とCAINZの携行型蚊取り線香灰皿吊り下げ可と、歯磨き粉のアクアフレッシュやわらかミント買いましたね。雨は小ぶりになりました。2020/07/18

アストロプロダクト春日部店でトルクレンチなどを買いました。やっと4サイクルのエンジンのエンジンオイル交換を自分でやる覚悟になった、そんな、なんちゃってバイクマニアです。2020/07/17

トルクレンチが安かった。Amazonより、確実に必要な道具買えて満足しています。

上記の写真の他に、CAINZホームで買ったバイク用エンジンオイル1リットルとオイルジョッキ、紙製オイルジョウゴ、オイル処理材、建設現場での持ち越しの17mmラチェットがあります。上記の写真はアストロプロダクトトルクレンチ2700円、17mmソケット、12mmオイルシーリングワッシャ銅製、とかになりますね。初期投資は5千円くらいになるんだけど、バイク屋に、面倒くさいからオイル交換頼むと毎回3000円取られるんですよね。よくわかんないエンジンオイル入れられて。バイクのヘッドライトのランプ交換も3000円くらいとられるんですよね。ランプ交換は自分でやりたかったんだけど、スクーターになると、カバーをどう開けていいかわかんなかったので、バイク屋に頼んだら、結構な金になったので、ランプ交換とエンジンオイル交換は自分でやろう、と言う事になりました。Todayの前は3万円で買った、Dioの2サイクルエンジンのだったんですけど、2サイクルはエンジンオイルが混合オイルになるので、ドンドンオイルが減るので、様子見て、メットインのシート開けて、後方のオイルタンクのキャップ外して、ホンダの純正オイルをある程度入れる、と言うオイル補充で良かったんですけど、金食い虫でした。結局マフラー交換とかタイヤ交換とか積み重ねると新車を5年修理なしで乗った方が安いと言う結果になるから、新車のToday買ったんですよね。トルクレンチというのは、WEBでエンジンオイル交換のレシピ見るまで知らない道具でした。こういう道具があるんだなぁと思いました。17mmソケットで、24n/m(ニュートンメートル)の力で締めると言う指定だから、バイクメンテあんまりやらなかった私は素直にトルクレンチ買うしかなかったのです。アストロプロダクト春日部店でトルクレンチを買って良かったです。Amazonより安いというか特売してたし、ソケットで余計なのついて高い、とかになるから、アストロプロダクトでトルクレンチと必要なソケット買うだけだから無駄が無いし、おまけにオイルシーリングワッシャも売ってたから、オートバックスとか行く必要なく、コンパクトに買い物出来たんで良かったです。埼玉県深谷市の会社っていうのも気に入りました。ともあれ、明日天気が良かったら、レシピ見ながら、原付バイクのエンジンオイルを交換したいと思います。2020/07/17

今日は休日ですので、映画見て、マタタビの木を素焼きの鉢に移植して、心を整えたりしてます。2020/07/17

構想から3ヶ月くらい掛かって実現した画像。下駄箱の上に観葉植物としてのマタタビの苗木なのです。

2020/07/17は、キネマ旬報シアターで「Judy虹の彼方に」の最終日だったので、柏に観に行ってきた。コロナショックから、初めてキネマ旬報シアターに入った。コロナ前というのは、皆さんご存じの通り、チケット買うでも密接の行列に並んで、座席もミンナ隣同士、そんな世界でしたが、アフターコロナは行列は感覚を開けて、マスクしながら見て、座席は全席指定席で、以前の半分以下の観客数で上映、と変わっていました。詳しくは「映画に恋してセカンドシーズン」に記述していくとして、春日部に戻ってくる頃には、少し雨は止んでいたので、気が付いて、駅から春日部市下柳のアストロプロダクト春日部店でトルクレンチなどを買いまして、いつものファミマのイートインでチーズハンバーガー食べたりして帰ってきました。荷物などを整理しまして、昨日の夜やるつもりだった、届いたマタタビの苗木の鉢への移し替えを実行しました。こうするつもり、を実現するのに2ヶ月か3ヶ月掛かってますよね。思っている、あるいは閃きを形にするって、機運に恵まれないと3ヶ月遅れになりますね。つくづく何やってんのかなぁと思うこともあります。しょうがない。緊急事態宣言なんか関係無いほど影響の無い仕事生活出来そうだったけど、会社も倉庫で食品で物流だと、結局上流のがたつきをもろに喰らうとかになると、倉庫もギクシャクして、そのギクシャクが自分にも影響して、とまったく無関係で涼しい顔で、生活は出来なかったし、今も出来ていないですけどね。と言っても失った時間は取り戻せないから、未来に向かって、もっとネジ穴にネジがピッタリハマって締められる様な生き方していきたいですよね。でも、まだアタマの中でやってないこと多数なんで、でも会社休めないんですよね。ブチッと断ち切ってしばらく家に閉じこもって全て片付けて転職、も出来ないんですよね。休日の二日間で、滅入らない程度に少しづつ片付けていくしか無いなぁ、とゆっくり育っているマタタビの苗木や、あじさいの苗木、ヤマザクラの苗木とかアサガオなんかは本当に朝だけ花が咲いていたりして、そんな健気が美しい花や植物を見て、裸の大将放浪記なおにぎり大好き君として絵を描いたり小説書いたり人を育てていきたいですよね。金は二の次ですね。金儲けもセックスも第一義じゃないです。植物がしっかり育って、キレイな花が咲けば良いと言う事業や生業ですからね。そんな達観に達した、アフターコロナの7月中旬でした。2020/07/17

CAINZホームで、素焼きの鉢を二つ、液肥を一つ、鉢皿を二枚、観葉植物の土5リットルを買いました。

これで1200円ちょっと。1000円以下に抑えたかったけど。

数ヶ月の忍耐の時を経て、マタタビの苗木を買いました。軒先を行くネコちゃんに喜んで貰おうとおもって。でも、苗木をそのまま庭に植えると、ネコちゃんに瞬殺されて、ボロボロになって終了してしまうので、ちょっとやそっとで、ボロボロにならない程度に樹木になるくらいまで家の中で育てないとダメなので、観葉植物モードで玄関に置いておく為に素焼きの鉢と土などを買ってきました。今日はもう夜遅いから、植え替えはやんない。なぜCAINZホームで買うか、あるいはその事実を公表するか、と言うとビジネスの可能性があるからです。それは、ビジネスのスレッドで発表していきます。要するにCAINZホームに営業する、と言う事です。苗木を鉢植えにした時の画像は、明日公開します。思いつきから、実現まで、何ヶ月かかったんだ。コロナショックが無ければ、4月中にはやっていたことだろうになぁ、と思うけど、過ぎていった時間は取り戻せない。未来に向かって、植物を育てなければならない。植物は育ち、花が咲き、実がなる事は、現在から未来に繋がる、誰も侵犯することの出来ない確かな事実と事象だと思うので。2020/07/16

松伏のCAINZホームに行く道すがら、江戸川の野田橋のたもとで一服。江戸川という江戸幕府の偉業を堪能しつつ、タバコをぷかり。

大きな川をみるとすがすがしい気持ちになれる。春日部に育って良かったなぁ。

野田市で一週間分の食材を買いだめしたあと、松伏のCAINZホームに寄るために、野田橋を越えていく。いつもの気分転換のコースだ。このWEB記事用に江戸川の写真を撮っておくか、とバイクを路側帯に止めて、土手に出てパノラマ的に数枚スマホで撮った。野田橋の埼玉県側は松伏町と吉川市だ。この辺は千葉県なら野田市と流山市、埼玉県なら松伏町と吉川市が入り乱れる、そういう行政区分の交錯点だ。風景を撮ると、野田橋の吉川市旭地区に、奴隷労役で11年関わった、倉庫が見える。奴隷労役で通っていた時とは、また違うマルチな視点で風景を見られる様になった。11年はちょうど5ちゃんねると言うドブドロに足を突っ込んだ時期と重なる。奴隷労役で安定定収入だったから、ADSLを引くことが出来たから。2002年の、中島飛行機撃墜からかろうじて生還して、いつ再出撃の時期がくるか解らないまま、ADSlを引いて、ネット復活だった。2005年頃の話だろうか。いや、日雇い派遣に2年か3年あったから、2008年頃、ADSLで常時接続だったろうか。江戸川を見ると、小学生の頃、雪が降って、となりの物井のおじさんのカローラバンで江戸川で土手滑りとかの時 雪が降って、出かける時は青空で、カーラジオから山口百恵の「いい日旅立ち」が流れる年だった 、庄和高校のマラソン大会で、土手下を死ぬほど苦しみながら完走の時と、1996年頃、HONDAーNS1に乗って土手をちょっと走った時とか、と今の視点を比べると、随分江戸川に対する見識が深まっているのが実感できる。江戸川というこの川は自然に出来た川では無い。江戸幕府が掘って土手を作って江戸湾に流し込む造成をやった、人工の川である、と言う事を明治政府以降の日本の教育では伝えていない。その事実というのは、例えば、旧庄和町の西宝珠花地区で神社や遺構とその春日部市の掲示物でかろうじて知る事が出来ると言う、事実である。日本の国定教科書には載っていない。例えば、江戸幕府が江戸川を造成する前は、武蔵国と下総の国の境には宝珠花村という村が有り、江戸川がその村の真ん中を通る様になったから、埼玉県北葛飾郡庄和町西宝珠花と、千葉県野田市東宝珠花、と別れて、その場所には宝珠花橋という橋が架かっていたり、その橋の近所には、貝塚の跡地があり、と、春日部市近辺は実は坂東の時代は、海水と真水と入り乱れる、雨が降る度に川が溢れて水浸しになる、農作物を作るのはとっても難しい土地だった、と言う400年前というか、江戸幕府というか、徳川家康が利根川・荒川などなど、坂東の川を整理して、今の東京と呼ばれる地を干拓するまでは海抜0メートルのような世界だったようだ。つまり天気の子のラストの水に浸かった都市圏と同じような世界だったのだ。子供の頃は、春日部には古利根川があり、庄内古川があり、ちょっと庄和町を自転車で行けば江戸川、その江戸川を関宿・境町まで足を伸ばせば東に思い切りそらされた、江戸幕府時代は「新」利根川がある、と言うこの辺は川の水辺、そして、整形された川の流域は大水田地帯となって江戸の食料事情を支えた、と言う、明治政府以降の文部省・文部科学省の国定教科書には一行も記載されない江戸幕府の偉業が堂々と終了した東京に向かって流れている。ここまで書いて、本当は、明治政府=長州田布施政府と江戸幕府末期と終焉まで語りたいのだけれど、まだ語る時期ではないので、この辺で。最後に言うなら、「私、中島英樹(Blueiris)は江戸幕府の人間なんで、明治政府関係ないです」と言い切りたい。ただ、新撰組の近藤勇や土方歳三みたいに、江戸幕府にはしごを外されるつもりも無い。この野田橋から、近藤勇の最後の陣地跡があるので、今度行ってみたい。近藤勇は流山で降伏して、長州田布施軍に捉えられて、一旦粕壁宿に係留された、と言う歴史的事実もあったり、と、単なるのどかな水田地帯では、本当は無い。掘り起こすと面白い歴史的事実が教科書にもネットにも出ないで、看板で掲げられていたりする。バイクに乗って散策すると、一杯発見が出来て、面白いと思う。2020/07/16

久しぶりにリードエクシビジョンの○○EXPOの招待券のメールが来た。2020/07/15

仕事から帰ってポストを見ると、久しぶりにリードエクシビジョンの○○EXPOの働き方改革EXPOの招待券が来た。思い起こせば、今年の1月末に秋葉原の建設サービスの会社に源泉徴収票を取りに行き、ヘルメットを返却して、上野の東京都美術館でハマスホイ展をかろうじて見て春日部に帰った時点で、2月・3月・4月・5月と、イベント・セミナーの予定が一杯で、うっとうしく思っていた。コロナ禍で、全てのお出かけ予定がキャンセルになったのは嬉しかった。ネットのリアルタイム検索で行く予定だった、リードエクシビジョンの○○EXPOの強行開催の様子をうかがうと、無理やり感が否めなかった。行かなくて良かったな、と思ってた。EXPOは企業のお祭りなのだから、人が10パーセントしか来ないようなのは祭じゃ無いし。そのあとずーっと上記の様な招待券メールもメールも来なくなって、忘れてた。来年の地方創生EXPOくらいしか考えてなかったから。そしてリードエクシビジョンの○○EXPO復活!と言う事で、9月の幕張メッセですか。行きます。ビジネスアイデアタダで差し上げます。自分がやってる暇が無いから有志の会社に話して、やって貰いたいビジネスアイデアが働き方改革というスローガンの元に一点ありますので、その時は会社さんよろしくお願いします。2020/07/15

仕事帰りに美しい風景の中を走って帰る。空は梅雨空が後退し、風がさわやかで、少し生まれ変わったように感じる。2020/07/12

中川(旧名庄内古川)の風景。高校生の頃、土曜日になるとこの光景を見て、帰って読書・絵画してた。

もう、消化試合の野田市の倉庫を上がって、寄り道はワークマンで半袖のワークシャツを見る事だった。国道16号線から行く事がなんかいやだったので、いつもの帰り道をちょっと外れて、農道を通り抜けると、中川の土手上の道路に出る。橋を越えて、やはりレガールと言う洋菓子屋の角の交差点に行くのはイヤだったので、庄和高校生の時、土曜日になると良く通って帰った、中川の土手沿いを藤の牛島駅方面へ向かった。昨日の、雨が降ったり止んだり、と言う梅雨の空は後退して、涼しい風と空は綺麗な青空の中に雲が多く流れていく。対向車とすれ違う余地のない道路幅なので、機動性のある原付バイクは停まってやり過ごす事が二回。2回目で、ふと閃いて、この美しい光景をスマホの写真で撮って、このコラムの記事にしようと思い付いた。上記の写真は美しいが、この視界をちょっと外れると、倉庫がいくつか建っている。私が埼玉県立庄和高校の一年生になったのは昭和59年の4月だ。あのころはもっと美しい田園風景の中の緑の潤いの中を通学したんだな、と2020年になって思う。野田市の倉庫に通うのに、庄和高校に通った道を走って国道16号に出る。何年か前と大きく変わった。高校生の頃、いつかは彼女ととまってやろう、と思っていたラブホテルの妃龍はない。妃龍の周りの適当な空き地も、林も無く、無機質なイオン春日部とホンダのディーラーが出来た。高校一年生の時、美術部で一緒になった、一歳年上の林君の家の農家も無い。ヤマト運輸の倉庫になってしまった。その倉庫の壁を磨いたり、中の壁を磨いたりした仕事を私が去年の一月に行ったのは皮肉なモノだ。ゆりの木通りの延長で、新四号国道まで道路がつながり、またそこの角にも倉庫が建とうとしている。私が高校生の時毎日通ったあの永遠不変だろう、と思っていた光景が次ぎ次と切り刻まれていく。毎日、その傷口を見るのがイヤになったから、野田市の倉庫は辞める決心をしている。もう、いくら頑張っても壊されたモノは元に戻らない。100年は時間を要する。ただ、私の中で、この光景を切り刻んだ倉庫の建物を二次利用するアイデアはある。私がとってもお金持ちになって主体的にそのアイデアを実現するか、埼玉県・春日部市・近隣自治体と銀行を動かして、私の資本はとっても少なく、そのアイデアを実現できるかもしれない。解らない。私は名指しでいうなら、春日部市長の石川良三と、その下の春日部市議団がキライである。目先の少々の税収目当てで、貴重な江戸幕府以来の水田を50年しか持たないような、無粋な倉庫に切り売りさせている許可を出している所がキライである。安倍晋三と自民・公明みたいな、国政の実情と春日部市の情勢は良く似ている様に捉えている。私が20代の地元での評判を維持してて、問題意識を20年も前にもっていたら、私は春日部市長線に立候補していれば良かったな、と去年つくづく思った。でも過ぎていった時間は帰らない。ではどうするか、と言うともう決めている。でも、このWEBでは公言しないのである。時が春日部市のこの破壊の関係者を葬り去るまで、私は、自分の事業をやっていくだけであろう。2020/07/12

東京を中心としたコロナウイルス感染再拡大の兆候を見て思うこと。コロナウイルスを保菌する人というのはどういう人か?と言う見識。
2020/07/11

こう、2月から、2月の段階で「中国の生物兵器か?」と思う瞬間もあった。3月・4月で、「コンクリの建屋に生きている人間がなるもの」と思った。5月・6月で、「田舎生活・自然生活は安全、都市生活は危険」と思った。7月に、東京の夜の街とさいたま市のキャバクラや、鹿児島市のNEWおだまLee男爵とかで、クラスターが出るのを見ると、「人間がコウモリの様な生活様式の人間が保菌して、ばらまく」と直観するようになった。東京の三密の薄暗い洞窟の様な夜の店で、薄暗い密の世界で、コウモリの様な人間が、コロナウイルスを交換しあう、そして、その洞窟に埼玉都民が侵入すると、コウモリのウイルスが移って埼玉まで電車で持ってくる、と言う傾向に見える。人間が、農夫かコウモリか、くらいのレベルゲージが敷かれたようである。農夫は安全で、今後もお金に困る事は無いだろう。コウモリは洞窟だから、自ずと活動範囲が洞窟だけになる。そして埼玉都民は洞窟へと侵入していく。なんだ、中共の細菌兵器開発で、未知の洞窟の未知のコウモリをゲットしたのと、図らずも同じ行動様式だ、と言う事だ。そう直観すると、今の春日部の生活だと、まぁ感染リスクはグッと少ないだろう、と思う。この辺で、コロナウイルスが空中を漂っている様な気が全くしない。倉庫に行ってもそう思う。さいたま市のキャバクラなぞは行かない。スナックの仕事も辞めたし。さて、今後、決まっているけど、どう次ぎの一歩を踏み出すかだ。2020/07/11

画像なしなんだけど、地上波テレビジョンで「やまとなでしこ」が話題に、と言う事で。ちょっとコメント。2020/07/11

「やまとなでしこ総集編」だか、特別編だかが、地上波テレビでやっているらしい。今日、たしか床屋のテレビでもやっていたように思う。「やまとなでしこ」、かなり身を入れて見て居た記憶がある。まだテレビドラマを楽しめる精神が残っていた頃が20年前、と言う事になる。生活が安定していたので、テレビドラマを真剣に見るゆとりがあった頃の話だった。「やまとなでしこ」のあとは、TBSの日曜劇場の「ビューティフルライフ」で泣いた後、テレビドラマを真剣に見る機会がまったく無くなった。「GOOD LUCK!」を途切れ途切れで見てて、imodeのAOLで着メロを携帯に入れて、聞いていた。2001年、埼玉県久喜市の北朝鮮と呼ばれる印刷工場の中での話しだったな。それ以来、テレビドラマを見る機会は無く2020年になる。テレビは捨ててしまったので、配信で見る気も、ゲオの宅配レンタルで見る気も無い。1990年代、見損ねていた、と言う事で見たテレビドラマは「白線流し」である。これは良いドラマで、最後まで見切った。心残りなのが、「それが答えだ!」で、Youtube で見ようと思えば見られるが、登場人物の中の役者の非行のせいで、DVD化も配信もまず無い、放送一回切りの、もう一回見たいテレビドラマだな。あと、見たかった、あるいはもう一度見たいテレビドラマはあるかな?。「踊る大捜査線」なんてのは、スクリーン洗脳の映像だし。1995年、見ておけば良かったのは「ピュア」だろう。Mrチルドレンの「名も無き詩」を聞いて、春日部のA印刷屋の昼休憩の時、近所の緑化公園に行き、足下を見たら、盗難にあった、NSR50のバイクが転がっていて、直結で盗まれたモノだから、車体を起こしてキックスタートしたらエンジンが掛かった、と言う珍しい、歌どおりの体験をしたことがある。「足下をごらんよ、きっと転がっているさ」って、本当に、意識が変わるような、何かが足下には転がっているのである。大抵の人間は何かに囚われて、うつろに前の方を見て居るだけで。そんな人間が、ドンドン増えてきている。全うな、昭和の若者の感覚で生きているのは、実は外国人労働者や技術研修生だ、と言う、倉庫に勤めてきた感想だ。そんな2020年だ。2020/07/11

やっと購入したブルーレイディスクの「メイン・テーマ」。KADOKAWAのコンテンツ。いつ視聴しようかな。2020/07/11

薬師丸ひろ子が若くて綺麗。野村宏伸のデビュー作で、この表紙のジャケットとスラックスのセットの服、買って着たいけど、もうこういうジャケット探すのが困難。ああ、日本橋で買えるかな。

片岡義男の「メイン・テーマ」を角川文庫で読む気になったのは、多分今年に入ってからだ。片岡義男の角川文庫と他社の文庫をコツコツ収集しているのだったが、「メイン・テーマ」というタイトルはずーっと認知していたにもかかわらず、それを小説作品と思っていなかった。良く解らないけど、10年以上前からブックオフで片岡義男の赤背表紙の角川文庫を揃え始めた時から、メイン・テーマというのはエッセイ集だと思い込んで十数年経っているのではないだろうか。ブックオフからAmazonの中古本で収集するようになって、当時1980年代前半の文庫の中に、その当時のしおりとか帯とかがあって、そこにはメイン・テーマの映画の広告が載っていても、まだメイン・テーマを小説として収集する気にならなかった。確か今年の冬にはっと気が付いて、メイン・テーマを小説と認識して、Wikiなどで確認したり、AmazonでDVDを検索すると、映画だったのだと発見した。「ああ、これは小説だったのか、では読もう」と小説版を三巻の中途途絶までを揃えた。まだ二巻までしか読んでいないような気がする。AmazonやHMVでDVDを検索するとKADOKAWAから安くブルーレイディスクが販売されており、欲しい物リストに入れて、4ヶ月くらい。AmazonのBasicマウスが壊れて買い換えるついで、ブルーレイディスクを購入した次第だ。他にも欲しい物リストには、「彼のオートバイ、彼女の島」とか「スローなブギにしてくれ」や、原田知世の「早春物語」とか角川三女優の内の原田知世にフォーカスして、欲しい物リストに入れてある。片岡義男はPOPEYEの「片岡義男のアメリカノロジー」の連載を読んでいて、小説との出会いは中学二年生の時、まだ春日部市立図書館が、東口のキリスト教会の廃墟の様な建屋の時代に書架で出会った。そして原田知世のコメントで、「よく読む小説家は片岡義男さんです」の一言で、片岡義男は中学生の少年の心に固定された作家であり、世界であり、気分であり、オートバイだったのだ。ともあれ、パッとシュリンクを破って視聴するには、まだ落ち着いていない。落ち着いている時間が多くなってきたら、そして、また小説に取り組む時間とベクトルが出て来た時に見るのでも構わないと思う。薬師丸ひろ子が十分に若くて綺麗で、野村宏伸はデビュー作で、ファッションが、今でも着たいジャケットとスラックスだ。こんな感じでジャケットを着こなしたいと思うのだけれど、表紙画像のテイストのジャケットを探すのがなかなか難しい。日本橋のあの店だったら近いのがあるな、久しぶりに日本橋に行って見ようか、なんて思う。そんな雨が降ったり晴れたり、慌ただしい天気の日の午後だ。2020/07/11

(米国の・アメリカの・ニューヨークの)ブルックスブラザース破産のニュースを聞いて、思い出す、1979年からの事。2020/07/09

このWEBサイト見てる人で、このPOPEYEの表紙と記事を見て、懐かしい、うんうん、って思う人、多分居ないと思う。1982年の雑紙とコンテンツだし。POPEYEの「ポパイ少年」だってもう60過ぎだしなぁ。

米国のブルックスブラザースの破産のニュースを聞いて、私の中のアメリカの神話と幻想がまた一つ崩れてしまった。上記の記事は1982年2月発行の平凡出版(マガジンハウスの前身)の雑紙POPEEYEの記事である。テキサス州でのブルックスブラザースのダラス店とヒューストン店の記事と写真。POPEYEの創刊が1976年で、私は、9歳とか10歳くらいから、姉が買ってくるので、全て読んでいた。当時POPEYEを読んで、その記事のまんま、ブルックスブラザースのボタンダウンシャツ、とか、アイビーとかそういうのを着て、CityBoysですから、東京を遊び歩いて、湘南でフォルクワーゲンにサーフボードを載せてサーフィン、冬はスキーとかのポパイ少年の影響を受けたポパイ小学生だった。だから42年くらい前からブルックスブラザースのブランドと、「いつかはブルックスブラザースのボタンダウンシャツを着て、原宿とか青山を歩く」なんて小学生の時思っていた。今年だったか、去年の暮れだったか、柏の高島屋の無印良品を訪ねた時、高島屋にブルックスブラザースの店舗が入っていて、忘れていたボタンダウンシャツの存在を思い出した。そして、今日、その米国のブルックスブラザースが破綻という事で、この記事を書いてみた。青山にしかブティックは無いモノ、と思う位、私には高嶺の花の、アメリカの幻のブランド服、と言う思い込みがあったから、柏に行ったとき発見出来たのは嬉しかった。何回か、スーツは着ない主義だから、ジャケットを見たりして、店員さんと話した。「ええ、もう40年前から、ボタンダウンシャツを期待モノです。そうです、あなたが生まれる前からのブルックスブラザースのファンなんですよ」と言った記憶がある。それきり、忘れていたけど、お金が浮いてきたら、では、40年前の憧れのアイビーリーグの面影のあるブレザーとボタンダウンシャツで、40年遅れのポパイ少年を春日部でブイブイ言わせてみようか、なんてちょっと思っている。8万円くらい飛ぶな。無理だな(^_^;。この記事の為に蔵書のポパイを数冊取り出して、ブルックスブラザースの記事を探した。そうしたら、片岡義男の紹介記事2ページや、糸井重里がコピーを書いたJプレスの裏表紙の広告とか、これは2020年の7月にリバイバルするべき記事なので、明日、夜に、記事を二本画像付きで書いてみたいと思う。平凡出版及びマガジンハウスは、著作権内の引用、と言う事で、見逃して下さい。いいじゃん、今のPOPEYEは1970年代末から1980年代前半まで、どんなにか、青年をポパイ少年にしていったか、アメリカとは夢の国だった、とか、そういう検証ですので、よろしくお願いします。今、アメリカは夢の国から、白人と黒人の対立する、隣人同士で諍いが絶えない、内乱状態の地獄の国、本質的にそうだったのが世界中に知られただけだけど、プロダクトを日本の青年達が喜んで消費していた、昭和の爛熟期の証拠になりますので、記事を楽しみに待ってて下さい。あ、ちなみにブルックスブラザースの日本法人は全然平気で存続するようなので、アメリカも工場が生きているので、米国のニューヨークの法人だけが飛んだだけなんで、意気揚々と柏の店舗に買いに行きます。2020/07/09

フォークリフト運転技能講習でフォークリフト技能講習修了証を取得しました。つまりフォークリフトの免許(1t以上)をとりました。2020/07/07

自分の修了証をスキャンして上げると偽造の切っ掛けになりそうなのでイヤなので、サンプル画像。

なんだっけ、「このままでは膠着状態で身動きが取れない。そうだ、フォークの免許を取って、時給1450円になろう」なんて思って、緊急事態宣言の下で、5月の初旬に教習所に申し込んで、コロナのおかげで教習が7月4日から、と言う事になって6月が長かった。「早くフォークの免許とって次ぎの現場行きたい」と焦りの気持ちで6月をスタートし、6月中旬になると、もう思考回路を停止させて、仕事をしながら7月4日が来るのを待った。7月4日に、「さぁやるぞ」なんて思って教習所に行って、学科は一番早く回答してとっとと帰って、実技は、2日目と3日目はなんか適当にならって、4日目の午後から集中力と冷静さで、なんとか取得した。ただ、2日目に、色々体験してみて、考えが変わってしまった。「次ぎも倉庫でフォークで無くてもいいな、とりあえず職業選択の滑り止めにとっておこう、他にも幸せに生きられる道はあるはず」と思ってしまったので、4日間は、結構な苦業だった。とにかく補講にならずに4日間で取れた。これで職業選択の引き出しが一つ増えたけど、プライオリティは今の所低い。将来的には使う日が来るかもしれないけれど。22歳の時、大日本印刷市ヶ谷工場でリーチフォーク乗りの社員の人たちと交流して、2005年から日雇い派遣や奴隷労役の現場で「フォークの免許とってみようかな」と思って2006年頃テキストをセブンイレブンのネットストアで買って、読んでみて難しいので、2020年まで忘れていた資格であった。とりあえず、倉庫内作業のマイルストーンとしての資格取得であった。「これだけ長く関わった業界だから、記念に」みたいな感覚でもある。もっとも、教習を受けて解った事だけれど、単に法令上、業務指揮命令者に指名を受けて、資格を持っていれば、乗れる、と言う事なんであって、フォークリフトのオペレーターとしてのレベルを上げていく修練は現場で実際に修行しないと無理でした。フォークの資格とりました、ハイ、明日から時給1450円、とはならないのである。教習は本当に基本と教科書的なファンダメンタルズを教えて、それで修了試験を通って修了証が発行されるだけで、法令上のパスポートなだけである。現場で、即戦力には慣れるわけでは無いなぁ、と4日間を振り返って思い知らされる。教習所に通って、良かった事は、倉庫でも、構内作業でも、建設現場でも、フォークリフトの資格を取ろうとする人は、意識の高い、前向きなマトモな日本人だったのが救いだった。中共シナの中国人さんが、自分のチームでは一番乗りで資格を取って嬉しそうに帰っていった。名古屋から東京の大学を出て、大企業の事務系の就職だったけれど、会社命令で現場も把握しておけ、と大学新卒の若い男女一組とも一緒に教習を受けて、それはそれで新鮮だった。若い人に、51歳で、仕事の経験値とかが異常に高い私が老婆心で、若い人に贈る言葉もあった。4日間、雨が断続的に降るあんまり天候には恵まれなかったが、暑いのより、雨に打たれながらひんやりフォークリフトに取り組めた、とも思えるので、それはそれで、良かったかな。精神状態は最悪というか、最悪だな、と感じながら、なんとか合格点に持っていく、粘りのスキルが身についたかな。修了証を貰って、となりの会社の自動販売機でメッツコーラを買って、路肩で一服して、満足と達成感を味わって、帰路についた。また明日から新しいフェーズが始まる。運がいいか、悪いか、と言うと3月、4月、5月と、あのコロナ禍で、給料が減ること無く、仕事していた。6月中旬、事業化給付金の対象拡大で、給与所得で生活している個人事業主でも、最大100万円貰える、と言う事になったが、4月、5月、と変わらない給料どころか、1割5分ほど給料が増えてしまったので、万歳ナシヨ、はい終了という事で諦めたというか100万円に未練はなくなった。何故かと言うと、特別給付金で10万円貰って5万円ほど設備投資したけれど、未だにその設備をフルに使用できる状態にないからだ。机かったけど、まだ組み立てていない、とかカラーレーザープリンターを買っても、するべきデータを未だに作成出来ないほど時間が無い、とかだから。もし100万円貰って、ノートパソコン買いました、構想にあるサーバーを一台構築しました、と言っても、中身が作成できないほど忙しいから。しかも、そんなに忙しいのに、お金はあんまり浮いてこない。この現状で達観したことは、「肥料のやり過ぎは逆に植物を腐らせるよな、私の事業は庭に植えたヤマザクラの苗木の様にじっくり、人が見ても気が付かない様なちょっとずつの成長ベクトルでやるのが、自分に課せられた運命かも」と思う様になった。100万円貰った事業主は私の読みだと95パーセントの事業主が、結局100万円で、ちょっと長い間生活をしのぐだけで、この機会に飛躍的発想を得て、新規拡大成長ベクトルを描ける事業主は5パーセントくらいだろう、結局鳴かず飛ばずになって廃業コースかな、と考えて居る。そういう人は置いといて自分の事業をコツコツやっていこうかな、と思う。まぁフォークリフト運転技能講習の修練が終わって、やっとそういう事を考えて整理して、こうしてWEBに文言として残して、今日は寝るかな。それでは。2020/07/07

根を詰めないために、越谷まで行ってきた。久しぶりの珍来のラーメン・半チャーハンセット。2020/07/03

久しぶりの珍来越谷店のラーメン・半チャーハンセット900円

6月くらいから、仕事の休憩時間にスマホでバイクを検索していると、越谷のSOXと言うバイク屋が結構よさそうなので、初めて見学しにいった。春日部市から旧4号を下間久里の交差点で新4号国道に出て、東京方面に20分ほど。その前に、ロヂャースと言う、ずーっと昔から越谷にあるディスカウント・ストアにも寄った。昔のバラックだか、ここもボウリング場を店舗にしたディスカウント・ストアだったかなぁ、と中学生の頃を思い出そうとする。中学2年生の時だったと思うけど、新聞のチラシにロヂャースのチラシが入ってて、中学生の私は目を輝かせた。シャープのポケコンPC1245が4500円とかで販売していると言う。貯めていた小遣いを持って、越谷駅からの道順が解らなかったから、春日部から新4号沿い、昔は4号バイパスとか、まぁ今でも言うかな、を自転車で片道15キロとかを走って買いに行った。懐かしい思い出です。PC1245でBasicを学ぶ、と言うのは建前で、と言うか、解説書にあるBasicのプログラム文を打ち込んで、ゲームをやった、と言うのが私のマイコンの出会いの一つだ。周りに理工系の大学生の先輩がいたら、中学生の時にBasicはマスターしていたのになぁ、とゲームをやって飽きて、そのままだった。捨ててないと思うので、家の中から出てくると思う。忘れた頃に。バイク屋でニンジャ650とか見て、昔のYZFーR1とかも売ってて、良かった。帰りに、久しぶりに珍来に寄った。数年ぶりだ。珍来というのはチェーン店ではなく、二郎系や横浜屋系と同じ、本拠地で修行した人たちの独立した店舗の様だ。久しぶりに越谷店に行ったら、チャーハン・・ラーメンと楽しんだ。松伏店もあるし、草加にいくつか。松原団地だったか谷塚店で食べた事もある。それぞれ、名前は同じでも店舗によって味やメニューがかなり違う記憶だ。松伏店のチャーハンはもっと濃い味付けの様だから、また松伏に行ったときは松伏店も制覇してみようと思う。良い日だった。2020/07/03

レジ袋有料化で、なんか騒いで居るけど、私はカバン・マイバッグ派で、色々総括する。2020/07/02

左から、一週間の買いだめのマイバッグ 2番目がまだこんなに溜めてある今までのレジ袋 3番目が毎日出るゴミをレジ袋をゴミ袋としている例、4番目が西暦2000年にDTPデザインで仕事をしていた雑紙「地球環境」、右端が、その影響で、読んだエコデザインの本。

2020年7月から、国をあげて全国でレジ袋が有料化になった。それ以前から、毎日タバコを買いに寄っていたファミリーマートでも、私はレジ袋をもらったことが無い。レジ袋を使わなくなったのは、近所のカスミがレジ袋を有料化してからだ。有料化されてもしばらくは適当にレジ袋で買い物をしていた。さらに以前から私はレジ袋を家に持ち帰る度に、「もったいない」と思ってたかどうかは忘れたけど、ゴミ袋に全て突っ込んで保存してたのだった。それがエラク溜まったのとカスミでレジ袋ではなくマイバックだとECOスタンプといって、30回マイバッグで買い物をしてスタンプを溜めると100円分の商品と交換か、WWFの自然保護募金に100円分の寄付が出来る、と言うシステムでずーっとマイバッグで買い物をするようになっていたので、今回のレジ袋有料化騒ぎというのは、「まだそんな事で騒いで居るのか、意識低いなぁ」と思っている。あと、なんか、レジ袋有料化というのは、どーたらこーたら、となんか陰謀論を繰り出している連中もいることを見かけているのが、なんともなぁと思う。レジ袋もらわなくて、マイバッグや、カバンやリュックを持っていて当たり前。カバンなどを持っていないで、レジ袋を買う羽目になったときは、人生の大失敗、位に思う様になっている。あとは、やむを得ず大きなレジ袋で商品を入れて持って帰らないといけない場合がある。カインズホームでそういう確率が高い。カバンに入らないけど、原付スクーターにぶら下げる場合とかは、やむなくレジ袋とか、になる。ファミリーマートで、7月から有料化、とアナウンスが半年くらい前にあった時も、「え、私はバッグ持ってて当たり前なんで。レジ袋は無駄で非合理的なんで要らないです」と常々言ってて、店員に感謝される、とかそういう光景が半年ほど続いていた。私は倉庫に行くときは無印良品のデイパック、倉庫が休みの日の個人事業の営業や、お出かけの際は、Amazonのビジネスバッグを持ち、以前だったら、手持ちのレジ袋をそのビジネスバッグに入れていて、営業の帰りにカスミに寄るときは、手持ちのレジ袋を何十回と使い回して、買い物をしていた。今日も倉庫の一週間が終わり、帰りにベルクに寄る時は、出発時に、行動計画で買い物をする、と決めているので、○○EXPOでタダでもらったSANSANと言う名刺管理アプリ会社のノベルティの布バッグを折りたたんで、デイパックに入れて出かけているので、ベルクで2500円分の食材を買って、そのバッグに入れて、原付スクーターにぶら下げて帰宅するのであった。徹底的にレジ袋をもらわない。もらわざるを得ない、今期から購入しなくてはいけない、事態になったときは、「行動計画が失敗している。ポカをやったな、失敗」と思う。昔自慢になるけれど、2000年の冬から秋にかけて、東京の八丁堀の、とってもダメな出力センター兼DTP会社にアルバイトで入って、フジサンケイグループの地球環境という雑紙のDTPデザインをやった。凸版印刷のTANCと組んでの仕事で、東京のマスメディアの仕事は何年ぶりか、と言う仕事だった。この仕事やっているときは、まだ東京はマトモだったし、神保町のTANCに通うのは、結構楽しみだった。あの頃はDTPは先進的な職業で、フルDTPでMacintoshを駆使して、毎月雑紙を出すは結構楽しめた。若い女の子と一緒に仕事してて、TANCでも若い女性と、ここでもモテてた。神保町の岩波ホールが入っているビルを出て、神保町の本屋、書泉グランデとか三省堂書店に寄って、竹橋の東西線で茅場町まで戻る、とかそういうルーティンのデザイナーとしての東京仕事生活を満喫してた時期があった。あの頃の東京はまだ2001年のからのIT爆裂による人間の低品質化が始まる前、インターネットはまだパソコン通信から上がってきた良識のある匿名さん達が主流の世界だった。悪貨は良貨を駆逐する、なので、良貨が集まる世界は、崩され、インターネットは、単にIPアドレス上で、どんなゴミでもクソでも、インターフェース上では、天才小説家のフリが出来る世界、あるいは金で言うなら、IPアドレス上で、今なら栃木の農民がセッセコと農作物を育てて得たお金がアメリカのクソ三文字金融商品になって、アメリカに金がドンドン取られている、と言う時代になってしまった。東京と言う、昭和の再起の名残は消失し、狂ったような金が流れ、その金でコンクリでキレイなオフィスビルがドンドン建ったが、全てのオフィスのビルの窓は開かない。エアコン頼りで風が入ってこない。そして三密の世界になった。今のコンクリの世界が続く限りコロナウイルスや、今度は新型豚インフルエンザとか、感染力の強いウイルスの繁殖地のままだと思う。そんな建物の中で働いたり、キャバクラで三密に酒を飲んで、ウイルスに感染し、埼玉まで電車に乗ってまき散らしに帰ってくる、と言う、20世紀の終わりの世界になった。私は去年の9月に、「東京に未来を感じられないから、やめます」と秋葉原の建設会社を辞めて、千葉県に職を得た。こんな狂った世界がそんなに長く続くはずが無い、続いたとしても、無関係でいたい、と思って東京をずらかった。それで正解だった。最後の写真でエコデザインと、20年前に、私はこういう環境経営を本で学んでいる。地球環境で、「Sustainable=サステナブル(持続可能性)」と言う言葉を学んでいる。それがSDG’sのSustainableと同じ事になったと発見したのは去年の冬だったか。私が東京を45カ所くらい、配置され、東京の街並み見たイメージの記憶で言うなら、東京は政治も経済も人も社会も持続可能ではないと見切っている。東京は終わっている。東京の終わりの始まりが、去年の台風15号・19号とコロナウイルスから、これから、起きるのは、大体想像がつくけれど、東京都民・埼玉都民や、東京のテレビに洗脳されている、脳みそだけは東京のイメージの日本人には気が付かない。持続可能ではないとハッキリ終焉が来た時、その人たちの脳みそはやっと、真の日本人に戻るスタート地点になると、思っている。ハッキリとした終焉がいいのか、ジワジワとゆっくり終焉が来て、あるとき、もう手遅れ、と思って絶望に立たされるだろうか。そこがようやく日本の新しい夜明けというか夜明け前の夜の闇が一番暗い時期がやってくるだろう、と、レジ袋でそこまでの考察に至るのである。2020/07/02

倉庫の仕事でマスクしてると、気が狂いそうになるほど暑苦しいのでフェースシールド買いました。2020/06/30

なんとなく立ち寄ったカインズホームで買えたのはラッキー、Amazonで買おうと思ってたから。

昨日、今日と、建設現場用の3Mの防塵マスクのカップマスクをつけてるけど、それでも息苦しいので、マスク外して仕事している。「なぜあなたはマスクをつけないの?」と管理職に問われたら、「暑苦しくて、冷静な思考が出来ないからです」と正直に答えるしか無かった。私の判断基準だと、今の倉庫で、今の仕事ってまずコロナウイルスのリスクは皆無なんだよな。東京に毎日出入りしている人間など居ないし、電車通勤でも東武野田線で、川間駅に降りて通勤する人間も、そうそう電車の中でコロナひろう確率はぐんと下がっていると直観している。東京では相変わらず毎日感染者がコンスタントに出て、昨日もさいたま市のキャバクラでクラスター感染が報告されたけど、この辺で町歩いてて、まずコロナウイルスなんて影も形も無いだろう、と言うくらい、涼しい風の吹いている世界で、一服したりしてる。コロナウイルスというのは、東京及び東京的な都市とか都市生活とか、そういう所に出入りしている人間が感染するモノであって、このネイチャー圏においては、コロナウイルスなどは紫外線であっと言う間に殺菌されてしまっているように思える。それでも倉庫で、マスクをしっかりしている人間問い言うのは多分テレビしか情報を得ていないからだろうと思ってる。東京のテレビが東京のコロナウイルスの状況をテレビで放映し、テレビに洗脳されている人間の脳は、あたかも東京のコロナ禍と同じように自分の環境を考えてしまうようだ。そういう脅迫観念的にマスクつけてる地方人を見てると、人間に失望する。そして思う。「テレビを捨ててラジオを聴けば良いのに」と。私なんかはNHKに一銭も金を出したくないからテレビを捨てた。テレビを捨ててスッキリである。この辺の事はあとでモモ・ハルカに語らせるけど、NHKは電話をかけないと、解約届けを手に入れる事が出来ない。そして、年金からNHKの受信料の自動引き落としをやっていると、契約者が死亡しても、親族がテレビを捨てて、NHKに17時までに電話を入れないと、解約届けを発行してもらえない。つまり、身寄り無く、NHKに年金で自動引き落としのまま、死亡すると、誰かが電話を入れないと、NHKは死亡した人間から永久的に金を引き落とし続け、口座に金が無くなって引き落とせなくなると、郵便で請求書を永久に送り続けると言う商売をやっている民間企業なのだった。私は、NHKの契約というのは、契約者が死亡したら、死亡情報がNHKに行って、そこで契約は解除されるモノと思っていた。余りに郵便でしつこいから、母親の死亡が明記された住民票を送っても、NHKから電話が掛かってきて、「解約届け書いて下さい。解約届けを出した日付までの受信料は請求させて頂きます」だった。死人がNHKに電話をかけられるわけはないのだけれど、NHKはそういう商売だって、ミンナ知ってた?。だから、テレビを捨てて、アンテナも撤去しようと思う。もちろんワンセグの入るスマホなんか絶対買わない。カーナビも買わない。ネット課金が噂されている。その時はどうするか、考えて居る。2020/06/30

新しいスマホケースを買いました。ちょっと高いけどシャープ公式サイトから買って正解。2020/06/27

昨日の朝にネットで注文したんだよな。ラスタバナナっていうブランドのスマホケースですね。今日の夕方届いてしまって、嬉しい感じです。写真に撮って、早速スマホを当てはめて、持ってみると実にイイ感じになる。一昨年、docomoのMONOのケースをAmazonで写真だけ見て買って、長い間「なんだかなぁ、表の皮も安っぽいし、ブルーはブルーだけど、しっくりこないし」で我慢して使ってたのとエラク違います。Amazonペイで買いましたが、Amazonで販売しているかは、未確認です。シャープの公式サイトのリンク上で、見て、一番しっくり来るの3000円で買いました。剥き出しのスマホってなんか頼りないから、まぁコンパクトにポケットに収まるけれど、ケース必要だよな、と言う事でした。それでは。2020/06/27

ジレットのマッハシンターボ3の替え刃を買い求めて、その後ちょっと考えた事。2020/06/22

Amazonで買うしかないわ

 仕事が終わって小雨で、ヤッケを着て帰る途中、帰りにセキ薬品かウェルシアでひげ剃りの替え刃を買わなくては、あ、あとジッポのフリントも、と思い、最初セキ薬品に行くと、マッハシンターボ3の替え刃売っていず、ウェルシアでも売っていなかったので、ジッポのフリント(着火石)を買って帰った。偶然倉庫のおばさんと一緒になって、「売ってないから、Amazonで買うしか無いわ」なんて、話をして、原付バイクのエンジンをかけるときふと思い付いた文言を書こうと思う。
 男の子の場合、多分人生はそれぞれ、サンシャイン60の展望台を目指して育つことになると思う。そうでない男の子もいるかもしれないが、

女は男と結婚したが、しかし男は仕事と結婚した
(パンジャブのことわざ)

とある様に、男の子は仕事と結婚するものである。仕事人生をサンシャイン60の展望台に階段で昇る、と言う比喩で考えた。ミンナ大抵の男の子は、今の日本では恵まれている子供が多いので、まぁ高校卒業くらいまでは、同じスタートラインだと思う。サンシャイン60に、階段を使って展望台に行くには、どうしたらいいか、と言うと、一段一段、着実に登っていくのが一番の近道であった。ヨーイドンで若い男の子の中には、早く登ろうと、二段づつ駆け足で登っていく人もいるだろうけど、結局途中で疲れて休みが多くなって、マイペースで一段一段登っている男の子に抜かれてしまうのである。また、大学卒業というエレベーターで30階まで一気に行ったとしよう。その大卒は、その30階で満足してしまって、60階の展望台に上ること無く、30階に停まったままになる人が多い。中には60歳を超えてもまだ、階段を一段も上る事無く地上でサンシャイン60を見上げたまま人生を他人を攻撃することで、終わる選択をしている人間も居る。5ちゃんねるにはそういう人間が多い。人をとやかく言う割りには、死ぬまで5ちゃんねるで名無しで、他人をあげつらうことだけで満足して、死ぬまで、自作の小説を書く事は無く、人生を終わる。毎朝の原付バイクの通勤で国道16号を走っていてもそう思う。片側二車線の左端をトコトコ走っていると、様々な車が追い抜いていく。時速70キロくらいで。でも、私はその先の赤信号で追いついてしまうのである。追いついてしまう度に思う。「そんなにスピードだしても赤信号で同じで振り出しなら、マイペースでも別に構わないんだよな」と、毎朝の国道16号で思っている事である。国道16号に至る、農道でも、バカみたいに早くスピード出していく車に抜かれることがあるけど、原付で、スムースに走っていれば、信号で追いつくよなぁ、と冷めた気持ちで、追い抜いていく車を眺めている。高速道路は別だ。アベレージスピードと交差点が無いのと、原付は走れないからな。それは、それで、1日の気分の覚悟としては、「信号が赤なら、そこで追いつくから、悔しくもなんともない」だ。
 そんな事を考えてしまって、家に帰って、風呂を沸かし、湯船に浸かって冷えた身体を温めた。さて、創作しよう。2020/06/22

自宅で創作ばかりやってても煮つまるので、大宮の鉄道博物館で鮭はらこ弁当食べたり、色々小説の為の取材してきた。2020/06/20

鮭はらこ弁当1200円、ずいぶん贅沢をしたけど、美味しかったよ。

先週の日曜日に、多分FMNack5のラジオで、鉄道博物館が再開、と言うので行ってきた。思川鉄道物語の執筆当時から二年ぶりくらいなんじゃないだろうか。お目当ては、駅弁を展示しているL特急の中で食べる、ランチトレインというヤツ。残念ながらアフターコロナでは、出来なかった。L特急で駅弁を食べるなんて、小学生の時、母親と弟と山形県鶴岡市に行った時とか、スキーで長野に行くとき峠の釜めしとか、そういう記憶を思い出しながら食べたかったのだけれどね。事前にWEBで、鶏飯は昨日、イオンでケンタッキーを食べたから、やめて魚で、と鮭はらこ弁当を買った。1200円、と言う破格の贅沢をしてしまった。食べるといくらがつぶつぶで鮭がぱらりとほぐれて、と、ボリュームは小さいのだけれど、美味しく食べて、鉄道を見ながら、随分、贅沢な気分を味わった。思川鉄道物語の時の取材と、今回の取材では、「あれ、こんなに拡張してあったっけ?と、見て居ない建物が南館と北館があった。南館は鉄道の歴史が展示してあって、見応えがあったんだけど、脳みそが、資料をあんまり受け付けなかった。南館の4階はレストランになっているのも初めて知った。今度来る時はここでカツカレーを新幹線を見ながら食べようと思う。思川鉄物語の続編は、東京サクラトラムだったけど、第三部は八高線にするつもりだ。PDFとEPUBで電子書籍を作り、表紙絵の鉄道のモチーフも写真に撮りに来たようなものだった。久しぶりに、実機の展示を見ると、写真を取りまくっている内に、表紙絵の構図とかを考えながら、写真を撮っていた。ちびっ子を連れた若夫婦がやたら多い。ちびっ子、大はしゃぎだ。南館の新幹線の実機で、函館北斗行きの表示を見ると、「大宮から函館まで新幹線でいけるんだなぁ、いつか行こう」と思うし、東日本大震災から3月に9年ぶりに全線開通した常磐線の展示では、「常磐線、青春18切符で制覇してみるか」と思うし、その展示で、常磐線より、水戸線の方が早く出来た鉄道というのも今回の取材で初めて知った。今回は3回目の訪問だけど、また、秋になって、アフターコロナがさらに薄くなって、全施設がコロナ前に戻るかどうかわかんないけど、復元したら、また行って見ようと思う。今日一日の締めは大宮そごうで買った崎陽軒のシウマイ。崎陽軒のシウマイは埼玉県春日部市の中島家の定番おかずである。幼稚園の頃から、母親と生麦の真田病院(現在は廃院)とか神奈川の親戚を訪ねる度に、帰りに決まって京浜急行の売店で崎陽軒のシウマイやシウマイ弁当を買っていたのである。ソウルフードと言っていいのである。大宮でも、以前は今のルミネ1の一階で買えた。でも、その当時は配送距離の問題で、シウマイ弁当は売っていなかった時期があって、あるときから買える様になって、高島屋の屋上で、一人、空を見上げながら、シウマイ弁当を食べたりしていた。今は売店は大宮そごうの地下一階に移動している。ニューシャトルで、鉄道博物館駅に行くときと帰りに、色々思う。ニューシャトルが出来た当時、伊奈学園総合という高校が出来て、中学3年の時、美術も専攻して学びたかった私は、伊奈学園総合の美術専攻が第一志望だった。でも、受かるかどうかわかんないから、偏差値を20落として、絶対受かる県立の庄和高校に進んだのだった。滑り止めで私立は母親が泣くから。それはそれで、埼玉県立庄和高校で、美術部で2年半ほど、美術に、油絵に、読書に夢中になってて良かった。変に専攻課程を舐めてしまっていたら、多分、今の私はあり得ない。サラリーマンデザイナーの社畜として家庭を築いていたんじゃないか、と思う。もっとも、我慢出来ない性格だから、そうなっていたかは、定かでは無いけれど。あと、大宮機関区を見てみると、改めて大宮って鉄道の街だな、と思う。さいたま新都心の場所は、貨物列車の操車場だった光景を長い事見て居たし、東北新幹線・上越新幹線が大宮が始発駅だった頃は、母親と弟と、新幹線を見に来た記憶とか、その前はいなほと言うL特急で、新潟県村上市や山形県鶴岡市に行き、手に持っていた本は宮沢賢治の銀河鉄道の夜だったり、帰りは夜行列車、そう、夜行寝台ではなく、単に夜行列車で大宮に戻って、タクシーで夜中に春日部に帰ったこと、とか、大宮や鉄道で随分、昔の記憶が甦る。蛇足で、言うなら、今の西口が整備される前、私が高校二年生の時、駿台予備校の駿台模試を杉本ってヤツと一緒に受けに来たとき、帰りに食べたラーメン屋なんて、戦後すぐに出来たような、そんな貧民窟みたいな、場所だった。カレーラーメン、とか、けったいなメニューが一杯のラーメン屋。今は信じられないかもしれないけど、戦後の匂いのする貧民窟だったんだよね、大宮の西口ってね。懐かしい話です。2020/06/20

NTTデータ、デザイナー集団の新ブランド「Tangity™」を創設
〜NTT DATA Design Networkの取り組みを強化〜
のニュースをメールマガジンで知って思う事。「サービスデザイン」という言葉。2020/06/18

NTTデータという会社を見かけたのは、古河市を訪問したとき、バスの車窓から、やたら三密だけど、結構な建物を古河市で見かけたから。検索で調べて見ると、官公庁関連の会社、と言う風に記憶していたから、私のはあんまり縁の無さそうな、NTTのグループ会社、と思っていた。今日、メールマガジンで、NTTデータ、サービスデザインの業態の新ブランド発表、と言う記事を読んで、「ああ、なるほど、私のやっている事は、デザインの中でもサービスデザインという範疇に入るんだな」と思ったことだ。例えば、フェースブックで、春日部のスナックがアピールしていて、友達になって、スナックを訪問し、売上が上がらない、客が来ない、認知度が足りないみたいな問題点を発見し、飲食物のメニューが値段が書いていないメニューをリデザインして、お客にも、スタッフにも商品の値段がひと目で理解出来る様にする、とか、看板メニューを作ってあげて、閉鎖的なスナックの中の商品はどう言うものか、一回入るとどのくらい掛かるのか、と客に計算させる様にする、とか、パソコン一台とカラープリンターとキンコーズで、随分出来る、「サービスデザイン」はあったモノである。今までの肩書きで、「IT導入コンサルタント」とか「店舗運営コンサルタント」とか「グラフィックデザイン」とか「ITストラテジーの提案」とかを一つにまとめると、「サービスデザイン」という事になるのだ、とNTTデータに教えてもらった様なものであった。なるほどー。2020/06/18

自分が書いた小説を改めて、紙にプリントアウトして読むと、やたら面白い(^_^; 2020/06/18

出版社Blueirisの無料出版物として、初期リリースは4冊か5冊かな。「プラモのモモちゃん模型日記」と「モモちゃんのPC講座」と「中島英樹(Blueiris)画集 庄和高校美術部から、2000年まで」と「星野女子大模型部ですっっ!!」、頑張って、「思川鉄道物語・印象、トーキョーサクラトラム」だろう。モモちゃんのマンガ2冊を良っ見返すと、たどたどしい9コママンガなんだけど、「今、この内容で描け、と言われたら、ここまでしつこく考えて描けない」だろう。2冊とも読み返すと、吉川市の奴隷労役の倉庫で働きながら、5ちゃんねるの痰壺にはまりながら、良くやったんだな、と思えてくる。つまり、懐かしい挑戦の記録だった。今ならもっと、レベルを上げてマンガ絵が描ける様になっている。コロナショックの後、少し一皮むけたように、今、クロッキー帳には、レベルの上がった描写のヒイラギ・モモと船渡川遙が存在している。マンガの2冊の表紙絵のラフは大体出来たので、次ぎに「星野女子大模型部ですっっ!!」の表紙絵だ。2019年の1月に、Bookwalkerで販売するつもりで、コツコツとデータを作っていて、Bookwalkerを放棄して、1年半だ。やっとblueiris.jpで無料発行と言う算段がついたのだった。昨日、折角両面印刷出来るカラーレーザープリンターを買ったのだから、と一太郎から全ページを出力した。紙にだすと結構な枚数になり、「これ、俺、本当に書いたの?(^_^;」と思えるボリュームになる。寝る前に読み返して、登場人物の全てのキャラクターを思い出そうと読んだら、自分の書いた小説なんだけど、読んで面白いのである。なんか、小説を書くのが趣味な友人の、プライベートブックスを読んだような、気になった。確かにこの「星野女子大模型部ですっっ!!」は「解る人にだけ、解ればいい」と言う突き放した姿勢で執筆した。書いた私にしか解らないような、私受けするプライベートプロダクトと言っていいような作品だな、と一年半経って改めて読み直すとそう思える。小説を書く事は面白い。自分の思考過程の記録を物語として読める。過去の思考の記録が、可愛い女の子となって躍動するのだから、いい趣味を開拓したな、とここまでの感慨に11年掛かっている。初めて書いた「桜花物語」もSF戦争小説だったけど、WEB小説にしていたよな、とか。今度はWEBで無料ダウンロードできる、PDFとEPUBに11年掛かって進歩した。このメソッドだと、電子書籍の紙を超えた、可能性にいくらでも取り組むことが出来る。どういう事か、と言うのは、上記のイラストが盛り込まれた「星野女子大模型部ですっっ!!」を始め、今後、カクヨム作品は、全てPDFファイルとEPUBファイルで電子書籍の体裁で発行していくつもりなので、楽しみにまっていてください。もちろん新作も準備している。他人・他社の出版社の土俵だと、制限がかかる出版物も、自社ドメインで発行出来る強み、と言うのを、一連の無料ダウンロードを読んでもらえれば、私の21世紀の出版という、一つの中島英樹(Blueiris)の回答がそこには見いだせるようにしておこうと思う。「そうか、こういうやり方だと、東京の出版社は関係ないな」と思って貰えると思う。私のやり方をドンドン真似して貰えれば、日本に21世紀の出版文化が色とりどりの花として咲いていく日を夢想しながら、日々、少しづつやっていきたいと思う。2020/06/18

ホットケーキミックスを買うことで、東京圏とネイチャー圏の違いを考える。2020/06/15

田舎のスーパーでは難なく買えてしまうホットケーキミックス

 ホットケーキを急に食べたくなったのは何故だったかなぁ、と言うと、毎朝情報チェックに使っているFMラジオのFMNack5で情報が出てたから。朝メシを食べながら、FMNack5を聞いていると、6時~6時45分台に、埼玉とか千葉方面の電車情報や、東京発行の新聞の抄訳とか全て聞けるから。テレビなんかよりよっぽど有効で、情報が速いから。それでホットケーキがブーム、みたいな話で、「へー自分も食べてみようかな」と思って、最初春日部のスーパーでホットケーキミックスとシロップを購入出来た。その後、春日部のスーパーではスパゲッティも買うのに難儀になり、ホットケーキミックスなど見る影も無いほどの小麦不足の様に春日部市だと、そう見える。と、言う事は東京圏ではどこでもそういう事なんだろう、と言う事だ。今日、倉庫が終わる頃、「またホットケーキミックス買うか、多分田舎のスーパーでは冷静に売っているだろう」と思って、いつもの帰り道とは反対方向にちょっと走って、最近出来た田舎の大手スーパーに行くと、やっぱりあるのである。いくらも売っているのである。3月だかに、春日部のスーパーから米が消えた時期があったけど、やっぱりこのスーパーでは米をたらふく売っているので、ホットケーキミックスもきっとそうだろう、と思ったら正解なのである。この事から、春日部市の春日部市民と言うのは大分東京圏とテレビメディアに洗脳されている東京都民が増えた、と言う事で、倉庫の近辺は東京への直通電車は無い、駅から歩いて行くと空き地にキジの夫婦が歩いている、と言うほどに田舎だからだと思う。東京圏とネイチャー圏を分ける境界線は埼玉では国道16号線が前線であろうと思う。さいたま市から以北は髙﨑線と国道17号で、あの沿線は深谷辺りまで東京圏が突き抜けてはいるけれど。東京圏住民の脳みそはテレビそのモノである。東京的生活に憧れて、実質、東京の南青山の億ションに住めなかった低層レベルの東京の奴隷達は、京浜東北線から宇都宮線や髙﨑線、東武スカイツリーラインや西武池袋線や、最近ではつくばエクスプレスでつくば辺りまで、南青山に住むことが出来ないどこの田舎の連中が東京人ヅラしたくて、上記沿線に住むのだろう、と言う事だ。そしてテレビで、「ホットケーキ」と言えば群がり、うまいラーメン屋があるとテレビで言われれば、2時間も待ってもその店で食べたがるような連中であろう。そんな達観をホットケーキミックスを一つ買うだけで思えるほど、埼玉・東京と51年見て来て、感慨にふける今日の夜だった。2020/06/15

カレイドスコープワークス 第20話 廃墟の街をバスで通り過ぎて 2020/06/14 久しぶりの小説の新作。(^_^)

 20XX年、氷上兵庫は95歳になった。芸術活動のさなか日銭稼ぎに日雇いの会社顧問をやるようになっていた。今日は昔東京都と呼ばれた自治体と神奈川県と呼ばれた自治体の昔の境界線にある、一次請けの建設会社の業務改善指導に訪れていた。仕事の経験値が異常に高くなった兵庫は、経営・事務・営業・現場とひと目で改善案を提案出来る、そんな古老になっていた。
「あー、じゃぁ今日はここまでですね。大体私のやり方を理解しましたかね?では、私のやり方を覚えておいてもらって実践してくださいね。ギャランティーは、銀行振り込みで、メールで話したとおり、日当1万円でいいですわ。それじゃぁ、住処に帰りますね」
「ありがとうございましたぁ」
 と、事務方の女性達に見送られながら現場を後にした。
「さて、来る時は駅から車で送ってもらったけど、帰りはどうしようか、マップだとバスがあって、春日部へ直通の電車の駅までのバス停があるか、では乗ってみようか」
と、訪問先の会社から、5分ほど歩いた場所のバス停に向かって歩いた。程なくバス停は見つかり、バス停の時刻を見ると、16時30分に、地下鉄乗り入れの私鉄の駅までのバスがあると言う事だった。
やがて、EVの小型バスがやってきて、バス停の前の兵庫の前で止まってドアが開いた。この時代のバスはAI化が大分進んで、7Gの電波で少々の誘導があり、自律性は、40年前と比べて格段の進歩があった。
小型バスに乗り込むと、一人の女子高生が座っていた。さすがに兵庫は95歳である。口説くわけにも行かないというか、幼児と一緒にバスに乗る、と言う感じになって、ちょっと話しかけた。
「やぁ、お嬢さん、この辺の女子高生かね?○○駅まで行くんだ。しばらく一緒だねぇ」
「あら、そうですか、私も○○駅で降りるんですよ、この辺は詳しいのです。地元だから、バスガイドをやりましょうか」
「ああ、そうだねぇ、私は乗り物で色々風景を見るのが好きなんだ。この辺は95年の人生でも初めて通る場所でね、関東プレーンで95年生きてても、来た事の無い場所はあるものだよ」
「そうですか、えーっと、次ぎは白眉です。何も無いところです。と言うか○○駅まで、森が茂っています。地域現代史だと、2030年くらいまでは都市だった様ですけど、2030年に21世紀が本格化して、廃墟の中に木々が立ち並ぶ風景になったそうです。私は、生まれたときから森と廃墟だったので、これが当たり前なんですけどね」
「20世紀都市か、私は1968年生まれなんだよ。だから、昔Tokyoと呼ばれた所の都市の思い出もあるものだよ、そうか、ここでも20世紀の名残が見られるのか」
と、兵庫は女子高生と二人で話して、いくつものバス停を越えていった。車内の液晶ディスプレイに、「地札」という地名が出た。兵庫は、よくある地名だ、と思った。しかし女子高生は、怪訝な顔をしてガイドした。
「地札というのは、2030年頃につけられた、正式な地名ではないのですけどね。2030年に、地札にあった、巨大企業の建屋の中で大量の自殺者が出て、日本で大事件になったと言う事からつけられた通り名のバス停です。誰も降りる人は居ません」
と、そこまで聞いて、兵庫の脳内の情報データベースで、引っかかるモノがあった。そういえば、神奈川の方で、そんな20世紀の終末の事件があったような、とうろ覚えだった。
やがてバスはその地札というバス停に差し掛かる。兵庫は、窓の外を見た。うっそうと茂った木々の中に、巨大な5階建ての一面ガラス張りで、少々の壁は全て緑色に塗られた建物が見える。窓の中を目を凝らして見たが、建物の中には何もないようだったし、まず第一にひと気というものが全く無いバス停だった。木々は往復2車線の道路に張り出すように茂っている。緑の中の緑の建物、そして中は薄暗く、何も存在していない。
20世紀の終わりが2030年に明確になり、20世紀西洋資本主義経済の奴隷達は存在理由を失った。オールドメディアに洗脳され、生きる事の自在性を喪失したサラリーマン達は自殺という手段で、ラクになることを選んだ人間が多数出た。この建物はそんなランドマークだった。
やがて地札のバス停を通り過ぎ、やはり、濃密な森を抜けいくつかのバス停を越えると、ようやく人里の気配が出て来た。
「もうすぐ終点ですよ、どちらへお帰りですか?」
「昔、埼玉県春日部市と呼ばれた自治体の95年も住んでいる我が家へ帰るんです。ここから電車で2時間ほどですな」
「へー、随分遠い所へ帰るんですね、私なんか海辺の家に帰るんです。電車で隣駅です」
「60歳くらいから、人生とか仕事経験を買われて、会社の日雇い顧問をやるようになってね。北海道から九州まで行ってるよ。今日はそれでも、初めて来た地なんだよね。ここは」
「あ、終点に着きましたよ。それじゃ、私は反対方向の電車なので、これで」
と女子高生は会釈をして、バスを先に降りた。兵庫も、95歳とは思えないしっかりした足取りでバスを降りて、周りを見渡した。20世紀的コンクリートのビル群が建っている。駅はどこだろう、とバス停を降りた道をちょっと南へ行き、角を曲がると広いロータリーとか、車の寄場があって急に視界が開けた感じがした。右手に目をやると、自動販売機があったので、話しすぎて丁度ノドが乾いていた兵庫は、レモン果汁の炭酸水を購入した。
ガタリと、音を立てて飲み物の缶が出てくる。手に取って、フタを開けて、少し口に含んだ。その脇を、今時の服装をした若者二人が歩いて行く。西の空は夕焼けだった。これから2時間かけて、住処へ戻る、と考えると気が重かったが、そんな事も言っていられない。静かに炭酸水を飲み干して、缶を捨てて、電車の駅と思われる建物の方へ歩いて行った。

と、小説の体裁にするために、ちょっとアレンジしましたが、こんな夢を見たのです。2020年の6月に。中島英樹(Blueiris)2020/06/14

上記の小説はカクヨムに置いたままの「カレイドスコープワークス」の続きです。ちょっと時間を頂きますが、PDFファイルとEPUBファイルにして、無料ダウンロードのページにアップロードします。その時、私の小説のマネタイズ方法が発表出来るかと思います。多分、日本人でやっている人というか、類するサービスは、ラブひなの作者がやってますが、あれとテイストは似たマネタイズだと思います。ただ表紙絵とかに悩んでいます。2020/06/14

2020/06/13 新しいカラーレーザープリンターNECの5800c買いました。

でかい。とにかくでかい。でもこれで22800円なのだ。

 自分の事業の展開の為に、「A4のカラーレーザープリンターが欲しいなぁ」と思ったのが2020年の2月末くらいだったろうか。最初は富士ゼロックスのA4サイズにしたかった。でも、純正で営業所で買うと10万円コースなのだった。富士ゼロックスには知遇があって、それで富士ゼロックスで買いたかった、お金があれば。でもお金が出来なかったので、Yahooショッピングとかで2万円台で、A4カラーで、両面印刷出来るカラーレーザープリンターとかカラーページプリンタとか、色々でていた。とりわけ注目したのが上記のNECのシリーズの一番古いヤツ。5800cなのだった。結局amazonで、Yahooショッピングで見覚えのある業者から買うことになった。送料無料で22800円である。たたき売りである。もうこのクラスはどこのメーカーも本体で利益を出さずに、インクジェットプリンターならインクで、カラーレーザープリンターならトナーで利益を出すビジネスモデルになっている。EPSONの純正インクの高さに呆れて互換インクでしのいできたが、事業の新しい展開の計画の為に、A4カラーレーザープリンターを購入したわけだ。製品ページによると10万枚使い切りだそうである。交換用のドラムは用意されていない様である。10万枚程度で、ドラムに寿命が来たら、そこで終了の様だ。勿体ないと思う。でも、10万枚の時点で、「ドラム交換するより、新品買った方が安いですよ」となるんだろうなぁ、と段ボールが届くまでに考えた事だ。沖電気の場合は、もうちょっと保守・交換などは、永続的にやるようだ。昔、1991年頃、MacintoshDTPが新しもの好きのデザイン事務所にチラホラ導入され始めた頃には必ず、沖電気のマイクロライン801psが導入されていたように思う。私が初めて触れたモノクロレーザープリンターは、だからOKIのMicroline801psだった、と言う事だ。すさまじく高い時代だったと思う。いくらだったろう、50万は下らなかったんじゃないだろうか。MacintoshⅡciが70万超えてて、あの当時個人の力では購入など無理な時代で、医者の息子とかが使う様な世界の話だった。2020年、22800円でカラーレーザープリンターが買える時代になった。この5800cで10万枚を印刷しきったら、OKIの5年無償保証で、ドラムは永年交換出来るカラーレーザープリンターにしようかな、とOKIとamazonを見て考える事である。とりあえず、事業の進展は少し進んだことにはなるけれど。2020/06/13

追記だけど、このプリンターのドライバーを入れるの苦労した。CDーROMのおまかせインストールだと、このCDROMは多分Windows7くらいまでしか対応していないようで、インストーラーを立ち上げてもネットワーク上のプリンターを認識しなくて、ドライバーがインストール出来ない。要するに古い新品だから、Windows10には、思ったようにドライバーをインストール出来なかった。最初ネットワークの不備かな、とかパソコンじゃプリンターが出てるのに印刷出来ないのは何故?とか数時間悩んだ。結論は、「設定」の中にいつの間にか出てる5800cのドライバーを削除して、NECのページから、最新版のドライバーファイルをダウンロードしておき、設定の中のデバイスの中のプリンターで「プリンターの追加」でドライバーを読み込ませないといけないのだった。正解が出るまで、結構、「イジりすぎて、壊したかな?(^_^;」という位試行錯誤しました。この記事を読んで、購入を考えて居る人は、CD-ROMはWindows7とかDOS/V位までの対応だから、注意が必要です、と言う事を申し上げておきます。2020/06/14

2020/06/11 ふと気が付けば、ポストにアベノマスクが投函されていた。ふーむ

いや、もう、私の行動半径だと、時期過ぎてるんですけど。

木曜日は倉庫の週末である。追い込みで週5日間で一番忙しい日になる。帰りにスーパーで1週間分の食材を買って、雨にずぶ濡れになりながら帰り、ポストをチェックすると、色々チラシだの電気の検針票だの入っていて、「おや?」と思った封筒が入っていた。アベノマスクであった。春日部とか国道16号線が通って居る市区町村は、大体東京圏とネイチャー圏の前線みたいに思っている。もう春日部は大分東京に侵食されているけれども。ネイチャー圏で仕事して、自宅に帰っている私は、まったくと言っていいほどコロナウイルスの脅威とか、テレビメディアに洗脳されていないので、倉庫と、コンビニやスーパーに寄る時以外はマスクをつけていない。まったく脅威に思えないからだ。風がどこでも涼しい。6月の中旬に差し掛かり、私の行動半径では、自然の力がコロナウイルスを放逐している様に感じて居る。つまり、上記のアベノマスクなどは、もう必要ないのだ。今頃届いてもしょうがないから、休憩時間に得た情報でマツモトキヨシが交換にタピオカおごってくれる、とか、色々交換サービスが出てくる様だ。だから、捨てないで、何かに兌換するつもりで取っておこうと思う。私は当分政治的発言はしないが、しかもこんな大してPVも無いWEBサイトで、天下国家を論じてもしょうがないので言わないけど、これだけは言わせて。「次ぎの選挙は、ミンナで野党連合のどれかに入れよう。ダメ出しが大好きな連中同士で、ダメの出し合いをして欲しい」かな。溜息が出るねぇ。せいぜい、北埼玉の春日部市で、「北埼玉ブルース」を聞きながら、広大な可能性を思う事だけである。 https://www.youtube.com/watch?v=prO5bTiEaZY  2020/06/11

2020/06/06 道の駅しもつまで見かけた21世紀の自動車の糸口。急速充電器って初めて見ました。EVに乗っている人って見たこと無いけど。

道の駅しもつまで見かけたEV用の急速充電器。なんか専用のカードでお金払うみたいです。ソケットは統一規格が出来ている様です。
これなら自動車を持たない主義の私でも思わず買ってしまうレベルのEV。これ、目立つけど。

道の駅しもつまを見学していると、外れに急速充電器が置いてあったので写真を撮った。機械を見ながら、なるほど専用のカードで電気代を払い、専用の規格のあるソケットで充電するんだなぁ、と思いました。ガソリンの4輪自動車は買うことは無いです。4輪自体が非合理的な乗り物に思えているので、家族を連れて、なんかいどうしなければならない場合、極力公共交通機関か徒歩ですが、4輪を買うならEVで上記のTOYOTAのLQのレベルがどんどん出回る頃には買えるお金がある様な、遠い未来の話です。(^_^;2020/06/06

2020/06/06 走りながら考えた事。「やっぱり、原付で茨城県は無理です。250ccじゃないとアベレージスピードが車と自動二輪に完全に追いつかない(T-T)」

VTR250の中古15万とか
カワサキのZZR250で10万円とか
このH2 Carbonを私が大型免許取って買って乗ったら、免許取り消しか、死ぬかどちらかなので、プラモデルで納得します。

いやー、下妻市まで春日部からホンダのTodayで走った感想は「さすが、ホンダ、絶対壊れない安心感がある」のと、「もう原付だと国道の片側二車線は無理だし、アベレージスピードが違いすぎるから、時間がロスに思える、やっぱ普通自動二輪だよな」でした。YZF-R15の新車を考えてたけど、今は「ホンダの250ccだったら10万円以下でもメンテナンスフリーで走れるんじゃないだろうか」とつくづく思った。コンビニでスマホで検索しても、VTR250で安いの無いけどね。カワサキのZZR250だったら、もう完全にビンテージモデルなんで、本体価格7万円であるけどね。どっちかになると思う。カワサキってそんなに信頼していいのかしら、解らない。でもZZR400とか250って昔欲しかったバイクだよなぁと思う。ZZR400のワインレッドが欲しかったのって29年前くらいになるよな。その前は、GPZ400だったよな、とか。ヤマハの青いバイクは今の稼ぎでは無理っぽい。ヤマハの250ccって4サイクルで適当なのが無いよ。SRX250とかはかなり無理があるし。R1Zはイカスけど2サイクルだし。2サイクルのDIOで痛い目に遭っているから、2サイクルはMVX250以外は考えて居ないよ。H2Carbonってカワサキのバイクがあるけど、これは私のバイクや機械に対する接し方で乗ったら、免許取り消しか、公道から吹き飛んで死ぬかしかないので、まぁプラモデルは作って、永遠に叶わない甘い夢とするしかないし。お金があれば、そりゃ新しい、カワサキのZX25rの250㏄4気筒とか、電動バイクのニンジャとかどっちがじゃないでしょうかね。電動バイクが出たらためらうこと無く電動バイク買いますけどね。21世紀ですからね。あ、そうそうEVで思う事も書いておこう。

2020/06/06 結局、今日も茨城県を原付バイクで旅して参りました。ホンダの滅多に壊れないバイクで安心して100キロくらい走ってしまった。(^_^;

常総市(旧石下町)の豊田城から見た広大な穀倉地帯と、豊田城内の長塚節の情報とか豊水橋の写真とか

昨日の夜に寝るまでは、「たとえ往復3700円かかろうと、電車(関東鉄道は気動車)で行く」と思っていた。茨城県下妻市の事である。朝起きて、「やっぱり、金かかるからバイクで行こう」と起きて切り換えた。朝食はパンを6枚食べて7時10分に出発した。。水海道で味噌を買い、県道357号線だかを下妻市までまっすぐ。途中で三妻駅の案内が出たら、寄り道して味わいのある鉄道風景を写真に取って、「水海道4部作」とか「カレイドスコープワークス」の資料とした。道の駅しもつまで常陸そばのもりそばを食べて国道294号線を守谷市の南守谷までまっすぐ。ここで「ふらっと294」というスマホアプリのネーミングの意味が2年掛かってやっと解った。途中でお城が見えたので、立ち寄ったら、歴史資料館だった。長塚節(ながつかたかし)って、最初常総市立図書館でチラシで知って、「セツモードセミナーの長沢節(ながさわせつ)とどういう関係ですか?」とぱっと見思った。今日、詳しい資料を拝見して、「なるほど、農民文学で、正岡子規と交流があって35歳で死んだのか」だった。あんまり感慨はなかった。昔の若くして死んだ作家という事くらいで。地理的歴史資料だと、石下町近辺は平将門公の本拠地だったそうで、「なるほど将門公の息吹のある地が石下町近辺か」と言う事だった。あと、鬼怒川と小海川に挟まれた常総地方は江戸時代から記録がある限り、大雨が降ると、洪水なる地なのは江戸時代から変わっていないと言う事だ。5年前くらいの関東大豪雨の際も鬼怒川が決壊して、水海道は全て1.5メートルくらい水没したのだった。あの時の雨は地下神殿のある春日部でもやばかった。私の家もあと5センチで床上浸水だったからね。守谷市では、ネットで知ったバイク屋を訪ねたけど、店頭にはめぼしいバイクは無かった。ただ購入後の面倒見は良さそうなバイク屋だったけど、地理的に春日部市民には利用は出来ない。色々計画があったけど、それは白紙に戻したのだけれど、その名残としての訪問だった。守谷市から、利根川を渡るには、南守谷から一本しかない。常磐道は別、つくばエクスプレスも別だけど、原付は一つの橋を渡って柏に行くしか無かった。布施入り口という交差点を西に曲がって、柏の葉に久しぶりに行こうかと思ったけど16号が渋滞していると思ったので、利根川沿いの森が生い茂る野田市への裏道を選択した。スムーズに流れて、気が付けば野田市街の16号に出た。そこからは隣の庭なので、16号で庄和町まで帰った。帰り、ファミリーマートでチーズバーガーを買って、家でレンジで温めて小腹の足しにした。家計簿つけて、メシ食って、シャワー浴びて、今サイトを更新している。シャワー後に身体を拭いたら、腕は日に焼けていた。道中色々考えた事もあるけど、考えを全てこのサイトに書くのは、単に無駄な障害や不愉快を生む事になるので、もっと自分にとって楽しくて、豊かになる事を行って、一日終えて、また明日から週5日で倉庫で米を運ぶだけである。昨日今日と、「星野女子大模型部ですっっ!!」と「カレイドスコープワークス」をPDF版とEPUB版をver.1.0として上げても良かったけれど、アタマを空っぽにして、また事業の再構築を行いたかったので、孤独な旅行を楽しんだ。6月はどんどん旅行に行くと思う。少々のお金が浮いたら、旅行、そして発見し、開発して、無料出版物を制作していくことと思う。今は7ヶ月間の停滞の切り替え時期です。新しいダンジョンが待っていると思う。少しづつステップアップしています。それでは。2020/06/06

2020/06/05 今日も茨城県を旅して参りました。NAVITIMEのマップでもGoogleMapで見ても、パソコンの画面からは想像が全くつかない世界に身を投じるのが、最近のクセで、楽しみなのです。

まぁこういう世界でした。

今日も、前々から連絡を取って、準備していたことで、あるモノを入手しに、宇都宮線の某駅からバスで30分、片道運賃530円の世界に行ってきた。人の世を長閑(のどか)にし、と、夏目漱石の草枕の芸術家の心境で、MP3プレーヤーの電源は切って、流れゆく緑の光景を眺めて、宇都宮線から見れば地の果てか?と言う世界にたどりついた。人の世をのどかにしても、結局人に会うのは人の世に生まれ育った人間だからである。モノを入手して、帰りのバスまで軽く1時間あるので、とりとめなく田舎の人と話したけれど、「はい、東京の建設現場で45カ所東京を巡ったのと、栃木県の水田を散策して巡った光景と私には二つあって、じゃぁどっちが真理なんだ、と言われたら、人間で、とりわけ日本人だったら、米を食わなければ生きていけない、と言う方が真理であって、東京の連中はまだ米は金を出せば買える、手に入ると思っている。いや、東京証券取引所が閉鎖になるほど、西洋資本主義経済が終わって、東京の金がすっからカランになったら、多分東京の連中はいままで買いあさっていたブランド品なんかを風呂敷に入れて担いで電車に乗ってこの辺に米をブランド品と交換に手に入れようとやってくるかもしれませんね。戦後の米の買い出し列車と同じ光景が見られるかどうか、まぁどうなるかわかりませんけれど(苦笑)」なんて話をした。去年もそう。人形町で、あの江戸の町もいつのまにか、三密のこぎれいなオフィスビルが立っていて、その建物を見た時、直観で、「こんな建て替えて、この建物の中に企業も人もまったく入らない世界になったらどうするのだろう」と思いながらサイゼリヤでランチを食べた記憶がある。その直観はあたり、コロナウイルス禍で、東京駅の東京上野ラインのホームから丸の内のビル群を見た時、「中に人がいる気配がないなぁ、しかも全ての建物ガラス窓は開かない。全てエアコン頼り。三密の世界だし、終わったな、東京」ってつくづく思った。だから、茨城県某所の帰りのバスの中で、女子高生達に囲まれながら、「終わったな、東京」と考えを巡らしながら、MP3プレーヤーの電源を入れたのであった。2020/06/05

2020/05/30 昨日ちょっと旅をして帰って思った事。コロナ騒動の一区切りに際して。

昨日、ものスゴイ自然と田畑の世界を歩いた。そういう自然の世界に居ると、「まぁここじゃ絶対コロナウイルスにはかからないな」と言う、ひとりぼっちの徒歩の旅だった。帰って、今日さっと思う事は、「コロナウイルスというのは、中国の奥地の人間が立ち入らない様な、自然の奥地の、自然が天の理として、隠してあったコウモリのウイルスを中国共産党の武漢の研究所が掘り起こしたモだろう。つまり、人類はまたパンドラの箱というか、逆かも知れないけど、天の理に順じない事をやってしまったから、天の作用で、科学技術や今は単にデジタルデータになった狂ったような金の流れの中の人間の傲慢と天狗になった鼻っ柱が折られたって事だよ。第二波、第三波っていうけど、これ、都市文明が都市文明の形態をとり続ける限り第X波で続くと思うよね。文明のあり方すらジャンプアップした発想で新しく創り出さないと、持続可能な人間社会と言うのが成り立たない、と思う様になった。先日、無人の秋葉原を写真に撮って、御茶ノ水から、無人の東京駅に行って、上野東京ラインを待っている間に、丸の内の豪勢なオフィスビル群を眺めていた。建設現場の経験で建物を見ると、全て窓が開かないエアコン頼りの建物である。つまり、三密世界をそのままだと耐用年数が来るまで、三密の世界を保持し続ける、と思う。つまり東京は中国の奥地の洞窟と同じ、コロナウイルスの繁殖場所として、都市文明が終了するまで、つまりあの狂ったように建て替えた建物群が消失するまでは、第XXXXXX波になるまで、無限ループするのではないかなぁと思う。建設現場で真摯に働いて、結果、金銭的には真逆の結果になった感想でいうと、「もう東京で絶対働かない」と骨身に染みて思う。ますます東京の影響が少ない地域を選んで生活の糧を得ていくしか、今の所ないように思う。なぁに、自分の個人事業が潤沢に資金が入って来て、俗世に出る必要がなくなるなら、それに超したことはないけど、今はそういう段階でもないし、色々な支配者層の作用もあって、長い間、俗世間で、生活の糧を得なければならないかもしれない。それは今の所解らない。資金でいうなら、一つアイデアが閃いて、それは後日このページのダウンロードページで案内すると思う。とにかく作品を作って行くしか、お金を少々得なければビジネスは停滞したままだけど、歩みを止める訳では無い。ただ、歩調がさらにノロくなるだけで、前進していることは前進している。もう一人の作業容量じゃたりない事は理解している。資金を得て設備を整えなければ、次ぎのステップにいけない事も解っている。でも、世間がこんな調子だから、台風の中、航空母艦から出撃する戦闘機はそうそうないのである。イライラしないで、「星野女子大模型部ですっっ!!」のPDF版とepub版を作りたい。その表紙を書き上げなければならない。あと明日まであるから、表紙イラストは出来るかも知れないけど、勢いはつかない。気分転換に、マルゲリータピザでも食べようと思う。それから、真摯に机に向かいたいと思う。それでは。2020/05/30

2020/05/24 今日は父親の導きで、埼玉県深谷市の渋沢栄一資料館を訪ねてきました。でも、その前に「部落」という言葉に対する論考を

まぁ初めてネットで明かすけれど、私は千葉県で働いて居ます。倉庫の仕事が終わって、近所に昔からの神社があるので、そこに挨拶しに行く。そこで、この前発見したのだけれど、江戸時代からの小さめ石碑が立っている。○○村○○部落と書いてある。「そうかーここは江戸時代は○○村の○○部落だったのか」と記憶する。で、ここで、2020年の日本人は「部落~被差別部落なのかよー」と言ってしまう。で、母親の口伝とか自分も色々な関東平野に隠された江戸幕府の歴史を発見して回っているのだけれど、部落ってのは、昭和の戦後の部落解放運動とか、そういう運動が起こる前は、「村落」のさらに細かい単位が「部落」だったに過ぎない。のだと直観している。部落という言葉に部落差別とかそういうネガティブなイメージがついて回る様になったのは昭和の戦後の話であって、戦前までは、普通に村の中の一部の部の部落という事だったのだろうと思う。実際、私の母親は、新潟県岩船郡山北町勝木の日本人部落に住んでいた。生まれは父親(私の母方のおじいさん)の職業が国鉄の保線員だった関係で、鉄道官舎で生まれている。それで私の母方の親戚は国鉄→JR東日本という鉄道の系譜になっている。私は生まれたときから鉄ちゃんでもある。それはさておき、ああ、一応言うと、私の母親は、昭和5年に生まれて、尋常小学校から高等小学校まで通ったかな、中学生相当の時は、国民学校になり、中学生の女の子が、新潟の軍需工場で戦闘機疾風の尾翼を作っていたのである。日本の歴史です。きっとB29が新潟まで爆撃に来た世界ですねー。で、幼稚園とか小学校の時は、NHKの朝のドラマ、「おしん」と同じ世界で、大根メシと同じようなモノを食べて育った、と言う。私の母親は「おしん」を見ながら、大根メシを食べるシーンで、懐かしいというか、それ以上の感涙を以て見ていたのを子供の私は見ていた記憶がある。新潟に関しては、それ以上は言わない。さて、次ぎに、私は1995年、ぶっ壊れた中島家がイヤで飛び出して、家出をしたのね、で、阪神淡路大震災の後の神戸に降り立ったのです。三宮だったかな、六甲山を越えてバスで神戸に向かうまで、ひっくり返ったビルとか、原子爆弾でも落ちたんでしょうか、と言う崩壊した街並みを見ながら新幹線の神戸駅前に降りたって、テキ屋の焼きそばを食べて美味しかった記憶がある。「東京・埼玉はもう居たくないから、神戸で印刷工でもやりながら、神戸で独立しようかなぁ」なんて、全て捨てて人生やり直すつもりでいて、電柱の貼り紙を見て求人を探したよね。で、適当に履歴書書いて、神戸のマンションの避難事務所に行って、土工人足っていうか、なんつーか、まぁそういう何でも屋の会社に入って、西脇市に避難したよね、神戸民と一緒にね。で、西脇市で避難民と共同生活しながら、仕事しながら色々見て回って、あの、兵庫県西脇市周辺で、埼玉県春日部市どころか、埼玉県・関東ではまったく見られない、おかしな建造物がちらほら建っているのに気が付いた。地元の土建の上司と車が一緒に「あの建物はなんですか?」と聞いても、ハッキリ答えてくれない。同僚の星ヤンには、「あれは部落差別の建物なんや、この辺の差別は根深いモノがあるんや」と言われてキョトンとしたことがある。今でも思い出すけど、あの、墓地に立っている、壁のない四方柱と屋根だけの建屋が何を意味するのか、春日部市民の私には謎である。今でも意味が良く解らない。春日部の母親に電話で連絡したとき、「なんか、この辺の人、墓に入れない人が居るようだ」とは言った事があるけど、謎である。今日も埼玉県深谷市血洗島(なんかどぎつい名前だけど)の渋沢栄一資料館を訪ねたけど、道すがら、色々見ながら歩いたけど、部落差別が感じられるような史跡というのは一切無いように見えた。あの辺は渋沢家とか渋沢一族とか多いなぁ、と寺に収容されない、いにしえからのプライベート墓地の墓石を見てもそう思う。元々関東の坂東というのは、群馬・栃木・茨城くらいまでは、1600年前から人が住んでいたけど、実際小山には1600年前から機織りの伝承がされているけど、埼玉・千葉・東京(江戸)までは、徳川家康が「江戸を天下一の都にするのじゃ」という事で、利根川の銚子までの移転や、江戸川の創設、荒川の創設をするまでは水浸しの湿地で、米作などにはとんと向かない土地だった。平将門公の時代まで遡れば、京都と言う都に疑問を感じた平将門公達のフロンティアだった。そう、坂東・関東というのは、平将門公の時代から、日本のフロンティアなのだった。だから、明治政府から、令和政府に至るまで、江戸幕府領から、日本が日本である理由を創り出した偉人達を一杯輩出している。伊能忠敬・間宮林蔵・二宮尊徳・渋沢栄一・中島知久平などなど、実はスゴイ所なんですよ。坂東・関東というのは。で、のほほんとした、武士兼農民の世界なんですねー。近藤勇と土方歳三が、農民からさっとクラスチェンジして新撰組とかになったのは一重に坂東という値がクラスチェンジいくらでも出来る自由な土地柄、と言う事なのだった。だから、坂東=関東では、「カムイ伝」と言う劇画の世界は全くのねつ造なんだよね。俺全巻読んだけど、あれは、すごく田舎というか、関西の話ではないか、と思うんだけど。全てが明治政府が「江戸幕府の士農工商というのは、こんなにも差別が酷くて悲惨だったんだぞ、だから明治政府は正しいのだ」と日本人をプロパガンタした名残で、令和に至ると言う。150年のそういうプロパガンタなんだよな。今の研究だと、士農工商というのは、単に名目で、クラスチェンジはいくらでも出来た、と言う研究結果が出てるのをネット記事で見た。私は足で歩いて、そう直観してた。結論、部落という言葉は、東日本では、村落の次ぎに細かい人の集まりの単位です。と言う事です。ここまで書いて、「なんだ、日本の国定教科書の日本史って、どこまでホントなのか解んないや」と思った。2020/05/24

2020/05/23 ホンダと本田宗一郎に関する記事が出ていたので、ちょっと本質が違っているから、群馬のナカジマとして補完しておく。

アニメに超期待の「スーパーカブ」バイクブームよ、もう一度。時代の要請です。

連載:第1回 社史から探る 大企業の転換点

ホンダの2度の倒産危機・復活に凝縮される、本田宗一郎の真の凄さ


https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2018/0105/supercub_1_2-3.jpg?impolicy=hq&imwidth=730

上記の記事だけど、これ、本質を語っていないよね。本田宗一郎は、少年期に中島飛行機の飛行機に憧れて、ホンダ始めたのね。高橋国光さんが、2000年に銀座の学校で証言してますね。本田宗一郎は中島飛行機を目指して、整備工からホンダを起こしたのです。ホンダスピリッツの源流というのは、実は中島飛行機の中島知久平と言うより、その技術陣とか、開発能力とか、実際、バンバカ飛行機作って国防に資する、最後国有化された東洋一の飛行機会社なのね。(昭和20年当時)だから、ホンダはホンダジェット作ったのね。だから上記の記事のライターは取材力が足りないです。ホンダのレーシングスピリットの源流というのは、多分、中島飛行機の疾風とかそういうのがガンガン日本の空を飛んでいた時代の、世界の継承だと思ってくれて良いです。平成の終わり、敗戦から80数年経って、群馬県とか埼玉県大里郡深谷町とかの源流の中島英樹は、その情報を得て、スーパーカブを買うつもりで、HONDAのTODAYを新車で買ったのね。TODAYが中国製なのは、あんまり好きじゃなかったけどね。カブの中古と同じ値段で、新車を買った方が良いと言う事で購入しましたね。で、2020年に、「スーパーカブ」というアニメが制作される、角川で。こう、軽く100年くらいの、日本の技術に対する、暖かいまなざしを持って、アニメの配信を心待ちにしてる、埼玉県春日部市の、群馬の中島英樹(Blueiris)なのだ。これはそうそう書籍にされない、昭和の歴史の秘密だ。公然と、秘密だ。(^_^)2020/05/23
補記なんだけど、気になったので、私の父親、中島武志の出生地は戸籍謄本で、埼玉県大里郡深谷町西島で出生しているのね。で、経済的な理由かどうかはしらないけど、多分当時の口減らしだと思うんだけど、中島保平と言う叔父と養子縁組をしているのね。よく読むと、中島保平の養子のまま、母親の実父の髙﨑酒造三にて婚姻届を提出するまでは、養子のままだった。この当時、太平洋戦争中である。中島家の口伝として、少年期の中島武志は、叔父の養子の家がつらくて、どこかから、群馬の榛名町の母親の元に一人電車ではなく当時汽車に逃げて帰った、と言う逸話を口伝として聞いている。父親も母親も、多感な現在の中学生、当時国民学校の生徒で、軍需工場で働いていたと言う苛烈な時代なんだよな。そういう親を持って、今51歳で、コロナ時代にて誇りに思う。こういう親に生まれ落ちて、幸福だなぁと、今のこのもやしみたいな高校生男子や、大卒新入社員を見て来ていると思うね。コロナくらいがなんだという。B29が焼夷弾落としてこないだろ、軍需工場で疾風の尾翼を作る訳では無いだろう、東京都民は甘えるな、と言う感じ。これからあれだぞ、東京の金がすっからカランになったら、東京都民は金で米が買えなくて、買いあさったブランド品を電車で担いで、物々交換で、茨城・栃木・群馬に買い出し電車で買いに行かなきゃならなくなるかもねー。東京都だけ、米配給制とかね。昭和20年8月15日以降の話か(^_^;。余談で、ナビタイムで深谷市と、中島知久平の地の太田市尾島の利根川の河川敷ってのは目と鼻の先なんだよね。中島姓って、だから、群馬県とか埼玉県の前の上州とか武蔵国の境の一族なんだろうから、もしかした、中島飛行機の創設者の中島知久平やその一族と、源流は同じなのかもしれない。wikiで調べたら中島飛行機研究所の最初の設立場所は、群馬県尾島町(もっと昔で言うと上州新田郡尾島村)の利根川のほとり、と言う。利根川の河川敷で飛行実験を繰り返していて、全然飛ばないから、地元民には、 「札はだぶつく、お米はあがる、あがらないぞえ中島飛行機」 と言う風に落首が流行ったという、あまり光の当たらない大正・昭和の歴史でしたね。いやー、戸籍遡るって面白いですね。まぁ私がNHKのファミリーヒストリーに出演することは生涯ないですけどね。私がファミリーヒストリーに出てもいいな、と思う頃にはNHKは解体されているでしょうからね。(^_^)なべて世は事も無し、と言う事ですね。上州新田郡だと、細谷村も近くで、細谷村は勤王の志士の高山彦九郎の産地ですね。高山彦九郎は、京都天皇家の勤王の源流でしたが、江戸幕府に睨まれて、狂死していますね。あとフィクションですけど、「木枯らし紋次郎」の紋次郎は上州新田郡三日月村ですね。そういう観光地があるんですよねー、いつか行ってみたいと思ってます。また木枯らし紋次郎な心境なんで(^_^)。どーこかでー、だーれかがー、きーっとまーーていてくれる♪こへん、幕府領と藩領がない交ぜの地ですねー。いやー、地域と歴史をひもとくと面白い発見が一杯できまして、今日は幸福な気分になりましたね。そうそう、だから、渋沢栄一の血洗島もすぐ近く。いやー、歴史って面白いですね。

2020/05/23 マイナンバーカードとICカードリーダーのその後の顛末

5月20日の事だったかな。倉庫の仕事から帰ってきて、ポストをチェックすると、郵便の不在者通知が入っていたので、「あれ?最近届くような荷物、ネットで買ったかな?」と最初思った。通知を取り出して良く見ると、「深圳(深セン)なんたら」と書いてあったので共産シナからの荷物と言う事で「あれ?ICカードリーダー届いた?amazonの日付だと6月11日くらいって書いてあったけど、もう届いたのか」と思った。食事・風呂など済ませて、スマホで配達日指定を5月22日にして、次の日も倉庫に行って米を運んだ。木曜日に一服しながら、女性と話していて、「なんか忘れてたICカードリーダー届いたんで、明日試しに10万円給付の申請やってみます」と言ったのだけれど、「中国の製品でしょ?情報抜かれるんじゃないの?」と言言われて、ハタと気が付く。そうなのだ。中共シナの製品は怪しいのだった。話で、「ファーウェイはハッキリヤバイけど、例えば、俺のスマホはdocomoの設計のZなんとかって中国製なんだけど、あんまり気にしていないけど。あ、でもファーウェイはヤバイよね」と言って、でも「まぁ試しにやってみるさ」と思った。今日考えてみると、マイナンバーカードはICカードで、ICチップを私が所有して、なにかの認証の時には必ずそのICチップの証明書を物理的なハードウェアに拠って最終認証するのだから、途中で例えば暗証番号やパスワードが盗まれても、IPアドレス上でいくらソフトウェア的にねつ造やその他の悪さをしても、ICチップを市役所の端末で物理的に確認すれば、まず嫌疑は晴れると思ったので、まぁ良しとした。22日の3時くらいに配達されたので、書類を一枚書き上げた後なので、ノリノリで、封筒を開けたら、エアパッキンに包まれた中華製品とドライバーソフトの入った8センチCDが一枚入ってると言う雑さだった。(笑)「もうちょっと化粧箱にいれるとかさー」と心の中でつぶやいて、USBポートに製品を接続して、CD-ROMをブルーレイドライブに入れて、ドライバーをインストールした。なにか変わったことはない。フツーにデバイスを追加しただけだった。ここで考えたのは、3回もキャッシュレス決済端末で失敗しているから、とりあえずマイナポイントの予約から試してみようと、マイナポイントの予約サイトに行った。コンビニでマイナポイントという名前のチラシが気になって、ゲットして、よく読んだら、マイナポイントを登録して、キャッシュレス決済の手段を一つ登録して、2万円を使うと5千円くれる、と言う内容だったので、気になってた。前回も書いたように、マイナンバーカードはeTAXの申請位にしか使え無いモノ、と言う狭い認識、てっていうか、霞ヶ関が、全然喧伝しないから、一般庶民で、確定申告を研究している人くらいにしか、マイナンバーカードのメリットは知られていないのが10万円給付のオンライン申請のドタバタまでの話なのであった。マイナポイントをICカードリーダーでマイナンバーカードを差して、手順にしたがって、暗証番号を打ち込んだら、すんなりマイナポイントを予約出来た。今の所それだけで停まるのであった。キャッシュレス決済のサービスの登録は7月になってからで、サイトを見ても、「これ以上は勧めません」になるということなのだ。これで自信を持ったので、10万円給付のオンライン申請も、やってみた。もう4回目のトライだから入力項目も銀行口座確認書も、全て揃っているし、覚えちゃっているので、瞬殺でマイナンバーカードの出番になった。カードを差して、暗証番号を入力して送信であっさりと終了してしまった。確認のメールが来て、それで終わり。あっけなく10万円貰える事になった。春日部市の郵送の申し込み書が春日部の10万世帯に届くのが5月の27日だから、5日早く申請出来たことになる。オンライン申請だからと言って、来週10万円が銀行口座に振り込まれる事は無いように思う。5月1日に瞬殺で申請出来た人でも、給付開始が13日だったのだから、私が貰えるのは6月の5日以降くらいではないかなぁと思う。振り込まれたら、速攻で、docomoのキャリアスマホから格安スマホにして、ドコモ光をフレッツ光ライトにする。プロバイダもOCNにする。GMOとくとくBBはスパムメールが異常に多くて、げんなり来るからだ。GMOとくとくBBにしたのは、固定IPが持てるサービスがあるから、自宅にWEBサーバーやメディアサーバーを置こうと思っていたからの選択だったけど、GMOはそれなりに進歩を重ねているけど、なんつーか、商売が少しの小銭でもかき集めたいって言う姿勢がイヤに思っている。NTT東日本とグループ各社は違う。堂々と静かにたたずんでいる。やっぱり電電公社だよな、と思う。フレッツ光も代理店のキャッシュバックサービスなんか気にしないで、ダイレクトにNTT東日本に申し込む。NTTドコモのドコモショップという代理店に幻惑されて、非合理的なコストのキャリアを必要がなくなったのに使ってしまった。お金がもったいなかったね、と言う話だった。2020/05/23

2020/05/16 やっと春日部のGUが再開したので、雨が降っている中でバスに乗ってお買い物でバスの中で雨の光景を見ながら考えた事

雨の春日部駅東口をバスの車窓から撮影。昔の日光街道の粕壁宿の名残はかなり破壊されつつある。嘆いても始まらない。破壊されたモノは元通りにはならない。

 今日は土曜日だ。事業の生成に対しての努力を行おうとしてたけれど、有給休暇を取って三連休でこの5月はかなり油断している。躓きは結局ICカードリーダーを去年気を利かせて購入していなかったからだ。10万円給付のオンライン申請が始まったら、即オンラインで申請しようと思っていたけれど、ICカードリーダーか、NFC対応の?あるいはFelica読み取り対応の?要するにおサイフケータイのスマホも所有しておらず、家にクレジットカードを読み取るICカードリーダはあるのだけれど、Windows10用のドライバーが用意されていないと言う涙ものの仕様の、キャッシュレス決済対応の機器があるだけで、涙をのんだ。もし「よーし、一応eTAX対応という事で、ICカードリーダー買っとこ、安いしな」と去年の確定申告時に思って購入していれば、地団駄踏まなかったけど、2019年当時で、ICカードリーダーとマイナンバーカードの利用目的って、eTAXと言う確定申告のオンライン申告にしか使い道を知らなかった。マイナンバーカードとマイナンバーが、年末調整の時の紙や、確定申告時に申告書に記入するようになったのって、2019年くらいからハッキリしてきたって位の認識だったから、「市役所から通知が来るから作っとくか」と作ったのが5年前なんだった。昨日、マイナンバーカードの電子証明書の期限を見たら今年の6月だったので、市役所に行って期限の更新をした。本当は一昨日電話したら、マイナンバーカードを持参したら、端末を使わせてくれて市役所でオンライン申請が出来るよーみたいな電話内容だったから、期待していったけれど、ダメだった。オンラインで申請しても郵送で申請しても結局受け取り時期は同じ位になります、と、これまた才覚の低い市役所職員に言われて、しょうがないから、電子証明書だけ期限更新して市役所を後にしたのである。5月1日にオンライン申請が始まって、春日部市の場合は13日から給付が始まりました、と言う触れ込みだけれど、パソコンベースで、①パソコンを持っている②マイナンバーカードを持っていて、パスワード・暗証番号・電子証明書の期限が切れていない③eTAXをやっていて、ICカードリーダーを持っていると言う人は、データは定かではないが直観で言うと春日部市の住民のITリテラシーのレベルで言うと、20万人の住民の内100人居ないと思う。スマホで運の良い人は居ても、マイナンバーカードを作ってない、とかで慌てて市役所に駆け込んだ人は結構居ると思う。でも、今から作成しても、カードが出来て市役所に受け取りに行くのには1ヶ月以上掛かる、私も記憶がある。マイナンバーカードが発行されて受け取りには一ヶ月はかかる。では郵送で申請しても同じ事である。ただし、地元で話してて、気がついた事は、①春日部市には郵送する世帯は10万世帯がある②10万世帯が一斉に返送した場合、6月5日から10万世帯の20万人に一気に10万円が振り込まれるわけ無いな(^_^)③終了・給付は普通の運だったら、6月下旬とか末とか7月頭だ、と言う風に思っている。オンライン申請で春日部市に5月1日に申請した人が100人未満で、照合と確定作業で13日なら、春日部市役所に、オンラインだろうが郵送だろうが、振り込み開始には2週間はインターバルがあると言う事だろうから、6月5日に郵送の振り込みが始まって6月5日に振り込みを確認出来る人は20万人の内で運がいい人、と言う事なるねーと、世間話でそういう結論に達した。10万円もらったら、スマホとドコモ光を、チェンジして、今の利用シーンに最適なインフラにスイッチするのに使うのがもっとも優先される使い方だなと言う結論に達している。キャリアスマホからまた格安スマホにして、ドコモ光から法人契約のフレッツ光ライトにするのである。一昨年の10月にキャリアスマホにしたのは、建設サービスの会社で仕事もらうのに、あの当時で、未だキャリアメールじゃないと仕事の手配が出来ない、と言う事だったので、やらかしちゃったFreetelのスマホをdocomoのキャリアスマホにしたのである。建設現場での、あの確実に音声通話が繋がる方がいい、と言うメリットを生かした利用シーンだったし、給料も良かったから高いキャリアスマホはそれはそれで良かったけど、利用シーンが建設現場から物流倉庫になって、仕事中は全く音声通話も必要ないし、電源を切って業務を行う利用シーンになったのだから、無駄に月の利用料が高いキャリアスマホは用済みだと言う事だ。今年の1月で総務省の思惑で始まった、家計消費状況調査の報告義務が終わったけれども、その毎月のネットでの買い物とクレジットカードの利用状況をデータ化する癖がついたのを思い、「この月々の消費の記録のクセを生かせないかな」と思って、ちょっと考えて家計簿をつける事にしたのだった。最初はパソコンで、と思ったけど、スマホでも家計簿アプリが在るのを知って、スマホの家計簿アプリで、毎日のお金の出方を自動販売機の100円のコーヒーから1円単位まで正確に記録するようになった。その作業をすると、お金の使い方がなるべく無駄な使い方とか非合理的な使い方とか、なるべく効率が良く効果的なお金の使い方とかを試行錯誤するようになった。これは面白い作業だと思って日々、毎日出て行くお金のデータをスマホに記録している。自動販売機で缶コーヒーを滅多に買わなくなった。自動販売機はレシート出さないから、記憶があやふやになるから。缶コーヒーを買う場合はコンビニで100円缶コーヒーとか100円麦茶を買う様になった。最近はさらに進んで、缶コーヒーはホームセンターとかディスカウントストアーで30缶1000円未満、一缶あたり38円とかの缶コーヒーをケースで買うようになって、毎日出かける時は、行動計画を立てて、一服の時間は2回とか思って、鞄に缶コーヒーを2缶入れて出かける、とかになった。こうやって無駄とかコストカットとか自身の課題として、毎日、自分自身の消費というデータを記録している。話が長くなったので、今日はこの辺で。2020年1月頃から、「なんでもかんでもWEBとかに書いたり表現しなくてもよい」という考えに至った。1996年ころから「OukaDesignOffice」という名前でホームページ(当時)を始めてから、24年くらいたったけれども、思ったことを全てWEB(現在)に書くのは、自分の行く道に障害を自分で作るような物、というか、自分の発想や理念を100パーセント出すと、受け入れてくれる人より、面白く思わない、東京の支配者層や大企業の構成員が多数いるので、風評をその手下たちが吹き込んで回るので、行く道に障害が多くなる、という事である。車でもバイクでも、そりゃ整備された道路のほうが円滑に走れて気持ちいいし、まぁオフロードバイクで石ころだらけの道をガタガタ行くのがいいんだよ、というゆとりのある人もいるけれど、私はもっと遠くを目指しているので、キレイな舗装の高速道路で、鹿児島とか稚内までスムーズに行きたいんですけど、と思うので、抑えた表現になっているし、更新頻度も低いという事をご理解くださいね。それでは、また気が向いたら、このWEBでお会いしましょう。2020/05/16

2020/05/04に思うちょっとつれづれに話しましょう。2020/05/04

こういう世界は実は日本に一杯あります。東京圏だけが特殊なだけです。東京が全てと思える人はメディアに洗脳されているのです。

明日は8時始業だから、今日の夜は1時間、時間のゆとりがある。毎日の日課として、人体クロッキーを自分に課すけれども、その前に麦茶とタバコ一本で考えた事を少し書こうと思う。5月31日まで緊急事態宣言が延長されたけれども、これは東京都の千代田区とかの基準で全国一律で考えて欲しくないんだよね。倉庫で米を運びながら、考えた事は「Nature Life or Country Life is Safety.City Life is Danger(自然生活または田舎生活は安全、都市生活は危険)」というのがこれからの鉄則だと直観したので、この鉄則でいうなら、関東だったら、東京圏(東京なら23区から八王子くらいまで。埼玉だったら所沢・さいたま市・春日部市、千葉だったら、柏市・千葉市くらいまで)の都市生活で、丁度鉄道と自動車道の直結が行われているのがこの地域だから、この地域と、その他の写真の様な世界は危険度が違うはずなんだよね。もちろんここまで来たら、東京圏からウイルスまき散らしに東京都民が鉄道と自動車で拡散に掛かる所だから、こういう東京都民だけ、移動の制限をすれば、埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬はかなり感染率が下がっていくと思うんだよね。永田町はそういう事が解っていない様に思う。全国一律って東京の千代田区だけで決めないで欲しいと思う。5月31日になっても東京圏は減衰は他の自然生活・田舎生活の地域・エリアに比べると全然減衰しないように見えると思う。千代田区だけの判断で全国一律は止めて欲しい。私とかリスクの低い人たちや企業の行動が制限されるではないか。例えば埼玉だったら、JR東日本の高崎線と宇都宮線、湘南新宿ラインとか上野東京ラインは大宮駅で終点にして折り返しにするとか、これはJR東日本が勝手にやっていいことだと思う。東武鉄道だったら東武スカイツリーラインは小菅が終点で折り返しとか小菅で検問というか関所作って、どうしても必要だから、日比谷線や半蔵門線や浅草に行きたい人とか振るいにかけて選別するとか。西武鉄道だったら、所沢で終点、折り返しとか。東京はもうコンクリートで固めてしまったのだから、どこへ行っても3密の建物だし、どこかの瀟洒なビルディングは窓ガラスがはめ殺しで、全てエアコン任せの3密世界の建物なんだし。実際、今もそういう建物で働いて居る東京都民ってどんな気持ちなんだろうね。とにもかくにも、20世紀は核戦争でも東京直下型地震でも無く、微細なコロナウイルスでまず西洋都市文明の終焉になった。次ぎに来るのは20世紀金融資本経済の終焉だろう。淡々と生きて行きたかったが、また大嵐の中を進んで行くことになる。太平洋戦争でいうなら、空母翔鶴で、台風に遭遇して発進待機を命ぜられた海軍戦闘機乗りのパイロットの心境である。志気は高いが、今発艦しても、ロクな事にならず、索敵もままならず、自軍の地上基地にも行けず、二段ベットで小窓から、大荒れの海を眺めているような心境だ。波高し、でも、嵐が過ぎ去れば、勇躍発艦出来ると言う事である。2020/05/04

夏目漱石の「草枕」の冒頭を読むと、「なるほど、名文だ。芸術の士はこういう心境で良いよな」と思う。わたせせいぞうのおかげ也。2020/05/03

夏目漱石 「草枕」より

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
 住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも

鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青たんせいは画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさいの絢爛けんらんは自おのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺

せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのうを解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかいに出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじの乾坤けんこんを建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きとき憂うれいいよいよ深く、楽たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間まも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

上記の文章は著作権が切れているので、まぁWEBに載せても大丈夫かな、と言う事で。Instagramでわたせせいぞうが自作のイラストをこの「 あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっと)い。 」というセンテンスを併記してInstagramに上梓していた。どうも角川文庫あたりの「草枕」の文庫本の表紙イラストの様だ。私は姉が高校生の頃に購入した旺文社の化粧箱に入った“上等な”文庫本で中学生だか、小学生の頃読んだ小説だ。ふとこの一文が気になって、部屋の片隅に放置されていたその旺文社版の文庫本を取り出し、この冒頭の文を40年ぶりに読み直して、心肝に染めるように記憶し直した。「人の世を長閑(のどか)にし…」がとても気に入っているWordsである。今、私は社会情勢で本当に人の世をのどかに、自宅の机に向かう時間が多くなった。日本全国の日本人は芸術の士になれるのである。もっとも、ガラス板の向こうの銀玉が転がる事に取り憑かれている人もいれば、コロナが明けたら、風俗業界にキレイな女性が増えるとラジオで言って、世の中の女性を敵に回した、女性蔑視の愚かな、東京の支配者層のピエロのお笑い芸人もいるけれど。私はそんなことは言わないが、そういう女性が増えたら、女性の悲劇だ、と思う。私は女性にとても感謝して芸術する芸術の士である。女性を安心させて楽しくおしゃべりしたりすると、良い芸術作品が出来るからである。だから、春日部の印刷屋時代くらいから、そもそもその以前の曙橋のデザイン事務所時代から、あるいは幼稚園児の頃、多感な姉に連れられて、「オリビア・ハッセー版のロミオとジュリエット」や「小さな恋のメロディ」を映画館で見た頃から、女性の核心に敬意を表してきているのが私の核心(コア)だった、かもしれない。お笑い芸人とは、根幹が違う。もっとも、私は、お笑い芸人の事を、「まーだ、こういうヤツいるんだな、SDGsの本を読んだことないのか、意識低いな」と思って、ラジオはFMNack5やAFNRadioを聞くだけだけどね。まだお笑い芸人のオールナイトニッポンってやってたんだねぇ。ビートたけしの頃は面白かったけどねぇ(遠い目)あ、そうそう、わたせせいぞうと同じように鉄道と若い明治時代の文士のイラスト、私も描いてみようと思っている。気が向けば。2020/05/03

Youtubeが思い出させてくれる、メガドライブとSEGAとBEEPって雑誌とセガマニアとかセガ人とかって、時の流れに埋もれた記憶。2020/05/02

セガのサイトからの画像markⅢとかマスターシステムのページもあった(笑)

しくじり先生「メガドライブ編」つーのが( https://www.youtube.com/watch?v=YOcrAIgdsRA )Youtubeで出て来たので、興味が湧いたので通して見てしまった。見終わって、「やっぱりセガだなー(笑)」って感想かな。セガとの出会いって、というかコンシューマー向けで最初の出会いは、中学2年生くらいの時かな、姉が結婚して北本市にアパート借りて新婚生活やってて弟と泊まりに行って、姉が「なんかかっこいいから」と、ファミリーコンピュータでは無く、セガのマークⅢをクリスマスプレゼントで私と弟にプレゼントしてくれた。早速アパートのテレビに繋げて、「ハングオン」をやってミンナで大興奮だった。そこからセガマニアとかセガ人としてスタートした。ファミコンは高校生の時お小遣い貯めて、自分で買った。一ノ割のタリヤ靴店というゲームセンターで50円15分のドラゴンクエスト1をやって、どうしても欲しくなったから。セガのマークⅢのソフトの方が多かった。だんだんファミコンのカセットの方が増えていったけど。多感な高校一年生になった春に、私は庄和町の南桜井駅の駅前にある本屋に教科書を購入しに行った。そこで「Beep」というゲーム雑誌を買ったのがセガ人としてのレベルが上がったのだろう。ソフトバンクではない、日本ソフトバンクという出版事業を行っている、そのソフトバンクの前身の日本ソフトバンクの雑誌だった。高校卒業して、秋葉原のゲームセンターでアルバイトしてる位までBeepとBeepメガドライブは愛読してたよね。ソノシートは捨てずに持っている。高校生くらいからのセガや任天堂、アーケードゲームについての思い出は、ちょっとこのWEBじゃ書き切れないから、小説に織り込んだらどうだろうと思う。数年前、書泉ブックマートが閉店になって、その閉まった建物の前に立ち、駿河台下交差点から千代田線新御茶ノ水駅まで歩いたときに発想した、「駿河台下交差点にて」というゲームやオタク文化にハマった青年と女性の恋物語とか、「追憶~あの頃の“アキバ”の恋物語」とかで、1990年中盤までのゲームとパソコンを軸にした恋物語とか、小説で書き表したらと思っているからね。いつ書ける時間のゆとりというか、ゆとりが無くても必死に書けば書けるけど、今はまだ事業の基盤を固めるのが先だろう。しくじり先生で言っていた様に10年先のビジョンも大事だけれど、明日という短いスパンのビジョンと実行を積み上げなければ10年後になんだったんだ、この10年、と言う事になるからね。私に今の所挫折という言葉は当てはまらない。スケジュールをやりくりして、優先順位を組み替えて生きているから。そして、今の境地は「人生は旅だ。仕事も旅だ。河島英五だ。旅の途上だ」と強く思う様になっていて、そして、この外出自粛をやり過ごして、自宅に存在している。2020/05/02

情報を得て、ゴールデンウィークの初日の土曜日の朝、秋葉原と御茶ノ水の写真を撮影しに行ってきた。2020/04/25

左の写真は中央通りから万世橋を見た光景で、左はJRの電気街口から見た、まだかろうじて昔の電気街の名残が見られる無人の光景2020/04/25

倉庫で、昔マイコン少年で、いまも年金間近のマイコン少年に、「テレビで秋葉原、まったく人が居ないの見たよ」と言う一言で、「じゃぁ写真でも撮ってこようかな」と言って、本当に秋葉原に早朝行ってきた。日比谷線のあの昭和通りの出口が青春の始まりだった。この出口から、秋葉原のゲームセンター、ゲームインファンファンで半年アルバイトしたり、ここからアキバ少年の始まりというか、もっと昔で言うと小学生5年生の時、父親に連れられて秋葉原のガード下のラジオ商の店でポケットラジオを買って貰い、世田谷の親戚の家に行く時、ポケットラジオを窓硝子に寄せて、音が流れてくるのを体験したのが、私の秋葉原の始まりだったが。ゲームインファンファンでアルバイトをしてて、交差点を渡った所に立ち食いうどん屋があって、そこのかき揚げうどんを食べてそれでお腹いっぱいという事にして、お金を使わずに貯めた。そして貯めたお金で、上記の写真のこの建物のLAOXで、SONYのHITBITーF1XDをペイントソフトのおまけ特典付きで購入したのが私のパソコン人生の始まりでもあった。懐かしい。2020/04/25、このコロナウイルス禍の秋葉原に立つと、ほぼ無人である。早朝ではない。9時の話である。秋葉原に行く途中の東武スカイツリーラインで越谷・草加・西新井と、コンクリート化の進んだ世界を眺めて、秋葉原に立った記憶で、感想を述べるなら、「20世紀の終わり、西洋都市文明の終焉、21世紀の始まり、これが神のやり方、北斗の拳は核戦争で世紀末だったけど、東京はウイルスで世紀末になったんだ」という事だった。もう「胸に七つの傷を持つ男」には戻りたくないが、たった一人で21世紀を始めようと、埼玉県久喜市清久の印刷工場に忍び込んでから、19年ほど経って、ようやく世界は20世紀の終焉と21世紀の黎明が始まった、と感慨を深くした。秋葉原の街並みを写真に撮ったのは、秋葉原を舞台にした、1990年代初頭の一つの恋物語を、ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの共演の「追憶(The Way We Were)」の筋を踏襲して、物語を紡いでみようと思っているからである。「追憶 ~あの頃の秋葉原の恋の物語~」とかって、もうあらすじは出来てるけど、いつ書いて発表できるか全く不明。忙しすぎてゆとりないまま、仕事をしている。写真撮るとファインダー越し、例えばLAOXのザ・コンピューター館の建物から、見渡す光景が、自分の中のパソコンショップ街とは全く違うモノになっていて、オタクグッズの販売店になっていて、ちょっと前なら派遣リフレの顔のレベルの高い女子高生がタチンボしているあの通りという感じで、ここまで変わったんだ、イーサネットのスイッチングハブを売っていた店とかはどこへ消えた?みたいな驚きが隠せなかった。そして、電気街という名ばかりの腐れメディアのグッズ販売地になってしまっても、嘆かない。コロナウイルスが終焉を知らせてくれたから。つまりは旅立ちの前の一つの人生の回顧がそこにはあった。秋葉原の思い出のエッセンスは上記の小説に託したいと思う。それじゃ、明日も7時始業なので、早く寝るので、この辺で。2020/04/26

ヤオコーで発見する40年以上昔のテレビコマーシャルで見ていた味噌を51歳で購入(万感の思い)

この味噌のCMもYOUTUBEで上がっていて、女の子が可愛い。 https://www.youtube.com/watch?v=kFH9_wsxqwM

今日、何故か会社帰りにヤオコーに寄り、味噌を買おうとしたのは、以前この「日本海味噌」を記憶に入れていたからだった。これ、だって40年以上昔にテレビで見て記憶に残っていた味噌の商品でした。Youtubeで見たけど、女の子が永遠的にキレイで可愛いのね。大人になった雪ちゃんが見たいと思いました。味噌は造ってみないとわかんないけど、米味噌だから多分美味しいだろう。今から楽しみだ。2020/04/15

あまりにも、「エロマンガ先生」のやり過ぎに、角川書店を諫める画像 2020/04/10

えーっと、この「角川文庫発刊に際して 角川源義」1949年5月3日の活字だけれども、片岡義男の角川文庫の「限りない夏1」からスキャンしたものだけれども。あのー、今のさぁKADOKAWAとかASCII-MEDIAWORKSの仕事って、この創業者の角川源義氏の出版の理念と照らし合わせて、どうなんですか?と、訴える所存です。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」から「エロマンガ先生」と、ライトノベル+アニメ+コミカライズとかさ、そういうメディア商法だというのは理解するけれども、この角川書店を創業した、創業者の志とはあまりかけ離れてはいないかな?と、この上記の文言を知っている者として、また中学時代は、月刊ニュータイプとか月刊Willy(ウィリー)とか週刊ザ・テレビジョンとか、角川文庫の片岡義男の小説とか、角川春樹で言うなら、映画の「人間の証明」とか「野生の証明」とか、「幻魔大戦」とか「少年ケニヤ」とか、マンガなら「ファイブスターストーリーズ」とか、そういうので中学生時代を送った角川っ子としてはですね。もう一度、この画像の文言を心肝に染めてね、あのー、全てのカドカワ・電撃文庫などの文庫を考え直してはいただけないか、と、つくづくそう思う次第です。一応「エロマンガ先生」のアニメの一期は見終えるつもりだけど、こういうの配信されて、私見ちゃうと、私の才能が損なわれる感覚に囚われるので、アニメもつくづく考えて視聴しないとな、と思わせてはいただけますが。私が画像の文言を2020年4月10日にちょっと書き換えるとすると、
「コロナウイルスによる、東京と言う偽りの繁栄の崩壊は、文化力の敗退であった以上に、私達送り手の、人間としての基本的良心の欠如による敗退であった。20世紀出版産業が、世界の汚濁に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私達は身以て体験し、痛感した(2020年4月10日 代筆 中島英樹(Blueiris))」。もうここまで書き換えられる時期に来たのでは無いかと、去年でしたか、今年でしたか、大宮のソニックシティのアニ玉祭に来ていた、角川歴彦さんには伝えたいものです。所沢にコンクリートの立派な建物を建てようが、送り出す本が、基本的良心に基づく本で無ければ、コンクリートの立派な建物も意味はないと、私が春日部の地で考える所存です。良心的編集のものとに、と書いてあるのだから、良心とは何かと考えて欲しいです。私が関わった出版社なのですから。中島英樹(Blueiris)。2020/04/10

懐かしいタミヤの250ccバイクのキットと、中学生・高校生の頃の日本のクォーターバイクブームを回顧したりしています。(遠い目でも、2020年にZX-R25が出るので)

2020/02/29 久しぶりにバイクのプラモを買った。それを機会に、昔のバイクとタミヤのキットに思いを馳せる。2020年から2021年にかけて、KAWASAKIから十数年ぶりに、250ccの並列四気筒のZX-R25が販売される。タコメーターの上限は20500rpmである。250ccで46psである。様々なネットメディアで「1980年代のクォーターブームの再来か」と往年を知っている人は言葉を出している。私もタミヤのキットとタミヤニュースでVT250Fを知った口である。当時中学生だったと思う。上記のキットでMVX250Fは入手している。今の所無理なのが、FZ250 PHAZER とVT250Fである。これはタミヤの英断で再版してもらうしかない。amazonでエラクプレミアのついたキットは買えない。高校生の頃憧憬だったのがFZ250PHAZERで、キットというか、実機を欲しがった。あとはスズキのWOLFのどちらかを20歳で乗ろうと思っていた。自分で働いた金で。WOLFは2サイクルだからもう無理だけど、FZ250だったら、今だったYZR-X250とかYZF-250NEOPHAZERとか言って、並列四気筒で、回転数20000rpm越えの48psくらいで、カワサキに対抗して出してほしいものである。もちろんヤマハの青い色で。カワサキのライムグリーンより、ヤマハのブルーの方が、しっくりくるし、ヤマハの味付けなら、20000rpm越えでも、マイルドな味付けになるだろうから、私はヤマハを選びたい。1980年代後半に高校生やってて、そりゃもう、半年に一回新製品が出る世界だったのだから、2020年代にそこまでは無理だとしても、並列四気筒のクォーター戦争がまた起きてくれるなら、バイク乗りとしては、最高だ。YZF-R6などを限界まで公道で使う事は出来ないのだから、「機械の限界まで使い込む」事が出来て、カーンでは無く、キーンと言うジェットサウンドが思う存分楽しめるのは250ccクラスなのだから。とにもかくにも、来年からの四大メーカーの出方が非常に楽しみに、私は普通自動二輪免許を取得したいと思っている。ああ、生きていて良かった。(^_^)。

KAWASAKIから2020年10月にニュータイプ専用の250ccバイクが出ます。

Ninja ZX-25R/KRTエディション 、うーむ。

昼休憩は昼ご飯を済ませてタバコを吸いながら、いつもスマートフォンでメールチェックやGoogleDiscoverで、なにか面白い情報があれば、と眺めていたりする。今日も検索履歴や閲覧履歴を元にGoogleのAiがヤングマシンと言う雑誌の情報ページを紹介してくれた。2020年の原付2種のスクーターの紹介記事だったが、ディレクトリを上がって、カワサキのミドルクラスの新製品の紹介記事を見て、読むと、「ムムッ」と思った。元記事URL→
https://young-machine.com/2020/02/14/73235/
この、上記の写真のNinjya ZX-R25R/KRTエディションのスペックをよく読んでみた。250ccで並列四気筒で、過給器っていうかラムエアダクト装備で(^_^;、倒立フォークで、トラクションコントロールで、実回転数上限17000回転で、タコメータのスケールは20500回転まで。(^_^;だって。最高出力馬力が、ZXR250を越えた47馬力(^_^;。このスペックを読んで記憶し、「なんかスゴイ250cc出るんですけど」と思い、休憩は終了した。いつものコンビニに向かう車上で、「これ、ニュータイプじゃないと限界まで使い切れないよな。普通の人が限界を公道で攻めたら死ぬな」とふと思った。さすが「き○がいマッハ」作ったメーカーである。あるいはタンデムツインのKR250とかH2とかH2CARBONとか出しちゃうメーカーである。250ccで過給器だよ。さすがにH2とかは私は絶対乗らない。天国に召されてしまうからな。でもそのテイストが96万円で味わえる一台である。これを全開で公道で乗れる人は多分A級ライセンス持ちで、プロライダークラスじゃないと機械の限界まで達しながら楽しむ事は出来ないのではないだろうかと思う。凡人は、限界に挑んだら、相当痛い目に遭うように思う。YAMAHAはここまでやらない。もっとフラットな、街乗りにもスポーツ走行も楽しめるような、穏やかな味付けにするだろうから、ここら辺でメーカーの志操の違いが楽しめるな、と思う。このZX-R25が比較的に長く生産し続けられるなら、私は買って見たいと思う。もう若くはないさ、と「いちご白書をもう一度」の歌詞が思い浮かんでしまうけど、このマシンを乗りこなす為に、身体感覚や反射神経を鈍らせない様にすれば、きっと私もまた、「公道のニュータイプ」の称号を得られるような、そんな気がする。ニュータイプにはふさわしいマシンだと直感する。2020/02/24

片岡義男は2017年当時の78歳(当時)でもジーンズとコットンシャツを着ている。2020/02/22

http://oskasyounenn.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/by-d59e.html

昨日、ふと気がついた事で、目を通した二つの情報がある。一つは、1993年に神保町のモントークというジーンズブティックで手にれた、Livi’sのカタログである。それと、Youtubeで「片岡義男」と検索して、出て来た、片岡義男全著作電子化のトークショーの映像である。1993年、曙橋のデザイン事務所でアシスタントデザイナーの職を得て、少々潤沢な給料があったので、神保町の三省堂書店と書泉ブックマートの間にある、小さめのビルの1階と2階にあったMontokeと言うジーンズが主体のブティックでジーンズでLivi’sの510などを購入して着ていた。「次ぎはUS505を買おう」と思ってカタログを入手していた。そしてそのカタログは中島家に50年存在している本棚にしまわれたまま長い年月が経った。掘り起こしたのは数年前、20年以上、タイムカプセルに入れて埋めていたようなモノだった。そして、1993年当時のLivi’sの製品のジーンズのラインナップが、今とは比較にならないほど豊かな世界だったことが解る。今のLivi’sの製品ラインナップを見ると、以前の異常な501セールは収まったモノの、1993年から比べるとバリエーションは4分の1くらい、そして値段も四割増しの1万円越えで、ちょっと購入を躊躇する。片岡義男の話に戻すと、その動画を見ると、2017年の映像だったが、当時78歳で、ジーンズとサーモンピンクのコットンシャツをラフに着こなして、トークショウで話をしていた。その映像の冒頭を見て、「もうスゴイ年だろうに、ジーンズ履いている(^_^;」という印象だった。そして、「さすが片岡義男だ」とも思った。2020年、81歳である。講談社が発行している、文芸雑誌の「群像」にたまに1年半に一回くらい、片岡義男の新作の小説が載る。読んでみる。そこで読んだ感想を今言うと、「クリントイーストウッドが、『運び屋』で老齢の麻薬の運び屋を演じる様な物だな。予告編で『ダーティハリー』の映像をカットインさせていたけど、88歳はそれなりの役回りがあるものだな、それと同じだ」と思っている。「スローなブギにしてくれ」や「湾岸道路」や、さらに遡ると、平凡出版のPOPEYEの「片岡義男のアメリカノロジー」のコラムの世界は、ある程度カタルシスの世界として、時系列の奥の方に行っている。あの当時POPEYEを読んでいた高校生は今61歳とかOver60である。時の流れもしょうがないと思わないのが、今でも片岡義男はジーンズを履いている、と言う事である。私は、ジーンズが難しくて、チノパンばかり履いているが、その映像を見て、「やっぱり505を履くしか無いや、大宮で買おう」と思った。そして、この記事では、私は片岡義男を片岡義男と呼び捨て続ける事に確信を持つようになった。片岡義男も中島英樹(Blueiris)も、同い年の32歳のバイク仲間だ、と思う。絶対の確信を持って、片岡義男は、「片岡義男先生」とも「片岡義男さん」とも「片岡御大」とも呼ばれる事をNoと言う人物であろう、と映像見て革新している。81歳でも52歳でも同じ32歳で、バイク乗りだ、バイク仲間なんだから、お互い呼び捨てにするほどのバイク仲間のままだ、と思うので、この固定ページでは、延々と片岡義男、と呼び捨てる事に、疑念が無くなった。そんな所だ。2020/02/22

原付バイクでは限界なので、125cc以上400cc未満の自動二輪の購入を考えております。2020/02/22

上からSRX400、YZF-R15、KTM RC125。どれにするか悩んでいます。2020/02/17

東京の連中の妨害やはしご外しが無ければ、私は多分2020年末くらいに、原付二種あるいは小型自動二輪、あるいは普通自動二輪のオートバイというモノを手にする事が出来るだろうと思っている。そういう計画である。なぜ50ccの原付スクーター、HONDA Todayを卒業する気になったか、と言うと、毎日の通勤で、国道16号を走るにあたり、原付では限界がヒシヒシと感じられる様になったからである。朝・夕の国道16号は片側2車線で、その車線間の中央をバイクで走るととても快適である。乗用車・トラックは軒並み渋滞するが、バイクはお構いなしに進む事が出来ると知った。国道16号でも流れる時は順調に流れる。その時追い越し車線を原付で走るのは無理があると、毎日思いながら左車線でゆっくりした速度のトラックの後ろについて、ゆっくり走ったりもする。少なくとも原付2種以上400cc未満のオートバイなら追い越し車線を、乗用車と同じ速度かそれ以上で走っていくことが出来ると実感している。つまり国道の片側二車線の道路は原付にはもう無理だ、と思う様になったからだ。原付では、片側二車線、右折レーンがあれば、交差点付近は3車線になるが、そうなると法令上二段階右折という面倒くさい事態になるのだ。千葉県の柏市で、初めて二段階右折をしなかったと言う事で、罰金を払う羽目になって、そこでやっと「原付は片側二車線以上は二段階右折すること」という放法規を知る事になった。自動車教習所で一応授業はあったと思うが、自動車免許を取る事で一杯で、原付に乗ることは想定していなかったから、覚えていなかった。それ以来、春日部近辺の主に国道で片側二車線の部分では、二段階右折すると言う運転になったのだった。そういう蓄積もあったし、昔の倉庫勤めの時、やっとお金を10万円作って、春日部自動車教習所で普通自動二輪の教習を開始したのだが、長年の抗精神病薬の投与で、運動神経が服薬前のそれとかなり違っていて、アタマで思っているほど、身体も反射神経を追いつかなかったので、一本橋の教習でつかえたまま、お金がなくなり、一旦普通自動二輪免許を取得することを諦めた経緯がある。なぜその時普通自動二輪免許を取ることにしたかというと、吉川市の倉庫の奴隷労役よりも、バイク便ライダーになった方が良かろうと思ったからだった。やがて、建設現場で体重を90キロから73キロに減らし、大分心身の回復が行われたので、もうちょっと反射神経を回復させて、普通自動二輪免許をなるべく順調に取得したい、と言う機運に向けている。普通自動二輪免許を取得したら、私はYAMAHAのSRX400のセル付きの後期型とかⅡ型と呼ばれるバージョンの、メカニカルの塊の様に感じられるシルバーの中古車をなりふり構わず欲しい、と思った。タミヤのプラモデルのSRX-6のキットの写真を見ていたので、「これこそバイク」と思った。バイクの王道だろう、カウル付きなど邪道、キックだとかったるいけど、せめてセル付きで、くらいの感覚で、SRX400の購入を考えていた。値段も198000円くらいから298000円くらいから流通している。つい先週くらいまでは選択肢はない、と思っていた。でも、「125ccくらいで、エンジンの限界までぶん回し続けるのも悪くないかな、昔NS1でそうやってたわけだしな」と思った。125㏄で国産、国内流通をしらべても、125㏄~150㏄では、まだスクーターがメインで、ミッション車はあんまりかっこよくないユーティリティバイクみたいなのが、HONDAあたりから出ている。モンキーとかそういう感じのとかそれに類するもの。YAMAHA・KAWASAKIは出していない。最近のニュースでは、 「GSX-R125 ABS」と「GSX-S125 ABS」 と新しいラインナップが出て、ようやく自分の望む昔のレプリカっぽいラインがある。でも私はSUZUKIは昔のKATANAかRG-Vガンマ位しか食指が動かない。RG-Vなんてもう2サイクルは、22世紀にでもならないと販売されないだろうから、考えてもしょうがない。ただSUZUKIの取り組みでHONDA・YAMAHA・KAWASAKIが昔のレプリカブームくらいの、力の入れようで125cc~150ccクラスで元気なヤツ出してくれれば非常に嬉しいなぁと思っている。そんな中で、NS-1と同じテイストのフルカウル125ccのレーサーレプリカを出しているメーカーがあった。KTMである。KTMのRC125は側面からの写真で見ると、昔のレーサーレプリカ風で、そそられる。値段も30万前後、ただ、オーストラリアのメーカーでカラーリングが黒とオレンジの1パターンしかないのが難点だ。しばらく乗ってカラーリングに飽きたら、専門業者に頼んで、オールペンし、桜花意匠のブランドロゴをカッティングシートで作成して、桜花意匠オリジナルバイク、なんてカスタムを施してもいいかもと思っている。それよりも以前、近所のウェルシアで、オーナーの人と話した、私はエポックメイキングな車両がYAMAHAのYZF-R15である。最初にウェルシアで見た時、「なんだこのYZF、日本のヤマハのWEBでは見たことないぞ」と思った。150ccのYZFである。オーナーの人に話しかけて、輸入車だと知った。どうも海外のYAMAHAの製品らしかった。2週間前検索してみると、インドヤマハの製品でYAMAHAのYZF-R15が、日本でも流通している。中古は出玉がかなり少なく、新車ばかりで大体30万円より少し上かな、と言う感じだ。スタイリングもYZF-R25に割と準じている。YZF-R25は60万円超になる。2020/02/22の心証では、SRX400よりもYZF-R15に決まっている感じである。一番の理由は、中古のバイクを買うと、あちこち壊れて結局新車を買うのと同じ値段になる、と、以前、値段でHONDAのDioを購入して、2年ほど乗って、マフラーが詰まったとか、タイヤがすり減ったとか、Dioは2サイクルで割とエンジンは挙動が不安定で面白かったけど、それに懲りているので、新車で、7~8年、メンテナンスで重要な修理が必要無い購入をした方が、長い間不安無くバイクに乗れるのではないか、と思った。Dioは失敗だったので、借金してTodayの新車を中国製と諦めつつ購入して、それで今4年ほど満足している。乗っていて壊れそうな不安と言うモノが無い。思ったように動いてくれる。でも最初に言ったように原付では限界である。だから、次ぎの125cc以上400cc未満の自動二輪は、新車の方がよろしかろう、と今は思っている。SRX400がSRの様に生産し続けられていれば、間違いなくSRX400の新しめの中古を買ったろうが、もう部品はないであろうから、インドをマーケットとして、新車を生産し続けているYZF-R15の方が、7年から10年安心であろう、と言う見込みである。上記の写真で見てもらうと解るよりに三つともどれも魅力的である。でも私は趣味とビジネスの両方を満たす為にバイクに乗っているので、スマートフォンはdocomo一択であるのと同じように、安心感を高い値段を出して獲得することに、最近気兼ねが無いようになった。それでいいと思っている。2020/02/22

ブタペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年展 国立新美術館

一月末に、秋葉原に源泉徴収票を受け取りに行くとき、時間調整で入谷の合羽橋道具街を見て、上野駅に向かう途中に、この美術展のポスターを見た。「あ、こんなのやってたんだ。国立新美術館か、盲点だった」と思い、即座に行く事にした。今日、2020/02/14に、乃木坂の国立新美術館に行って見ると、これが大当たりで、まったく混雑していない。ハンガリーというと、まぁ人はこんなもんだ、と言う事になる。これがゴッホとかルノワールとかモネとかになると、もう人の後頭部見る為に館内に入るようなものになるので、今回はタイトルに救われた。おかげで上記の女性や以前見た、元カノとかにも会えた。この一枚で、ブルーでもパープルに寄った、微妙な紫を気に入るようになったわけだ。図録は3300円とちょっと高いけれど、来場者ががそんなに多くは見込めないのだろうから、ロットが少なめで高額になるという事は印刷業のセオリーであろう。
国立新美術館は千代田線乃木坂駅に直結の美術館である。と言う事は必然的に千代田線か、かなり歩いて日比谷線の六本木駅からのアクセスになるのだけれど、もう私は東京の街並みなどに興味もないから、乃木坂駅で降りて、そのまま国立新美術館に入り、見終わって、購入し、地下一階のアートショップや3階のアートライブラリーを見学して、ダッシュで千代田線、北千住で乗り換えて、東武スカイツリーラインで春日部まで、片岡義男のメインテーマ2を読みながらの電車になった。東武スカイツリーラインの西新井から越谷・せんげん台まで車窓をちらりと眺めると、かなり東京化というか、東京化と言うヒエラルキーの中でも、下層レベルのコンクリートのビルとマンションが多くなった。私が小学生・中学生の頃に見やった、日光街道の街道沿いの街並みが越谷まで、破壊されていって居る。この記事を書いていても、昔の東武伊勢崎線の沿線は、なんだか、ごちゃごちゃした世界で、人が住んでいる個性があったけれど、マンションがいくつも建つようになって、嫌悪感を覚える。だから私は東武スカイツリーラインはほぼ全く乗らなくなった。東京でも、可能な限り、湘南新宿ラインを使う様にしている。そっちの方が、まだ、見慣れていない部分もあるので、比較的新鮮だし、例えば品川に用事で行くときなんかは、大宮で上野東京ラインに乗ってしまえば、40分、読書しながらぴゃーっと品川や大崎などに着く。いままで地下鉄でチマチマ行くことをほぼ省くようになった。去年、建設現場の仕事で半蔵門線の使い方は覚えたけど、今は不要のスキルだ。乃木坂に行くのだって、そんなことを考えながら、電車に乗っている。2020/02/14